甘くないわと舌遊び
気まずい。顔に出ていなかっただろうか。三人がフロアを後にして小さくため息を吐く。
仕事に私情は挟みたくないので仕事の話をしている間は気にしていなかったが、向こうはやはり多少表情が強ばっていた。かわいそうなことをしたか、いや中途半端に隙を見せてもな、と今さら考える。コスティとゼタは先輩を連れて昼休憩に出た。ラップをはがし、サンドイッチをかじる。ゼタは年上に甘えるのも年下を甘やかすのもうまい。少しの羨望と、楽できる喜び。あのウィンクに今ばかりは感謝している。
今日はドーナツを食べたい。……パンにトマトソースを塗りすぎた。
定時を過ぎ、一息ついてスマホを見ると先に帰ったゼタからメッセージが来ていた。終わったら電話して。了承の返事をして化粧室へ立つ。明日も早いし、夕飯前に帰してくれればいいけど。と、ちょうどフロアに入ってきた先輩と目が合い先輩が、あ、と言った。
「ちゃん、もう帰る?」
「何か?」
「お茶でもどう」
「ええと……これからゼタと会う予定なので、あの子さえよければ」
「ああ、いやいや。邪魔したら悪いしまた誘うよ」
「すみません」
昼に二人から何か聞いたのだろうか。まあ、あの人なら何もなくても誘ってくるとは思うが、タイミングのせいで勘ぐってしまう。後ろから、先輩が他の先輩から誘われているのが聞こえた。
会社を出てゼタと待ち合わせしている喫茶店へ向かう。さすがにこの時間はまだ汗ばむ暑さだ。思ったよりも遅くなってしまったなと思いながら日傘を差す。別にあの喫茶店である必要はなかったのだが、元々行きたかったしゼタはどこでもいいと言うのであそこにしたのだ。
店に入るとすぐに窓際のソファー席にいるゼタが目に入る。あまり空席が見えないが、荷物の多い彼女は混んでいてもいなくても四人掛けを選ぶ。席に行くまでになんとなく探してしまっている自分に気づき、ため息を吐いた。
「お待たせ」
「、お疲れ」
「マルコスさんに誘われたんだけど」
「うん」
「ゼタがよければ、って言ったらじゃあまたって」
「やな男!」
そう言いながらもゼタは笑っている。誰彼構わず声をかける同士気が合うのか、よくお昼も一緒に行っているような印象がある。彼が女二人への気遣いから断ったことくらいゼタには分かっているはずだ。注文をとりにきた店員にものを伝える。
少しして運ばれてきたアイスコーヒーにストローを差し、ドーナツに手を伸ばす。
「それでどうしたのよ」
「あの子ほんとにあんたのこと好きみたい。ショック受けてたよ」
「……お昼に慰めてたの?」
「そー、まあ先輩は笑ってたけど」
「理解できないんでしょう」
「マルコスさんが食事を断られるところ、想像つかないもんね。それに、断られたってショックも受けなさそう」
「そうね」
相変わらずそんなにおいしくもないと思いながら咀嚼する。甘さはちょうどいいし好きではあるのだが、おいしさで言ったら他の店には敵わない。
コスティの好きとは恋愛感情なのだろうか。世話を焼いてくれた先輩への憧れ止まりだとありがたい。自分で言うのはおかしいけれど。ゼタがクリームを押し込みながらグラスの中身をかき混ぜている。氷の音。唇についたドーナツのかけらを拭ったところでゼタが声を漏らしたので彼女の顔を見る。その視線はグラスから私へと移った。
「そういえば、例の彼はどうなったの?」
「会ってないわよ。まだ海外じゃない?」
「あ、仕事だっけ」
「ええ」
「ちらっとしか見てないけど、彼このへんの出じゃなさそう。仕事何してるか聞きなよ」
「聞いたわよ。はぐらかされたの」
「やっぱり怪しい人じゃない」
残りを全て口に入れる。怪しいことは今の私にとって何も問題ではない。ゼタは呆れたようにため息を吐いたので、私の考えが分かったのだろう。ドーナツを飲み込んで、ストローをくわえる。
人の気配に気づくと同時に、向かいの彼女が驚いた声を出した。
「?」
はっと顔を上げる。男と目が合う。どうしてここに。いや、ここにいることはおかしくないけれど。彼がふっと笑って席を差す。
「ここいい?」
「え」
思わず周りの席を伺って、それなりに混んでいる、この人は知り合いで、ここは席が空いていると考える。向かいのゼタにはもちろん拒む様子がない。手をウェットティッシュで拭き、隣に置いていた鞄を自分の後ろに移動させた。ありがと、と言う声。……何回考えてもまだ九日しか経っていない。
「の友達?」
「あ、ゼタです。初めまして」
「俺シャルナーク。ごめんね、邪魔して」
「全然! なんならあたし帰るよ、話したいこと話したし」
楽しそうな顔だ。知らずため息が漏れる。これは私に決定権があるのだろうか。と思っていると隣の彼が言った。
「じゃ、今日は借りるね」
「どうぞどうぞ。じゃあね! また明日」
「え、あ、ゼタ、明日八時だからね」
「分かってるって」
笑顔で去って行ったゼタに混乱が悪化する。私は今彼女に売られたのだろうか。その言い方がおかしいのは分かるのだが、いや貸し出されたのか……? 借りるねって、なんなんだ? 男が立ち上がり向かいへと移る。不意に、この人は意外と視線が強いなと思う。目を合わせられるような。ああ、久しぶりだ。今までも週に一回会うか会わないか程度だったはずなのに。
「ただいま」
「……おかえりなさい」
「びっくりした?」
「ええ」
あはは、と笑う声が心臓を揺らす。どうにか目を逸らし、グラスを掴んだ。驚くに決まっている。確かにどのくらいかかるかは分からないと聞いたが、二週間は戻ってこないものだと思い込んでしまった。思った以上に私は動揺している。らしい。かき混ぜると氷がぶつかり音を鳴らす。また、ストローに口をつける。苦い。