燃える海に見下ろされている

「おや、お出かけですか」
 箒を手に窓の桟に足をかけた直後、ドアの開く音と共に男に声をかけられ振り向く。男が飼い主になって数日、私はそれまでと同じようになんとなく日々を過ごしていた。勝手にどこに行こうと最終的に戻ってくれば特に文句を言われないので、また散歩がてらいい床屋でも探そうと思っていた矢先のことだ。
「なんか用か?」
「ええ。急ぎでなければ、私の用事に付き合っていただけますか?」
「急ぎじゃないが、付き合うかどうかは内容によるな」
「あなたにドレスを見繕おうと」
「断る」
「こら、。待ちなさい」
「命令じゃなかっただろうが。馬鹿かお前は」
 男は私の様子にため息を吐きながら、ドアを閉めた。とりあえず待てというのは命令らしいので桟に座る。当然ドレスなんてものは不要だが、今になって言い出すということはたぶんパーティか何かがあって、それに出席させようとしているのだろう。何もかも不愉快だ。
「今度王家の所有している美術館でイベントを行うんです」
「私は出る必要ないだろ」
「でも、招待状もなく主催側として作品を見るいい機会ですよ」
「いつでも見れる」
「ああ……なら、私があなたの正装を見たいので」
「お前は喧嘩を売ってんのか?」
「売っていません。どうしても嫌なんですか?」
「あのなあ……嫌じゃないと思うか? それに私がそんなとこ行ったってお前に恥かかせるだけだよ」
 怪盗の頃の衣装だとか、パフォーマンスの仕事で着ているものなどは正装に近いだろうが、ドレスとは訳が違う。スカートだからというより、なんとなくイメージするものに嫌悪すら覚える。
「マナーに関しては基礎を教えるつもりでいますが、その前に来る気になってもらわないと」
「命令すりゃいいだろ、主人なんだから」
「仕事のことで命令したくないんですよ。折れてください」
「テメエ自己都合を押し付けてんじゃねえぞ。私に一つも得がねえっつってんだよ」
「……あなたのためにアクセサリーを作っていますが、それでも?」
 手が滑って箒の先端が床にぶつかる。言いたくなかったのか、男はポケットに入れていた手を腰に当てた。命令に関しては男のために大抵聞くつもりではいたが、これはどうしても譲れないし、男も分かったのだろう。自己都合云々はどうでもいい文句だ。咎めるような視線に耐えきれず、眉を顰めて箒を持ち直す。
「アクセサリーだあ?」
「ええ、そう。黙っているつもりでしたが、あんまり意固地なので」
「そこまでして命令したくないのかよ。どっちが意固地なんだか」
「私の矜恃の問題です。あなたとの関係に仕事を持ち込みたくなかった」
「まあ分かるけどさ……あー、そこまで言われちゃしょうがねえな」
「よかった。ありがとうございます」
「はあ……できればロザリーと一緒がいいけど。着替えんだろ? 知らない店員なんかに手伝ってもらうよりよっぽどいいよ」
「ええ、分かりました。では、城門で」
「はいはい」
 男は安心したという表情で部屋を出ていく。それを見届けてから桟に乗り上げ、大きく息を吐きながら今度こそ箒に跨った。

 男との関係は所謂性的嗜好の一致が前提であり、その延長に恋愛関係、一般に彼氏とか彼女とかと呼ばれる状態が存在している、あるいは今後存在しうるのだと思っている。要するに、乱暴な言い方をすれば性行為を含む性的なやり取りをする相手としての側面が大きい。飼うだの飼わないだの、そのことの象徴だ。男は私と恋人だとかのたまっていたし、口でも愛を吐くので、本当のところはどうだか分からないが、私の中では少なくともそういう認識に落ち着いた。そのため、仕事に関することで関係性による命令を口にしたくないという気持ちは分かる。私もきっと初めに言われていたらそれを理由に拒否していただろう。自身の卑怯な心中を俯瞰しながら、こちらに駆け寄ってくるロザリーに手を挙げる。
 馬車に揺られ始めてからも、ロザリーは祈るように組んだ手に力を込めて押し黙っていた。男の希望か馬車は一台しか用意されておらず、私たちはそれぞれに対する感度を鋭くせざるを得ない。きっと、主人であり自国のトップに属する男が目の前で足を組んでいるというのが、隣で時折深呼吸をする女の主な悩みだろう。
「ロザリー」
「はいっ!」
「はは、なんだよ。育ちの悪い女に連れ回されてるだけだろ?」
「そ、そんな! 違います」
「違わないよ。あんたの目の前にはなんにもいないし、隣のやつのせいで仕事を中断したんだ。変な気分だよな」
「へ……も、もう、様ったら。王子の御前ですよ」
「知ったこっちゃないな、私たちの都合を狂わせるやつのことなんか」
様!」
「あはは。ごめんね」
 男は私たちのやりとりに口を出してこない。少しの会話ののち馬車は動きを止め、私は組んでいた足を戻す。男のことはどうでもいいが、ロザリーの緊張を多少なりとも解すことができたのなら重畳だ。
 そこを降りると煌びやかな店内に通され、ため息を吐く。嫌なものは嫌なのだ。ロザリーがいることでむしろ緊張を表に出すわけにいかなくなってしまったと気づく。促されるままソファーに浅く腰掛け、店を見回す。私たちの前にいる従業員以外に一人同じ制服の女がいるが、客はいないらしかった。男が店員に主旨の説明をしているのを聞き流しながら、隣のロザリーに視線を移す。
「ロザリーは行くのか?」
「え?」
「イベントとやら」
「会場には伺いますけれど、裏方の仕事がございますから、あまり表には出ないかと……」
「ああ、そっか。残念だな」
「……不安でいらっしゃいますか?」
「まあね。マナーだとかも知らないし」
様なら大丈夫です。マナーの基本は、心遣い。様はいつも、よく周りを見ていらっしゃいますね。先ほども、私の緊張を和らげようとしてくださったのでしょう?」
「だってあんたガッチガチだったからさ……」
「ごめんなさい……王子と同じ馬車に乗らせていただくなんて、思ってもみなかったものですから」
「そうだよな。だからごめんね、私が呼んじゃって」
「いいえ! 光栄でございます。うふふ……それに、楽しみですの」
「何が?」
様のドレス姿ですわ。背が高くていらっしゃいますから、さぞお綺麗だろうって。それに、普段のお召し物は男性的な印象がございますから……もちろんそこも様の魅力なのですけれど、美しいお姿を拝見できるのが楽しみなのです」
「はは……ありがとな」
 ここまで言われてしまうとさすがに恥ずかしい。背が高ければいいってものでもないだろうし、似合わないとは思っているが、否定するのも悪い気がする。ちらと男と店員の方を見ると、店員の手元の紙には何事か書いてある。男が私を見たのが分かり、顔を上げると目が合った。
「大体は彼に伝えてありますが、ロザリーとも相談して決めてください。候補がいくつかあるようなら、私が選びますから」
「ふーん。だってさ」
「かしこまりました」
「では、お二人は私と参りましょう」
 店員に言われ、私とロザリーは立ち上がる。あの男が選んだものを着せられるのだと思ったので、少し拍子抜けしてしまった。そのあたりの要望を細かく伝えていたのだろう。自分で見ればいいのに、私の好みだとかロザリーの意見だとかを重要視しているのだろうか。
 並んだドレスを見ながらなんだかよく分からない単語を並べられ、それを受け取ったロザリーと共に試着室に入る。専門用語の解説をしてくれるロザリーに申し訳ないと思うが、さっぱり頭に入ってこない。
 ようやく一着目を着終わり、改めて鏡で自分の姿を眺める。くびれがどうとかで締め付けられた腹が苦しい。
「似合わんな」
「いえ!! お綺麗ですわ」
 体のラインが出るピンクと紫のロングドレス。胸元は割に詰まっているが代わりに背中が大きく開いている。華美とまではいかないものの、裾がきらきらしており、全体に細かい装飾が施されている。到底似合うとは思えない。
「まだ着るんだろ?」
「ええ、こちらもお似合いですけれど……そうですね、形は様の体型に合っていると思うんですが、色はもう少し落ち着いたものがよさそうです。うーん、でも別の形もお似合いになるでしょうし、一度お店の方をお呼びしますね」
「ああ」
 色の違和感ははっきり言って凄まじい。それだけではないが。ロザリーが出て行き、遠慮なく息を吐き出す。こうして見ると上背も肩幅もあるせいか男が嫌々着せられているみたいだ。あまりの似合わなさに頭痛がする。

 その後もロザリーや店員に色々言われながら何着も着せられ、段々自分のドレス姿も見慣れてしまった。結局、途中で着た紺っぽいレース地の、裾が若干広がっているものがいいという結論に至り、先ほど脱いだそれを着るはめになった。装飾が星のようで綺麗なので、見る分にはこれがいいとは思っていたが、それと着るのとは別の話である。裾を直してくれるロザリーを見ながら、開いた胸元に手をやる。当然谷間が見えるほど深くはないが、状況も相まって落ち着かない。尻尾などずっと足の間で縮んでいた。
「やっぱり、このドレスが一番お似合いです。どうでしょう」
「どうって……まあ、そうだな……綺麗なドレスだと思う」
「もう、先ほどからそればっかり。どれも最高峰のデザイナーが手掛けておりますから、綺麗なのは当たり前ですわ。大切なのは、様が着こなせるかどうかです」
「着こなせるわけないだろう」
「背筋を伸ばしてください」
「はい」
「うふふ。かっこいいですよ、様。当日はヘアセットやお化粧もいたしますから、楽しみですね」
「そうかなあ……」
「カーライル様を呼んでまいります。お座りになりますか?」
「いいよ、怖いし」
「では、姿勢を正した状態でお待ちくださいませね」
「分かった……」
 笑顔で試着室から出て行ったロザリーに、何度目かも分からないため息が漏れる。これはマナーレッスンなどもスパルタそうだ。ロザリー以外の甘い人間にやってもらいたい。すぐだらけてしまう腰に手を当て、姿勢を正す。鏡でドレス部分だけを視界に入れる。私が着ていると思わなければ耐えられるのだ。ヘアセットだとか、化粧だとか。パフォーマンスの時はパンツスタイルだし、髪も男性的なスタイルでまとめているだけだ。煌びやかな場にふさわしいとは言えない。それがどうなるのかは少しだけ興味があった。
「失礼いたします」
「うん」
 ドアの開く音がして、もう一度しっかり背筋を伸ばす。それからカーテンが開き、男と目が合った。男は微かに目を見開き、裾まで全身を見ている。じわじわと顔が熱くなるのを感じ、カーテンを手で押さえているロザリーに視線を移すが、微笑まれてしまう。男がポケットに手を入れるのが見える。
「王子、いかがですか?」
「……想像以上だ。君を連れてきて正解だった」
「と、とんでもない。様にはどれもお似合いになるので」
「でも、最終的に決めたのは君だろう。ありがとう」
「……光栄に存じます」
 似合わない。どっちにも反論できず、壁を見つめて腕を組む。これほど恥ずかしいものだとは思わなかった。ロザリーが褒められているので、悪い気はしないが。
「綺麗だ」
「……どうも」
「疲れた?」
「当たり前だろ」
「まだ靴もありますから、頑張ってください」
「マジかよ……」
「ロザリー。彼に、適当に見合うものを持ってくるよう伝えてくれる?」
「かしこまりました。失礼いたします」
 どうやらこれはしばらく脱げないらしい。男はカーテンの中で、壁にもたれ、腕を組んで私を見ている。今このタイミングで二人になるのは避けたかった。裾を踏むほどの長さではないが、これに何かあったらと思うと身動きがとれないし、着せ替えのおかげで心身の負担が大きい。
「そんな見るな」
「見るに決まっているでしょう」
「どうせ当日見れんだろ」
「着せられて戸惑っているあなたを見たいんですよ」
「悪趣味」
「ふふ。でも、本当に似合っています」
 言われ慣れない言葉が積もっていく状況に、片手で顔を押さえる。この態度こそ男が楽しむ要素なのだろうとは思うが、どうしたらいいのか分からなかった。

 少しの間ののち名前を呼ばれ、視線だけそちらに向けると、手が差し出されている。直接触ることのできる距離にいなくてよかったと思いながら、男の表情を窺う。
「戻ってきてしまいますよ。見られてもいいんですか?」
「何を」
「想像している通りのことです」
 ロザリーの声も、足音も聞こえない。どこまで行っているんだかは分からないが、近くに人の気配がないのは確かだった。仕方なく男の手をとり、足元を見ながら一歩男に近づく。段差のせいで普段より目線が近い。頬を撫でられ、目を瞑る。そうして予想通り触れた唇は熱く、腹部に力が入ってしまう。掴まれた手の甲を男の親指がなぞる。やめてほしいと願ううち唇がゆっくりと離れていき、少しずつ視界を開いた。
「素直ですね」
「騒ぐわけにいかないだろ」
「ふふ……顔が赤い。かわいいね」
「うるせえな。戻ってくるから離せよ」
「そうですね。これ以上は、歯止めが利かなくなりそうです」
「利いてたことねえだろ」
「ふふ、そうやって煽るようなことばかり言っていると、帰ってからどうなるか分かりませんよ」
「うるさい」
 尻尾がドレスで隠れていて助かった。せっかくあの夜プライドを押さえつけて男に頭を下げたというのに、癪でつい余計なことを言ってしまう。足音が聞こえ、男の手が離れていく。頬を押さえると手が冷たく、よりそこの熱さを感じる。
 気まずく思っているとドアが開き、店員とロザリーの持ってきた靴箱の多さに、くだらないことを考えている場合ではないなとため息を吐いた。