ホットコーヒー、それからドーナツ
抱えていた案件が片付いてようやく安心できた。この二か月で後輩はだいぶ育ったしもうそろそろ私に全てが押し付けられることはなくなるだろう。二か月前までは毎日できていた定時前退社がこれからまたしばらくできるとあっては、嬉しくなるのも当然だった。もとより定時なんて気にせず帰ってしまう人間の多いこの会社でそんなにきっちり仕事をする必要もないのかもしれないけれど。
大体あの後輩は仕事ができないにもほどがある。まあそれだけならいいが、その世話を私に任せて簡単な案件に逃げた同僚にはさすがにため息が出る。は真面目だからなあなんて言われて、言い返せなかった私も私だ。
コーヒー一杯とドーナツで長居することは珍しくない。本にしおりを挟み、一度テーブルに置いた。スマホを見れば件の後輩から謝罪のメール。今度ご飯でもおごるので、とあるそれをやんわりと断りつつ、大きなミスがなかったことを褒めてあげる。出来の悪い後輩を抱えるのは初めてだったが、なんだか私は先輩業が板についているらしい。スマホを置く。五時になったら出ようと思いながら再び本を開く。
がたん。
背後の椅子が大きく音を立てる。そこで五時近くになっていたことに気づき、店を出る仕度をする。長袖に薄手のカーディガンだけで済む季節になった。先月までは寒い上雨が降り続いて困ったが、それももうかなり落ち着いたし、やはり天気がいいと気分もいい。鞄を肩にかけて歩き出す。
店を出る時、入り口で男とすれ違った。ぶつかりそうになり鞄を体に寄せると、軽く会釈された。
きれいな金髪。
それ以上の感想が出てくる前に私は男から視線をそらし、帰路についたのだった。
一度家に帰って着替えてから、スーパーやら本屋やらに行くため駅に出た。今日の夕飯は何にしよう。考えているとスマホが着信を告げる。
「もしもし」
『! これから飲まない?』
「悪いけど、遠慮しとくわ。ようやく仕事が一段落したところで」
『前に話してたやつ? よかったじゃない。祝杯を』
「ごめんなさい。今日はゆっくり過ごしたいから、また今度ね」
『あらそう、残念だわ。またね!』
歳かなあと思う。前は次の日が仕事だろうがなんだろうが、なるべく誘いは断らないようにしていたのに。ゆっくりしたいだとか、一人になりたいと思うのはきっとそういうことなのだろう。
好きな作家の新刊を買い、しばらく立ち読みをしてからそこを出る。一人で買い物をする時間はとても気楽で穏やかだ。人付き合いが苦手というわけではないが、一人の方が楽なことは確かだった。後輩くんの子守からも解放されたし、今日は飲もうか。この間買ったウイスキーが残っていたはずだ。そうと決まればウイスキーに合うものを作ろう。
生活のペースがほとんど変わらないので、目覚ましなどなくとも自然に目が覚める。何も用事がなければ夕方に一時間ほど眠るし、起床時間が早すぎても問題ない。コーヒーを入れるためお湯を沸かしている間に適当に野菜を盛る。それからパンを一つ皿に出して、その二つをテーブルに並べた。
パンをかじりながら、嫌な夢を見たなと思い出す。今さらあんなに前の元彼が出てくるなんて。別れてもう二年は経つはずだ。それに期間も長くなかった。そうか、二年も経つのかと思う。学生時代以来の彼氏だったが半年ほどで破局し、もうしばらくいらないなと思った記憶がある。今でもその思いは変わっていない。そこで何故かあの金髪が頭をよぎる。……顔もはっきり覚えていないのは、昨晩のアルコールのせいだろうか。
私には気に入っている喫茶店がいくつかある。昨日のところは一番よく行くが、料理の種類が少ない上にコーヒー以外はさしておいしくない(ただし、コーヒーはどれもとてもおいしい)。今日は駅の方の喫茶店に行こう、と思う。あそこのトーストは絶品だ。
そして私は出社の準備を始める。