海底にてランデヴー
七時前に駅だからなと念を押され、適当に返事をしながら男の家を出る。財布はあげたのだから私がいなくてもいいのに。まあ、二名で予約して男だけで行っては格好がつかないし、私が約束を破ったら大人しく帰るだろうが。
元々十五万入っていた財布だ。タクシーを拾ってもいいかと思ったが、二日酔いにこの暑さでは、人間との会話なんて面倒くさいことはしていられない。幸いスーパーが近かったので、駐車場に向かう。いいじゃん、黄色のラパン。でもかわいいと目立つかな。物色しながら、念のために監視カメラの首を曲げておく。鍵はいいな、内部をいじれば言うことを聞くから。結局白の軽自動車に目星をつけ、鍵を開ける。開けてすぐ煙草の臭いがしたので、正義感の強いタイプの人間じゃないだろうと推測し、運転席に乗り込んだ。
しばらく車を走らせ、信号待ちの隙に煙草を手元に引き寄せる。焼肉、いっぱい食べたいし、帰ったら全部吐いておこう。火をつける。平日の昼間は道も空いていて、ドライブにはもってこいだ。自宅に戻る気分じゃなくなったから、どこか女の家に入ってシャワーと服を借りてしまうか。吐き出した煙の向こうで、信号が青に変わる。安い化粧品は使いたくないな。
都合のいいことに一軒目で全てが揃ったので(いい化粧品も服も山ほどあった)、自宅に戻る必要はなくなった。盗品でデートに行ったら、さすがに引くだろうか。迷いが生じる度、私もまだまだ若いなと思う。そんなことで引くようなやつだとはとても思えないし、私より余程悪事を重ねているはずだ。そうでなければ、あんなに素性を隠そうとするわけがない。まあ、単に慎重というのもあるだろうが。
盗みに入った家の女の個人情報を使ってネットカフェの会員カードを作り、そこで二時間仮眠をとった。スマホのアラームで目を覚まし、寝ぼけながら煙草に火をつける。不在着信が何件か。一人で眠ったおかげで思考がだいぶすっきりしている。そのままぼーっとニュースを眺めていたら、ついさっき起きたらしい個性事件の映像が流れた。ただのコンビニ強盗だ。しかも、未遂でヒーローに捕まっている。どうせやるならもっと大きいところにすればいいのに。灰を落とすついでに伝票を確認し、化粧を始めないと間に合わないなと思う。
電車を降り、エスカレーターで改札階へ。仕事終わりらしき人間が行き交っている。迫は見当たらない。前の男がリュックから取り出したICカードを引き寄せ、それで改札を通る。残高八千円弱。もらっておこう。
デートだけで喜んでくれたのにか。イケメンだもん、って? 馬鹿馬鹿しい。醒めたと思っていたが、まだ酒が残っていたのだろう。
人込みにもまれながら開けた場所に出ると、ぱっと柱に寄り掛かる迫の姿が視界に入った。腕を組んであたりを見ている。不意にやつの視線がこちらに向き、目が合う。サングラスのおかげで視線には気づかれていないだろうが、心地が悪い。組んでいた腕をポケットに移動させ、男はスマホの画面をちらと見た。
「待った?」
「デートの時の男なんざ、待つのが仕事みてえなもんだからな」
「待ってんじゃん」
「そりゃそうだ。俺の方が先に着いてんだから」
「デートっぽいこと言ってくれる?」
「あー、俺も今来たとこ」
「言うんだ……」
「マジでさっき着いたとこだしな。行こうぜ」
手を差し出され、驚いて一瞬間を空けてしまう。自覚があるのかないのか、この男はよく私に触れる。怖がらないと思っているのだろうか。怖くはないが、怖がらないと思ってやっているならイカレているか、私への信用が篤いかだ。今朝も言われたが私がこいつを好きすぎるということだろう。クソ野郎。
「?」
「……うん。あんたさ」
「ん?」
「もったいないね」
「え、何が?」
「なんでもない」
迫は自分の発言を忘れたらしく(どうだか知らないがあくまでそういうことにしたいらしく)、分からないという顔をしている。仕方なく手を繋いでやり、先に歩き出した。
「やっぱ酒入ってないと機嫌悪いな」
「一言余計なんだよ」
「はは、こえー」
たらふく食べて、ついでに酒を飲んで、私は迫の言うように機嫌がよくなった。たぶん、今まで出会ったやつらが思うより私は単純だし、迫が思うより、私は迫といる時に機嫌がいい。店を出て空を見上げる。今日は薄らとだが星が見えて、そのことにも気を良くした私は、顔を上げたまま迫に視線を移した。
「いやー食ったな」
少しだけ間抜けな横顔を数秒眺め、曖昧に相槌を打つ。見ていることに気づいたのか、迫がこちらを向き、腕を組んだ。
「飲み足りないだろ?」
その言葉が、なんだかおかしくて、笑いだしてしまう。
「あれ、割といい感じに酔ってんな。帰る?」
「どこに?」
「俺ん家」
「やだ」
「じゃん家」
「やだ」
「うーん。おじさんが音を上げるまで歩く?」
「うん」
「はいはい、おーせのままに」
記憶にないが、前にデートごっこをした時、私がそう言ったのだろう。歩き出した男の背を追い、ヒールを鳴らす。もっと飲みたい。完全に依存症だ。ほとんど毎日、馬鹿みたいに飲んで疲れきってからでないと、満足に眠れやしない。
「さこぉ」
「ん?」
「おいしかったね」
「そうだな。またやらかしたら行こう」
「えー次はそっちが出してよ」
「俺はちっちゃい悪さはしないの」
「馬鹿じゃん、そんな便利な個性しといて」
「ま、よか向いてるかもな」
駅までの道を外れ、住宅街へ向かっていく。小さいことしかできない私への当てつけだろうか。でも、だから一緒にいるのだ。怖くなって、男の手を掴む。私はちょっと楽に生きられるだけの弱い個性しかない。犯罪者なのに、そちらに落ちきれるだけの度量もなく、ただだらだらと生きている。
「でも、便利だぜ。お前の個性も」
「そうだけど……」
「無駄に持ち物増やさずに済む。そう悲観的になるなって」
「私あんたがいないと駄目みたいじゃん」
不意に、指が絡む。
「いい男だからって油断すんなよ。人生変わっちまうから」
体温に気を遣わない指先に心臓が跳ね、見上げざるを得ない。淡々と、いつも通りのトーンで言った男は、やはり笑っている。似たようなことを前にも言われたな、と思う。その時から変わらずに隣にいられることを、嬉しく思う自分に気づく。
人生が変わるというのは、どういうことなのだろう。想定していた人生から外れるのか、劇的な変化が訪れるのか。緩やかに状況は変わっていくものだし、それを言うなら迫と出会った時にすっかり変わってしまった。それを分かっていて言ったなら大したものだ。そもそもいい男相手の方が油断はできないだろうとどうでもいい反論が頭に浮かぶ。
「酔ってんでしょ」
「多少な」
想像通りの答えに安心し、一旦センチメンタルを脳の隅に追いやる。酔っ払い同士なら何も構いやしない。
どれだけ歩いたのか、いつの間にか人通りはほとんどなくなっていた。時間の感覚がない。道の端で立ち止まり、男の手を離す。鞄の底から形の歪んだ煙草の箱を引っ張り出し、数時間ぶりのそれに火をつけた。
「なあ」
「なに?」
「俺のどこが好き?」
「うわっ何? そのクソダサい質問」
「ずっと気になっててよぉ。ダサいかな?」
「ダサいよ。自分で考えなそんぐらい」
「顔?」
「自覚があっていいね」
「あとなんだろ」
「いつまで続けんの?」
「俺はの素直なとこが好き」
「んふふ」
「すぐ機嫌よくなるしな。かわいいやつ」
「やだぁ。車盗んでこよーかな」
「なんで?!」
「たのしいから!」
別にいいか、人生のことなんて。煙を吐き出しながらわらう。小さいことだけして、こいつの役に立てるならそれでよかった。迫は呆れたように苦言を呈しながらも、結局はやりたいようにさせてくれる。ヒーローじゃそうはいかないだろう。一軒家の先に停めてあった水色のワゴン車を盗み、迫を助手席に乗せて走り出す。どこまでも行ってしまいたいと願いながら。