夢解く指先
タピオカが嫌いだ。酒が入っていない飲み物は基本的にあまり好きではないが、飲み物の中に異物が入っているのがまずおかしい。
酔っぱらっていると、どうしても普段より物事に対する執着というか、感情が薄くなる。飲んだ帰り道、コンビニに寄ってタピオカミルクティーを買った。目についたので運命だと思った。人間は運命という言葉で片付けるのが好きだ。特に、向上心のない若者は。
ぐにゃぐにゃした物体が口に入ってきて、顔をしかめる。とりあえず買ったものは飲んでしまおうと思い、飲みながら歩いていると何かが光った気がしてそちらを見た。
そこに男はいた。
口に入れた飲み物と黒い粒をそのままストローに戻すくらい、驚いてしまった。私は善人ではないが、世間一般で言う悪人でもない。ちょっと万引きをするくらいのもので、大それた理想や夢を持っているわけでもなく、日陰者らしく生きてきた。ヒーローが憎いだなんて思ったこともない。そのおかげで私みたいな人間ものうのうと生きていられると、すら。
警報が鳴っていた。見つかる前に逃げなくてはならなかった。路傍に停まっていた車を店にぶつけ、ガラスの割れる音を聞きながら、私は走り出した。
「おい、」
「んん……?」
「電話鳴ってる」
「うん……」
「ママって書いてあるぜ」
「あー……」
目を閉じたまま手を差し出すとスマホが乗せられる。不快なバイブ音が夢の中の警報と重なり、頭痛を増長させた。薄目で通話ボタンを押し、それを耳に当てる。
「もしもぉし」
『? この酔っ払い! 今どこで何してんのよ!』
「うるっ、……さいな」
『昨日いくらかけても出なかったから心配したじゃないの!』
「知らん知らん……マジでうるさい」
耳元で大声を出され、音量を下げる。男は起きたらしく、リビングを出ていく音がした。
『ママの誕生日ぐらい帰ってきてよー! すっごい寂しかったんだから!』
「あーいや……てかいい加減男作れば」
『いい男がいないんだもの! あんた元気にやってんの? なんでもいいから顔見せなさいよ!』
「うーん……まあ暇だったらね。用事そんだけ?」
『そんだけって何よ?!』
目が開かない。今何時だろう。一度耳からスマホを離し、無理やり目を開けて時間を確認する。朝の九時。馬鹿かこの女。戻ってきた男に手を伸ばし、ベッドに座らせる。
「じゃー切るよ」
『今度絶対来なさいよ!』
「はぁい」
のそのそと男の膝に這っていき、電話を切る。スマホの通知を眺めるが特に大事な用もなく、天気予報を開いた。
「親御さん?」
「うん」
今日は雨は降らなそうだ。指の腹で私の頭皮を撫でながら、男はテレビをつけた。そこからも天気予報が聞こえてくる。スマホの画面を落とし、閉じた瞼を肉厚な太ももに押し付ける。親御さん、なんて、大層な呼び方をする必要はない。こいつに親はいるのだろうか。いないわけはないが、想像がつかない。合理主義そう。
私が親と仲がいいことについて、何か感じただろうか。特別仲がいいとも思わないけれど、たぶん一般的にはいい方だろう。どうしてそんな家庭で育ったのに、こうなったのか、自分でも不思議で仕方ない。まあどうでもいいけど。とにかく今は男が頭を撫でるのが心地よく、何もかもどうでもいいという気持ちになる。
「気分は?」
「んーねむい」
「俺も」
「まあでも五時間寝たし、へいきかな」
「頑丈でなにより」
「言い方がわるい」
「そう?」
別に悪くないか、と思いながら、瞬きをする。スウェットから覗く下着。筋肉質な腹部。「うわっ」指で横腹をつつくと声を出し、大げさに反応した。「んっふふ」「やめなさいっての」ほとんど覚えていないが、寝る前の状況は容易に想像できる。
「つまむなつまむな」
私が下着をつけている、しかもキャミソールを着ているということはセックスはしていないはずだ。そもそもこいつはあまり私を抱こうとしない。性欲が減退する歳なのか、私をそういう風に見ていないのか、飲んでいて局部の調子が悪いか。
「何笑ってんだ」
「いや、ふふ……なんで裸?」
「そこ? お前に脱がされたんだよ」
「嘘だ」
「あれ、記憶あるの?」
「ないけど、嘘でしょ」
「が楽しそうに脱げって言うから脱いだ、ってのが正しいかな」
「私すぐ寝た?」
「たぶんな。いつから寝てたのかは分かんねえけど」
「ふーん。迫は?」
「俺もすぐ寝たよ。久しぶりにあんな飲んだし」
ゆっくりと体を起こし、男の首筋に顔を寄せる。若干汗っぽい匂いもするが、香水が残っている。何の香りだろう。男が抱きしめるように頭を撫でるので、それに浸ることにする。
初めて出会った時のことを、今でも鮮明に覚えている。雨は降っていなくて、星の見える夜だった。あの日も一人で飲んで、でもバイトをしていたから他人の財布を盗むなんてことはせず、適度に飲んで帰路についた。そういえばこいつが夢に出てきた気がする。おかしなことを言うから、こいつの存在が脳にこびりついてしまったのだ。いつの間にか閉じていた目を開け、男の首越しにテレビ画面を見る。まぶしい。
顔を男の肩から離し、こちらを窺う目を見る。形のいい吊り目が細められ、哀しんでいるような、愛しく思っているような表情になる。男の指が顎に触れ、私も、複雑な表情になったのが分かった。
「駄目だぜ、」
「え?」
「男の前でそんな目しちゃ」
「……女の前で、そんな顔しないでよ」
「そりゃ、……そうだよな」
呆れたのか、男は肩を竦め、それから、触れるだけのキスをした。何度しても胸が苦しくなる口づけ。きっと私たちは似た者同士で、だからこそ、永遠に交われないのだと思う。それでもよかった。私のために、こんなに迷いの滲んだキスをしてくれる、というだけで。
離れた唇を追うことはせず、一度目を合わせてから、私はベッドを降りた。男の手もすんなり離される。目が覚めてきたせいか、煙草が吸いたくて仕方ない。
「ねえ」
「ん」
「今度花束でもちょうだい」
「花束? なんで」
「なんでじゃなくて」
「じゃあ来る時連絡してくれよ」
「えっやだよ。頑張って把握して」
「なんだそりゃ。把握していいの?」
「なんで?」
「お前そういうの嫌がるだろ」
「うるさいな。よろしくね」
「はいはい、分かったよ」
帰ってきて吸ったらしくテーブルに放置してあった煙草の箱を手に取り、椅子に腰かける。歯も磨かずに寝てしまったようで、口の中ががさついていて気持ち悪い。男が自分のために用意したのであろう水を飲み、喉の渇きを自覚する。吸い込んだ煙のまずさが二日酔いと朝の気配を教えてくれた。