冷えた体にスパイスが染みる

 常連をやっていると他の常連客もおのずと分かるようになる。最近気づいたのだが、きれいな金髪の彼はあそこの店の常連らしい。私も毎日行っていたわけではないので、もしかしたらほとんどすれ違いになっていただけなのかもしれなかった。
 よく見ると彼は髪の毛だけでなく顔立ちもきれいだった。体つきさえなければかわいいという表現が似合ってしまうような。それから淀みなく笑顔を見せる。たまに誰かと一緒にいる時、その笑顔はいかんなく発揮される。
 要するに好青年なのだ。だからなんとなく探してしまうのだろうかと思ったが、しかしそれだけではない気がする。好青年というだけではない、彼にはきっと何かがある。はっきりとした根拠はない。ただの推測だ。けれど、同じような日々の繰り返しの中、久しぶりの変化に楽しくなっているというのもある。

 そのうち彼が常連だと気づいてから二か月ほど経過した。あまり認めたくはないがどうやら私はこの店に来る頻度が上がったらしい。いい大人が何をやっているのかと虚しくなる。元々店員に顔を覚えられているだろうとは思っていたが、今は確実にそうだ。
 喫茶店の冷房は涼しすぎる。けれどだからと言ってテラス席では少し暑いので、上着を羽織っている。温度の下がったコーヒーはおいしくない。キリのいいところまで読んだら一度帰って、今日は久しぶりに外食にしよう。そう思っていると隣の隣に人が座ったのが分かる。なんとはなしに顔を向けるとばっちり目が合ってしまった。
 顔を上げなければよかった。

「いつもいるよね」

 どう考えても、私に向けられたものだった。なんでこの人は私に声をかけたのだろう。軽い混乱を感じる。何度か瞬きするも彼の目が逸らされることはなく、仕方がないので私から逸らす。かろうじて出てきた言葉は、あなたこそ、というものだった。彼がかすかに声を上げて笑う。屈託のない笑み。……けれどやはり、ただの好青年ではない気がする。
 たったそれだけの会話だった。すぐに私は本に意識を戻してしまったし、彼からも言葉が出てくることはなく時間が過ぎる。思った以上に集中していたのだと気づいたのは腕時計を見た時だった。もう六時半だ。さすがにそろそろ帰ろう。本をしまい立ち上がると、彼の背中が視界に入る。そういえばこんな近くに座ったのは初めてだ、とくだらないことを考える。何か言うべきかと思ったが別に知り合いでもないし、と、私はそのまま店を出た。

 後輩くんと話している時、その出来事がいつまでも心に居座っていると気づかされた。子守放棄に失敗したわけではないが、どうしても一緒に仕事をする機会はある。昼頃ゼリーを飲んでいると、いつもそれで栄養偏らないんですか、と言われた。まさかこの男がそんな意見を述べるとは思わなかったので面食らったのだけれど、それ以上に、何故か彼のことを思い出した。たぶん、いつもという単語と後輩くんの声の高さが原因だろう。決して高すぎないが低くもない声。あの一言でそこまで認識していたという事実に我ながら引いたし、もう聞くこともないだろうと思った。
 一週間ほど顔を出していなかったのを、思い出したというだけで行くのはどうかと思う。単純すぎる。別に彼を見たいわけではないのだ。ない、はずなのだ。
 しかしそんな思い込みは無駄だったと、金髪を見て理解した。これではまるで──。いや、考えたくもない。彼が顔を上げたのでなんとなく会釈すると、人のいい笑顔を返された。

 スマホで友人と連絡をとっていると、いきなりテーブルに手が現れて驚く。

「俺の向かい、空いてたのに」

 何を言っているのか最初全く理解できなかった。一旦スマホの画面を落とし、彼の座っていた方を見る。トレーも荷物もある。つまり話しかけにきたということなのだろうか。一体何故? 結局意図がつかめず、彼の顔に目を戻すと彼は肩をすくめた。

「こっち来なよ」
「……え?」
「ついでに、今日ご飯でもどう?」
「……ええと、とりあえず、移動しますので」
「うん」

 ナンパだ。これ、ナンパだ、ともう一度心の中で呟く。今までにナンパをされたことがないわけではないが、ここまで動揺したのは初めてだった。だって、意味が分からない。冷静になろうと努めても心音は治まらない。「これではまるで」? これはまさしく、だ。