仕組まれた雨を飲む

 数週間後、デュカキスの母親から手紙が届いた。あの場に私がいたとは知らず、単に息子と付き合いのあった人間に息子の死を知らせるためのものだった。これだけ時間がかかったのには精神的な問題が大きくあったのだろう。もちろん物理的なものもあっただろうけれど。
 よく考えたら「家」として交流がありそれがここまで続いていたのはあそこだけなのだ。一人遺された母親はどんな気持ちでこれを私に送ってきたのだろう。思わず笑いが漏れた。

「読みますか?」
「訃報以外に何か」
「いいえ」
「カードはご自分でお書きになりますか?」
「いえ、諸々お願いします。適当でいいですよ」
「かしこまりました」
「助けたら少しは懐が潤ったのですが、ごめんなさい」
「お嬢様の責任ではございません」
「そうですか」

 私が殺したとは一言も言っていない。しかしそれを知ってもこの男はこう言っただろうという確信がある。この男も、の亡霊に憑りつかれている人間の一人なのだ。

 あの日、ヒソカさんは私に言った。快楽殺人鬼って君のことだろう? 否定するつもりもなかったが、返す言葉が咄嗟に思いつかずに私は彼を見つめた。歪んだ笑みが降ってきて私は悲しみに似た感情を抱くことになる。何が悲しかったのか、それが本当に悲しみだったのか、答えを知る者はいない。
 なんで快楽殺人鬼なんかと、と呟いたのは男の精一杯の負け惜しみだ。きっと。

「あなたと初めて会話した日のことを思い出しました」

 部屋を出ていこうとした歩みを止め、男が私を見た。

「独り言です」
「……失礼いたします」

 ドアが閉まる。
 鳴らないケータイに残っている非通知からの着信履歴。一般人と二人で行動するということ。強者の得物になる一般人がいれば一般人の得物になる強者もいる。眼帯に触れる。めり込みそうになった長い爪を思い出す。「他人が何を思っているかなど、気にする必要はありませんよ。人間は必ず死ぬ。それだけ分かっていればいいのです」人は死ぬ、誰も彼もいつかは死ぬ。私だってそうだ。ただ私には死に方を選ぶ権利がある。それだけが希望であり夢だった。目を開ける。

「考え事かい?」
「感傷に浸っていたところです。おやつでも食べに来たのですか?」
「君がおやつになってくれるならね」

 静かに床に足をつけた男はいつもと変わりがない。そのことに少し安心する。鳴らないケータイを不安に思うなど馬鹿らしいことだ。瞬きの最中にパソコンに向かい何やら作業している使用人の姿を捉え、料理類の人数変更を伝えるためにドアに向かう。しかしそれは男の手によって遮られた。壁に刺さる一枚のトランプ。あそこだけいくつも傷がついている。小さくため息を吐き男を見上げれば、頬にトランプが宛がわれた。

「僕の暇つぶしに付き合ってくれよ」

 血は流れない。皮膚を裂くぎりぎりのところでそれは留められている。私の力で止められる程度なのだ、持て余しているのではなく単なる戯れだろう。だから、こちらも退けざるを得ない。

「お断りします。今そういう気分じゃないので」
「そういう気分にしてあげようか?」
「あなたアレクを私の恋人か何かだと思っていませんか?」
「違うのかい?」
「彼が死んだところで、私があなたに復讐することも、本気を出すこともありません」
「つれないねえ。そもそも僕は彼を殺すなんて一言も言っていないじゃないか」
「牽制ですよ。分かりませんか?」

 段々と彼の殺気が本物になっていく。いけない。この人の殺気に当てられては、こちらまで飲まれてしまう。ずり、と足元で音がして、彼の意識が一瞬そちらに向いた。
 壁のトランプを抜く。彼は面白そうに喉を鳴らし、私の投げたそれを受け取った。

「具現化系か。君自身は操作系かな?」
「残念、外れです。ところで、そんなに暇ならどこかでお茶でもしませんか?」
「はいはい。彼が用意してくれるんじゃないのかい?」
「ヒソカさん、おいしいお店くらい知ってるでしょう。いくら言っても壁を傷つける代償です」
「かわいい罰だなあ」
「仕度をするので、少し待っていていただきたいのですが」
「見てていい?」
「構いませんけど、何も面白いことはありませんよ」
「外にいても退屈だしね」
「そうですか」

 テーブルに置きっぱなしだったケータイを取り、アレクにかける。緊急の用だと思われるのも面倒なので普段は彼のいるところまで出向くのだが、この男を放置するのも何だ。電話に出たアレクに出かける旨を伝え、お気をつけて云々を聞き流す。今日は久しぶりに髪のセットも自分でやろう。

「やってあげようか」
「できるんですか?」
「手先は器用なんだ」

 着替えまで済ませ、ヘアゴムやらピンやらを用意したところで彼が言った。手先が器用なのは見ていれば分かるが、まさかそんなことを言い出すと思わなかったので少し間を空けてしまう。ヒソカさんの手が髪を梳く。

「じゃあ、そのへんに本があるので適当にお願いします」
「いつもは彼がやってるの?」
「ええ。滅多に自分ではやりません」

 ついでに言えばアレク以外の人間にやってもらうのは何年ぶりだか分からない。ほとんど記憶にないけれど、小さい頃はそうだったのだろうと思う。
 それにしてもこの男、人を殺すしか能がないと思っていたのに。鏡越しに目が合うと微笑みかけられて、どうしていいか分からなくなる。いつも髪をセットされている間、私は何を考えていただろう。

「あなた意外と何でも出来るんですね」
「奇術師に不可能はないからね」
「ふふ、そうですか。手先の器用な奇術師さん」
「なんだい、お姫様」
「楽しみにしてますよ」
「光栄だよ」

 するすると、頭を撫でる手が心地いい。ああこれだ。悲しみに似た感情。理解できない思いにようやく、感情など意識したことはなかったのだ、と気づく。他の人が何を思っているのか気にする必要はない、じゃなくて、あなたは、理解できなかったんでしょう?