言い訳

 自分がどうするべきなのか、一日考えても答えは出なかった。彼に会いたくないと言ったら嘘になる。けれど、あれだけ人間を信用するなと言っておいて会いに行くのは、ずるくないだろうか。今更だとは理解しているが、どうしても考えてしまう。

「珍しい」

 従者が珈琲を私の前に置いて呟いた。部品から顔を上げると目が合う。

「なんだい」
「そのようにお悩みになるとは、余程お気に召したのですね」
「ああ、そうさ。困ったものだね」
「パーツのことですよ」
「野暮な男だ」

 調子の悪い懐中時計を分解し、男から貰ったパーツを取り付ける、慣れた作業だ。この程度ならば考えずともできる。だからこそ別のことに気をとられてしまうのだけれど。

「相変わらず分かりやすいですね、あなたは」
「ふん」
「如何なさるおつもりで」
「これで動かないようなら奥のギアを外すしかないな」
「やれやれ。それだから動かないのでしょう」
「じゃあお前がやるか?」
「そろそろ準備を始めませんと、間に合いませんよ」
「分かってる」

 とりあえず組み立てて工具をしまい、珈琲を飲む。私が毎晩のように人魚と交流していることを、この男は知っているらしかった。尾行だとかそういうことではない。単純に察する能力があるのだろう。
 宿を出て依頼主の家に向かっていると、メイン通りに人だかりができているのが見えた。雰囲気からしてユメクイが出たとかではないだろう。市場で品物を見ていた男に声をかけると、男はああと頷いた。

「こないだ王子が帰ってきただろ? 今日出航だからみんな集まってんだよ」
「随分突然決まるんだな」
「なんだ、あんた外の人か。うちじゃこれが普通だよ。夜明け前に黙って出立ってことも多いぐらいだ」
「へえ、そうなのか」
「あんたも行ってみなよ、滅多に会えないし」
「生憎仕事でね。教えてくれてありがとう」

 挨拶でもした方がいいかと思ったが、あの人ごみを行くのは面倒だ。しかしあの王子は国民から人気らしい。国に寄り付かない王子というのも珍しいけれど、それを慕う方もそうだ。まあ、見目も人当たりもいい男だからな。適当に結論づけて市場を抜ける。

「あ、姫様!」

 前方から依頼主が走ってくるので、足を止める。私に用事があったのか、荷物を持っている男に少し嫌な予感がする。

「どうしました」
「すみません、王子が今日出航だとさっき聞いて……私の船は港に停めてあるのですが、どかさないと……その、動かなくて」
「落ち着いて。要するに、急いで修理しなければならないということですか?」
「そ、そうなんです! お願いできますか?」
「もちろん。案内してください」
「はい!」

 大したことでなくてよかったと胸を撫で下ろし、早足で歩く男に続く。誰が言い出したのだか知らないが、一応国一の修理屋なのだ。
 特に問題もなく依頼を完了し、無事依頼主の船を移動させた頃にようやく件の王子がやってくる。船から下りてきた依頼主と支払いの旨を話していると、不意に王子と目が合った。嫌いではないが、まあ好きでも得意でもない。依頼主が去ってから、部下たちとなにやら話していた男はこちらに来た。

「やあ、姫君。ひと段落ついたところですか」
「ええ。王子は今日出航されるそうで」
「最後までいられなくてすまないね。どうです、この国は」
「あれからも、快適に過ごさせていただいてますよ。公務の都合がつけばずっといたいくらい」
「はは、光栄なことだ。そういえば、人魚とは会えた?」
「え? ああ、おかげさまで」
「水色の髪の、男の人魚かな」
「……ご存知なんですか」
「私が会ったのも彼だからね」

 サラサの言っていた会ったことのある人間の一人がこの王子だったらしい。確かに、話を聞いていると他の人魚は人間を警戒しているようだし、彼以外いないだろう。今まで気づかなかったのがおかしいくらいだ。

「最近見かけなかったからユメクイに襲われたのかと心配していたんだが……元気そうだね。姫は何度か話したんですか」
「そうですね、二回ほど」
「なら、次に会った時私のことを伝えておいてくれませんか。しばらく遠出する予定なんです」
「承りました。船旅、お気をつけて」
「ありがとう。またいつか」
「ええ、また」

 王子の船を見送ってから、一旦宿に戻ろうと思い歩き出す。休憩してから次に向かう予定だったが、予想外の前倒しがあったので、次の依頼まで時間ができてしまった。そういえば、結局時計が直っていない。
 宿に着き、花に水をやる主人と挨拶を交わしてから部屋へ上がる。窓を開け放つと涼しい空気が流れ込んできて、ため息を吐いた。椅子を窓に向け、鞄から煙草を取り出す。
 私は彼が羨ましい。立場を気にせず、人を信じて、自由に生きている彼のことが。もちろん彼から見たら、私たち人間の方が自由なのだろう。ある一部においてそれは確かに事実だ。肺いっぱいに吸い込んだ煙を吐き出し、遠くの波を見つめる。閑散としている浜辺とは反対に港には多くの人間がいて、それがどことなくおかしい。
 時計のパーツを頭で組み立てながら煙草を灰皿に押し付け、とりあえず珈琲でも淹れるかと思い立ち上がる。従者はどこかで任務を全うしているのだろうと働き者の男を頭に浮かべる。
 明日で公務の日程は完了する。どうせ会わなくなるのならこのまま喧嘩別れでも構わないのではという思いと、なおさら話した方がいいだろうという思いがあり、その比率は常に変化している。別に喧嘩をしたわけではない。彼は私にまた会いたいと言ったし、きっとそこに悪意は含まれないだろう。私は自分の失態が許せないのだ。思考の流れに彼を巻き込むべきでないことくらい、分かりきっていた。
 弁明などしたくはない。ただ話したい。彼の全容はなんとなく透けてしまったのに、それでも。