ずっと人形だった
正常に目玉が動かせていない自覚はあった。しかし疲れのせいだと思っていたし、戦うには支障がない程度だったのだ。これでは世間知らずで箱入りと言われても仕方ない。
「やっぱり君は閉じ込めておくべきだったかな」
迎えに来たヒソカさんが発した第一声がそれだ。なんのことだか分からなかった私に対しそれ以上何も言わず、彼は歪んだ笑みを浮かべたまま助手席のドアを開けた。
この車は誰かから盗ったものだろうか。こんな男がこんな地味な車を持っているとは思えないし、そもそも特定の物を使い続けているイメージもない。ダビドの車の方が座席は硬かったが、匂いはこちらの方が幾分マシだ。
「ヒソカさん」
「なんだい、」
「マフィアの護衛に勧誘されました」
「君のナイトは優秀だったんだねえ」
「なんですか、急に」
「悪い虫」
「悪い虫?」
話が見えない。ナイトというのはもちろん彼のことだろうが、悪い虫とはなんのことだろう。アレクが優秀だったから今まで悪い虫に見つからなかった。きっと私を閉じ込めておくべきだったというのも同じことを言いたいのだろう。会話が飛ぶことはままあるのでマフィアの話とのつながりは分からないが、順当にいけばダビドかキツォスのことだ。しかしあの二人に何かされただろうか。
「君の仲間を出してみれば分かるさ」
横断歩道を歩いていた人間が勢いよくフロントガラスにぶつかってくる。轢いたらしい。荒い運転だ、と思う。引きずっているような音が聞こえたものの、しばらくしてそれも収まった。そこでようやく思考を戻すことができる。
言う通りに目玉を出してみれば数が少ない気がする。いつもいちいち数を数えているわけではないので分からないが、そもそもオーラ量が足りていないような。
「困りましたね」
「そうだね」
「やはり復讐だったんでしょうか」
「君も苦労するなあ」
「私怨で殺しをしたくはないのですが」
「殺さない方がいいんじゃない?」
「あら、どうしてですか?」
「念は奥が深い」
「厄介ですね」
「困ったね」
「ええ、本当に」
本当に、と心の中でもう一度付け足し、息を吐く。フロントガラスにはひびが入っている。キツォスに何かされたとは思えない。あの男は私を復讐に利用しようとしたのだ。もちろん言っていたこと全てを信用することはできないけれど、デュカキスの件にも特別興味がないように見えた。だとしたら、ダビドしかいない。もっと注意深く相手を見ておくべきだったかもしれない。
詳細はさておき、何らかの能力の対象になったのは間違いないだろう。それならばあれを殺さず解除する方法を探さなければならない。もし復讐なら話し合っても意味がないし、それなりの強さがあれば次に会った時殺されてもおかしくない。弱体化させないと勝てないと思ったのだろうか。しかしオーラを減らすというのは正しい選択のように思えた。ただ殺しただけでは物足りないとでも思ったのではないか。あまりに私を潰すのに適した能力だ。
しばらくすると何故か見覚えのある場所に出た。全く嫌な男だ。ここを車で通ったのが遠い過去のように思える。目を閉じてその景色から意識を逸らそうとするが、うまくいくはずもない。そして車は屋敷の前に停まった。
一週間ぶりの屋敷はやはり静かだった。でも、以前の静けさとは違う。ひんやりとした空気が頬を滑る。気のせいかも、しれない。扉を開けてから歩き出そうとしない私を、おかしなピエロが楽しそうに見ている。
思い出す。私は、この男のせいで全てを失ったのだということを。それがただの自己正当化による幻想であることも。
「」
いつの間にか握りしめていた手の甲を男の爪が撫でる。大げさにならないようにゆっくりと力を抜いて、私は手のひらを開いていく。する、と繋がれた手は不自然なほど温い。
不自然だ。この人が、死神が、ピエロが、奇術師が、私の手を、人間の手でもって引いているということ、この、状況。仕方がないから、男に従って私は歩き出す。
「覚えてるかい?」
「もちろん」
「くっく、いい子だね」
「どうしてここに?」
「僕だって弱い君を見たくはないのさ。分かるだろう?」
「分かります。でも、ここに来たところで何も変わらないでしょう」
「さあ、それは君次第だ」
壁は修復されないまま、照明はついたまま、死体は転がったまま。生々しくあの時のことが思い出される。この人たちを私は殺し、そして……。男はうまく死体を避けながら、真っ直ぐそこへ向かっていく。
「ヒソカさんに恨みがあると言っていました」
「大変だねえ」
「ヒソカさんの所属している組織にも、もしかしたら。それで私を護衛にするなんて、おかしな話です」
ドアの前で、男が立ち止まる。
「君は殺人鬼だ。だから誰かを守ることなんてできないのさ」
「必要のないことです」
「そう、今となってはね」
繋がれた手がそのままドアノブに寄せられる。私は何をそんなに恐れているのだろう。たかが執事が死んだ部屋を覗くくらいのことで。自分から手を離し、私はドアノブを回した。
過去、誰かを守ろうとしていたのかもしれないと思う。失ってからでは遅いと思わないかね。男の声が囁く。そうだ、失ってからでは遅い。けれど私はあれを宝物だと思っていたわけでもない。
室内は悪臭で満ちていた。血液は乾いて床にこびりついている。また月だ。白い光の筋が、私の視線を暗闇へと導いていく。
「君の殺意は、そんなに簡単に消えるものなのかい?」
男の両手が肩に触れる。不気味なほどに優しい声は私の心を掻き立てていく。
「。早く君を……」
目を閉じることができない。