悪い子と悪い事
星の見えない夜空に、ため息。ここ数日は梅雨らしくなく、降ったとしても小雨で、時折晴れ間も見える。毎日同じような天気予報を見ていると気が滅入るが、今日も元気に酒を飲んだ。そんな自分にこそ、嫌気が差すべきなのかもしれない。
室内の鍵を見て手首をその場で回す。悪くなろうと思えばいくらでもなれる世の中だと思っていたのだが、どうやら普通は違うらしい。ずらしていたサングラスをかけ直し、ドアを開ける。意外と人は犯罪行為に抵抗があるのだ。
「あのなあ」
この男とばかりいるせいだろうか。それとも、生まれ持った個性の。男を一瞥し、鞄をベッドに放る。
「何度も言ってるけど、一回インターホン鳴らしなさいって」
「やだ」
「どうして」
「酔ってるから」
「関係ねえよ」
パソコンで何か作業をしていたらしい男は、組んだ足を解いてコーヒーを飲んだ。関係はないが、だからなんだという話だ。犯罪者同士で正しい会話をする必要はないし、だいぶ醒めたとはいえ私は酔っている。サングラスも鞄のあたりに放り、化粧を落とすために洗面所に向かった。
数週間ぶりに来たが相変わらず綺麗に整頓された家だ。元々がこだわりの強い性格なのだろう。自分以外はどうでもいいようで、私が何をしても基本的には文句をつけてこないけれど。
リビングに戻ると、男はパソコンを閉じ、立ったままスマホをいじっていた。久しくTシャツにスウェットというラフな格好を見ていなかったので、なんだか不思議な感じがする。
「スウェット久しぶりに見た」
「ていうか、来るのが久しぶりだろ」
「寂しかった? 私も」
「はいはい。どこで飲んできたの?」
「地元ー」
「もー、すーぐ勝手に開けるんだから」
「あれっ私のパジャマは?」
「ああ、しまっちゃったよ。ほら」
男がテーブルに置いてあった玉を手に取り、指を鳴らす。そうして現れた段ボールの中に私の物が詰め込まれていた。部屋着と、下着と、サングラス等々。大体飲んで気が向いた時に来るので、何も持たずに来ても大丈夫なように置いている。邪魔だったのだろうが、それをテーブルに置いておくのがこいつらしい。
「ご飯食べた?」
「食ってねえけど、外出る気分じゃねえな」
「かわいそう」
「作ってよ」
「ないでしょ」
「そりゃ残念」
男は笑いながらリビングのドアを開けた。特に残念そうではないし、トイレから戻ってくる頃には会話ごと忘れているかもしれない。見た目よりは律儀だが、どうでもいいことをすぐに割り切る適当さもちゃんとある男だ。今のうちに着替えてしまおうと服の裾に手をかける。
迫との付き合いももう何ヶ月になるだろう。長くはないが、短くもない。下着姿でうろつくこともあるので、目の前で着替えてもいいのだが、また思ってもいないことをごちゃごちゃと述べられるのは面倒だ。
着替え終わり、充電器を取り出すために鞄を開ける。個性使ってなんかやりたいって気持ちはちょっと分かるな。そこにあった黒い財布を見て、バーでたまたま隣にいた客がニュースを眺めながら呟いた言葉を思い出す。でも別に、法を犯したいとは思わないなあ。グラスの中身に指を向け、彼は酒を空中に持ち上げてハートの形に変えた。指をゆっくりと下ろすとその速度でグラスに戻っていく。少量なら操れるんだ。へえ、かわいい。君のサングラスは、個性に関係するもの? そう、ビームが出るの。ええっ、怖いなあ。あはは、うそうそ。ただのオシャレだよ。そう言って目を見せてやれば男は安心したように笑った。法を犯したいと思っているわけではないのだとは言わなかった。腹が立ったので、財布を盗んでしまったけれど。
「財布変えた?」
トイレついでにコーヒーを淹れていたらしい男が、リビングに入ってくるなり言った。
「盗んだ」
「手癖悪ィなあ。俺みたい」
「十万入ってる。明日焼肉行こうよ」
「おっそりゃいい。予約しちゃおっと」
「調子のいいおっさん」
「おじさんにして」
「一緒じゃん」
「ちげぇんだな、これが」
何歳だか知らないが、自称するのでおじさんではあるのだろう。大して気にもしていないくせに、注文をつけないでほしい。男は椅子に腰かけ、背もたれに肘をつきながらスマホを操作し始めた。財布を男に投げ、キャッチを見届けてから今度こそ充電器を手に取る。それをスマホに挿し、ズボンのポケットに入れていた箱を引っ張り出した。
「あ、煙草か。灰皿洗っちまったよ」
「え、灰皿洗ったの?」
「来ねえからいいかと思って、昨日そのへん片づけるついでに洗ったんだよ」
「A型みたい……」
「なに? はい」
「ありがと。A型みたいって言った」
「なんだそりゃ。血液型で人を判断するんじゃない」
話しながらキッチンに行き、灰皿を取ってきてくれた男は、呆れた顔をした。もっともらしいことを言っているので私が呆れてしまう。それに、よく言われる特徴と一致しているという意味であって、別に迫の血液型を知った上で貶めているわけではない。知らないし。一本取り出し、火をつけてからテーブルの方に移動する。男の向かいに座り、煙を吸い込むと、頭痛の波が押し寄せてきた。
「頭いてー」
「飲みすぎだ」
「唯一の楽しみなんだよ」
「俺とのデートは?」
「予約できた?」
「もちろん」
「デートの相手おっさんかあ」
「おじさんは若い女の子とデートできて嬉しいよ」
「キモい」
「ひでえなあ、出会った頃はデートだけで喜んでくれたのに」
「イケメンだもん」
「そりゃよかった」
灰を落とし、テレビをつける。通販番組くらいしかやっていないことを番組表で確認して、煙を吐き出した。顔がよく、個性も強くて、悪事に抵抗がない。ただの飲んだくれだった私の人生に光が差した瞬間だ、嬉しいに決まっている。
「シャワー浴びねえの?」
「一緒に入る?」
「男を気軽に風呂に誘うんじゃねーよ」
「おっさんくさい」
「うるさい。今度ね」
「やったぁ」
「いけねェ、がかわいく見えるぜ」
「は? いつもかわいいんですけど」
「あーそうだったそうだった」
手をひらひらさせる迫にむっとする。かわいいと思ってほしいわけではないが、こいつの態度は腹が立つので思わせたい。半分も吸っていない煙草を灰皿に押し付け、テーブルに肘をつく。汗をかいたし風呂には入るべきだ、でも眠いし頭も痛い。気持ち悪さを誤魔化すためにあくびをし、怪しいサプリの情報を眺める。
「いくらでも男捕まえられるだろ、かわいいんだから。もったいねえな」
唐突に男が言うので、驚いて顔を向けた。男の目はテレビを向いていたが、私がそちらを見たことで目が合うことになる。別段大げさに冗談を言っている風でもない。余計なものを見たくないので、テレビに視線を戻す。
「弱気じゃん。頭でも打った?」
「いや、俺はいい男だけどさ」
「引くわ……」
「え、俺を褒めてくれる流れだったよね」
「馬鹿さ加減に呆れちゃった」
「若者がトラウマになりそう」
「そっちこそ私を家に上げてくれるじゃん」
「勝手に上がってきてんだろ?!」
「殺せばいいのに」
「俺は殺人鬼じゃないし、お前を気に入ってる」
「最初からそう言って」
「俺もそう思う」
「ごめんでしょ」
「ごめんごめん」
「繰り返すな」
「こりゃ失敬」
「私が殺人鬼だったらなあ」
「俺を殺してた?」
「どう思う?」
ちらと男を窺うと、また目が合ってしまった。ずっと観察されていたのだろうか。この野郎。
「ねえな。ちょっと俺を好きすぎだぜ、」
楽しげに言い、男は肩を竦めた。軽口を返せなかった時点で私の負けは確定している。黙って男から目を逸らし、手を動かして再びクローゼットのドアを引く。
「その距離歩いた方が早いだろ」
「足が動かない」
「そりゃ病気だな。怠惰ってやつ」
「じゃあ迫が取ればいいじゃん」
「意味分かんねえよ」
一番下の段を開け、そこから丁寧に畳まれたバスタオルを手元に持ってくる。淡く花のような柔軟剤が香り、嫌気が差す。曇り空の下にいるわけでも、天気予報を見ているわけでも、酒を飲んでいるわけでもないのに。
「連れてって」
「しばらく会わないうちにお姫様にでもなったのか?」
「姫だよ」
「さしずめ俺は、王国お抱えの手品師ってとこか」
「そんなもん抱えないでしょ」
足元に置きっぱなしだった段ボールから下着を引っ張り出し、立ち上がる。
「立てるじゃねえか」
「え、私のことなんだと思ってんの?」
「お姫様だと思ってた俺が悪かったよ……」
その場で伸びをし、凝り固まった肩や背中を伝う心地よい痛みを享受する。機嫌が元に戻ったので、負けてくれた男を横目に風呂場に向かった。
私は言うほど若くもないし、もちろんお姫様なんかではない。偶然出会った自称エンターテイナーの変人と悪事に手を染めるだけの、ただの悪人。迫のいる生活はある程度の緊張感を持ちながらも、ゆっくりと進んでいく。このクソみたいな世界を変えるため、私はそれに準じるだけだ。