柔らかいところをわたしにだけ教えて

 大がかりな盗みをするようになってから一通り学んだことではあったが、やはり宝石は興味深い。返さなきゃよかった。あれとか、あれとか。どれもこれも相当貴重なものだったはずだ。悔恨の念に苛まれつつソファーにうつ伏せになって読んでいたら、不意に尻尾を握られて足を振り上げる。尻尾から離された手に掴まれてしまい、ますます腹が立った。
「やめろ!」
「おっと……機敏ですね」
「盗賊が動けなくてどうする」
「ふふ、そうでした」
 笑いながら足を離され、仕方なく本を閉じて座り直す。男は背もたれから手を離し、こちらに回り込んできて隣に座った。組まれた足は細身のパンツのおかげか余計長く見える。尻尾の先を撫でられ、はっとその手を見る。
「夕飯までアトリエに入りますが、どうしますか」
「帰っていいか」
「素直ですね、あなたは」
「選択肢を並べないのが悪い」
 何が面白いのか、男は小首を傾げ、私の尻尾に目をやった。手が離れるので、男とは反対側に尻尾を流す。
「寝室で寝るか、ここで本を読むか、アトリエで私の邪魔をするかです」
「寝る」
「おや、乗ってこないとは」
「お前は馬鹿か?」
「そういうことは、他の選択肢も一人で行わない可能性を考えてから言ってください。行きますよ」
「は?」
「ほら。手を貸して」
「説明しろ」
「本当に可愛らしい」
「ムカつく野郎だな」
「でも、あなたは従わざるを得ないと思いますよ」
 他の選択肢も、ひとりでおこなわない、可能性。要するに考え得る限り一番不快な選択をしてしまったわけだ。どうもこの男にはペースを乱されてしまう。それだけうわてということなのだろうが、どうしたって差し出された手をとりたくはなかった。でも、そう、従わざるを得ないのだ。自国では怪盗行為を改めたことで捕まらずに済んだが、ここではほとんどこの男がルール。牢にぶち込むとでも言われたら人生が終わる。いやこの屈辱よりは牢の方が幾分マシかもしれない、などと考えていても、やつの手が引っ込められることはない。あなたで遊びたいだけという言葉が蘇る。遊ばれている。この歳で。気色悪い趣味をしたこのクソ野郎があれらの作品を生み出した主でなければ、こうも恨むことはなかったのに。
「いいことを教えてさしあげます」
「あ?」
「そうやって悩む時間が長い方が、私は楽しいんですよ」
「クソが……」
「おかしいな。昨日の夜はもう少し大人しかったんですけど」
 胃とか腸とかから出たんじゃないかというくらい長いため息を吐きながら、手を叩きつける。引かれるようにして立ち上がるとその手が肩に導かれ、男の手が背中に触れた。
「な、何をしようとしてる」
「抱き上げます」
「何故」
「私が運んだ方が早いので」
 私が箒を出した時と同じことを言われ、唖然としている間に抱きかかえられてしまった。とんでもないな、この男。そんなに小さいつもりも軽いつもりもなかったのだが、自分の認識がおかしかったのではないかとすら思うほど軽々と運ばれ、執務室を出る。口では色々言うが手つきは優しいのだ。それがまた最悪だった。近くにある横顔を眺める。眠そうな瞼と、整った輪郭、上がったままの口角を順番に認めたのち、もう一度目を見る。金目だ。ちらとこちらを見た男と目が合い、咄嗟に顔を逸らして抱きつく。
「見ていても構わないのに」
「見ていられん」
「ふ……どうして?」
「作品と一緒だ」
「なるほど。そこまで私を好きでいるのに、どうして抗おうとするんです」
「お前かどうかに関係なく、気に食わないことをされている」
「私だからという理由で許さないのは、まだ出会ったばかりだからでしょうか」
「……なんだ、さっきから。お前に私の意思は関係ないだろ」
「おや、飼い猫の心情を推し量ろうとするのはおかしいですか?」
 男の、非常にゆったりとした喋り方は乱れることがない。猫じゃない、と言う前に男が立ち止まり、寝室に辿り着いたことが分かる。男の手から飛び降りて鍵穴に手をかざす。ドアノブを引いて部屋に入ると、朝よりも幾分冷えていた。部屋の明かりをつけた男は、ジャケットを脱いでソファーに投げ、首元と手首のボタンを一つずつ外している。そこから視線を逸らし、ソファーのひじ掛けに腰を下ろす。明るいところで見ると割と物が散乱していて、執務室は従者などが片付けているのかなと思う。猫じゃないというか、お前に飼われたつもりはない。と、今しがた言われたことを脳内で否定する。
「なあ、カーライル」
「はい」
「お前、私に何を求めてる」
「遊び相手たること。その一環として、純粋な反応を見たい」
 ポケットに手を入れ、私と向き合うように立っている男は、そう言っていくらか真面目な顔をした。
「そりゃスランプに関係する話か?」
「おや、ご存じでしたか。そうです。人の心の汚さに嫌気が差し、綺麗なものが作れなくなってしまった」
「でも、今は作れてる」
「いいえ……まあ、以前よりはまともでしょうけど」
「なんかあったんじゃないのか」
「どうでしょう。人の心は移ろいゆく、というだけかもしれませんよ」
「……聞かれたくないならそう言え」
「ふふ……ありがとう。やはり、あなたを引き留めてよかった」
 これは同情だ。そして自身の憧れを繋ぎとめるための肯定。ふっと笑って男はこちらに近づいてきた。思わず身を固くするが、逃げることはできない。私の矜持の問題だった。
「あなたが悲しい顔をする必要はありませんよ」
「してないだろ」
「ええ、そうですね」
 手が頭に乗せられ、俯く。こんな頭のおかしい男の言いなりになるなんて、どうかしている。でも、私がいることでこの男の心境が明るいものになるというのであれば、作品を愛している私としては喜びである。心はああいうものに強く影響するだろうから。組んだ手を見つめ、思案する。
「アトリエはいいのか」
「あなたを寝かしつけたら行きますよ」
「今行けばいいだろ」
「まだあなたを見ていたいので。……気に食わないですか?」
「呆れる」
「なるほど。面白い」
「はあ……勝手にしろ」
 見ていたところで何があるんだか分からないが、私は男にとって余程素直でからかいやすい人間なのだろう。こんなに汚れているのに。耳を撫でられるのにもだいぶ慣れてきた、というか、この男の距離感が少し掴めてきた。毛の少ない内側に指が触れ、若干の不快感で背中がぞわりと粟立つ。頭を振れば手は容易く離れていく。
 顔を上げると何とも言えない表情で私を見る男と目が合った。男はその場にしゃがみ、私の手を取りながら覗き込んでくる。溶けるような目だ。それでいて、熱が見えない。薄く、硬い膜に覆われたどろどろしたはちみつ。発せられる声と同じように微睡んだ速度で瞼がそれを優しく包んだり、曝け出したりする。
「キスをしても?」
 眺めていると唐突に言葉が落とされ、顔を顰める。
「なんでそこだけ許可とるんだ」
「暴れられては敵いませんから」
「はっ倒すぞ。断る権利があったら暴れねえよ」
「確かに。ふふ……嫌なら断っても構いませんよ。それくらいであなたに危害を加えたりしません」
「……またなんか企んでやがるな」
「まさか。あなたは初心ですからね」
「初心じゃないし、そういう問題でもない」
「初心でなかったら、初対面の男の前で無防備に寝たりしないでしょう」
「お前が断れなくしたんだろうが……」
「それに、私は別にあなたを怖がらせたいわけではありませんので、初心かどうかは大きな問題です」
「反応が見たいからか?」
「ええ。ですから、断ろうが受け入れようが、どちらでもいいんです」
「じゃ、断る」
「残念です」
 さほど残念とも思えない顔をして、男は立ち上がる。掴まれている手がそちらに緩く引かれるので、私も渋々腰を上げた。寂しい男だ。王子のくせに。芸術家というだけで孤独だろうに、立場はこいつを多少なりとも苦しめているのかもしれない。それで私が苦しめられるのは筋違いだが、私には王族の悲しみは理解できないので、上辺だけでも汲もうとするのは仕方のないことだろうと思った。
 整えられた布団を捲り上げるのが面倒で、男の導きを無視してその柔らかい寝床に膝をつける。する、と手が離されるのでそのまま倒れこむと、すぐにでも眠れそうな気がした。男は私の足が投げ出されているあたりに腰掛け、手を私の目線の先に置く。そこに体重をかけたらしく、反発できない羽毛がきちんと沈むのを見る。男の左手が尻尾に触れたのが分かり、思わず肩を揺らして冷たいベッドカバーに顔を押し付けた。やさしいにおい。
「一人で眠れる?」
 男の声には、何か不可思議な力が宿っているのではないかとすら。返事の代わりに尻尾を男の手から逃がし、自分の足につけて先だけ振った。小さく息を吐いたのが聞こえ、無防備がどうとか言われたのを思い出す。いつでも私は反撃できる、と思った。瞼の外の緩やかな甘さに浸りながら。
 男が何か言って、そこからいなくなったことに気づく。その時にはもう眠気に脳を支配されていて、尻尾を動かすことができたかも分からないまま、私は眠りに落ちた。