どうかここから突き落とさないで
久しぶりと言うほど久しぶりでもなければ、何ならこの人とちゃんと話すのは二回目である。そもそもどうしてまた、という疑問と、こうして続けることができるのだろうかという期待があった。
「職場の?」
「ええ」
「追い出したみたいになってごめん」
「この間一緒にいるところを見られていて……そういう話題が好きな子なので」
「あはは。だから俺見てびっくりしてたんだ」
「すみません」
「俺のことでも話してたのかと思った」
「……わざとですか?」
「ばれた?」
私たちの会話がたまたま聞こえていたのだろう。そうでなくともゼタの対応と雰囲気で推測はできる。今の言葉に何の意味があったのだろうか。確認? なんにせよ、うまい人だ。色々なことが。
「そういえば、お仕事早く終わったんですね」
「あー、うん。元々そんなにかかるとは思ってなかったんだけど」
ふっと彼が窓の外に視線を移す。すぐに私に向かって笑顔を見せたけれど、一瞬見えた真面目な表情が焼き付いてしまう。仕事の時はスイッチが入るタイプの人のようだ。まあ、一週間で終わってよかったよ。本当に安堵しているような顔でそう言って、彼はグラスの中身を揺らす。……不思議な人だ。なんだろう。やっぱり、ただの好青年には見えない。
「そっちは何かあった?」
「いえ、特には」
「毎日仕事?」
「まあ……友人と飲んだりはしましたけど。面白いことは何も」
「えー、つまんないな。君の話楽しみにしてたのに」
「なんですか、それ」
「でも、なんか疲れてない?」
「色々ありまして」
「あったんじゃん」
「話すようなことでもないですから」
「気になるだろ、それじゃ」
苦笑する彼から目をそらす。隠されると聞きたくなるのが人の性ということか。別に隠さなければいけないことでもなかったのに、隠しているような言い方になってしまった。グラスの結露を親指で撫で、頭の中を整理する。しかしよく考えてみたら告白されたわけでもない、ただ食事の誘いを断っただけだ。やはり特に何も起きていないというのが正しい回答だったのだ。とりあえずここで引っ込めるとまた面倒な会話が生まれそうだったので、口を開く。
「職場の後輩から食事に誘われて、断ったところで」
「男?」
「まあ……さっきはその話をしていたんです」
「ああ、なるほどね」
「嫌いなわけではないんですが」
「苦手?」
「いえ、なんていうか……」
「興味ないんだ」
「そうですね。それが一番近いかもしれません」
興味がないのか。確かに、あの子をそういう風には見れない。ただ、興味がないから断ったというよりは、牽制の意味合いが強かった気がする。彼がもう一度、なるほど、と呟く。グラスから視線を上げると、同じように私のグラスを見ていたらしい彼と目が合う。思ってもいないことを言っているのではない。でも、別のことを考えている。どうでもいいということだろう。結局、私から目をそらしてしまう。
「すみません」
「何が?」
口をついて出てきた謝罪、それを聞き返す彼にも、少しだけ困惑する。面白くもない話をしたことを謝るのは、今この場において正しいのだろうか。ぱっと答えることができずにいれば、自然に彼が笑う。
「俺別に怒ってないよ」
「ええ。そうですよね」
「でも一ついい?」
「どうぞ」
「今の話さ、俺には興味があるって言ってるようなものだけど、いいの?」
少しだけ……私は困惑とか、じゃなくて……。
困ったように、穏やかに、余裕そうに、なんだか複雑な笑顔。そこから目を離せない。いいの、って、それは一体どういう意味で? 彼が一度私から窓へと視線を動かし、それから逡巡の後にまた目を見てくる。今度は私が逸らす番だった。唇が渇いている。
「今日……」
「ん?」
「この後何かご予定は?」
半ば祈るような気持ちだった。この間また行こうと言われたのだし、きっと応えてくれると分かっている。けれど、ならば何が怖いのだろう。この人に興味を持つこと? このまま何かが……。
「君とご飯行く予定」
ああ、エメラルド色の瞳を見ていられない。