さあ手をとって
右手が痺れている、と認識したのはケータイを持った時だった。動かすことはできていたのだから、そんなに重度のものではないはずだ。しかしここまで気づけないとは感覚が随分鈍っている。あれから一週間しか経っていないのだ、ブランクというよりは簡単な仕事ばかりしてきたせいだろう。考えていると、手の中のケータイが着信を告げる。
「もしもし」
『=だな?』
「ええ。どちら様ですか?」
『カラマンリスファミリーの者だ』
「カラマンリス?」
『お前について、大体の調べはついている。今すぐ本部まで来い』
私が返事をする前に電話は切れてしまった。調べはついている。まあ、このケータイの番号を知っているくらいだ、調べたのだろう。しかしカラマンリスファミリーとは一体なんだ? 私と何の関わりが? マフィアであることは確かだが……。とにかくここを出よう。そういえば振り込みがあったかどうかを確認するためにケータイを取り出したんだった。多少痺れの和らいだ右手を軽く振ってから、画面を操作する。
何も考えずただその場にいる人間を殺すというのは、こんなに心が楽になるものだっただろうか。私の靴の音だけが響く会場を見渡す。どこもかしこも死体だらけだ。一人でこの人数を殺すのはいつ以来だろう。少々骨が折れたが、右手の痺れだけで済むとは私よりも私の実力を分かっているらしい。今日は家にいるだろうか。いや、しかしカラマンリスファミリーの本部に行かなければならない。午後九時。すぐに向かった方がよさそうだが、そもそも本部の場所が分からない。
「おいあんた……か?」
会場を出てしばらく歩いたところで、声をかけられる。誰だ。私の名前を知っているということは昔の依頼人だろうか。
「ええ、そうですけど。どなた?」
「ダビドという。何年か前、ある屋敷で傭兵をしていた」
「はあ」
「あんたも知ってるだろう? デュカキス家って」
「ああ……なるほど」
「まあ傭兵っつっても、戦うことの方が少なかったがなあ。子守みてえなことばっかしてたよ。暇なら一杯どうだ?」
「いえ……ええ、そうですね。あなた、情報には強いですか?」
「そんな聞き方するお嬢さんよりは、余程強いと思うぞ」
何年か前に辞めたのなら私が元雇い主を殺したことなど知りもしないだろう。関係ないことだと思うかもしれない。男はすぐ苦笑を引っ込め、歩き出した。
道中話を聞くと私とはやはり面識がないらしかった。ならば何故知っていたかと言えば、テオの弟の子守をしているとテオがよく私の話をしたとのこと。男は、眼帯があるので別人かとも思ったが、数年前に見せられた写真とほとんど変わっておらず驚いたとも言った。
「あそこも給料はいいし居心地が悪かったわけじゃねえけど、何せ退屈でな。俺の専門は戦うことだってのに」
「では、あそこを出てからは何を?」
「しばらくふらふら鍛えたりとかしてたが……この間、一か月ぐらい前かなあ。また護衛やらねえかって、デュカキス家から言われて」
「あら、そうなんですか」
一か月前と言うとちょうどテオが死んで、向こうが犯人に気づいたあたりか。ならば私を殺すための駒が必要だったのだろう。角を曲がったところで男が一度口をつぐみ、真っ直ぐバー風の店に入っていく。席につくと続きを話し出した。
「でも、正直あそこには期待してなかったからな。それで断ったら、知り合いのマフィアが護衛を必要としてるらしいみたいなことを教えてくれたんだよ」
「優しいんですね」
「俺が実際話したのは元々同僚だった奴だ。家の人間だったらそうはいかなかっただろ。……で、何が知りたいんだ?」
「ああ……あなた、カラマンリスファミリーというのをご存じですか?」
そう言うと男は驚いたような表情をした。そこで店員が来たので、適当に注文を済ませる。どうせすぐに出なければならないのだ。視線を戻すとそれで、と先を促される。
「ええと、本部に行かなければならないのですけど、場所を知らないので」
「……呼び出されたのか?」
「ええ」
「そうか、なるほど……。案内はできる。ただ、ちょっと言わせてくれ」
「何をですか?」
「あんた本当に箱入りのお嬢様なんだな。ここ数分でよく分かったよ」
運ばれてきた飲み物を一度に半分ほど飲み、男はため息を吐く。仕方なく私も口をつけるが、飲み慣れているジュースよりもおいしくない。何故か両手で頬を揉むようにしてから、男は私の目を見た。
「まず自分の手で調べるという考えはなかったのか」
「……そうですね。どうしてでしょう」
「それと、自分の無知を知られるのは普通よくないことだ。強いから平気だと思っているのかもしれないが、相手が何を目的としているかは分からない」
「ええ、それは分かります」
「じゃ問題だ。俺があんたを案内することによって得をすると思うか?」
「いいえ」
「その場合、俺はあんたに対価を求める。当然のことだな」
「そうでしょうね」
「あんたは俺に何の益をもたらせるんだ?」
「私は……」
こういう時、やはり金銭を求められるのが普通なのだろう。私もいつもそうして仕事をこなしてきた。しかし案内させることでいくら払えばいいんだ? もしこの男が本来ならとても釣り合わないような額を要求してきたとして、私はそれに気づくことができない。そして今、金銭の浪費は好ましくないのだ。……彼が仕事を持ってきてくれたとは言え、一週間で今日の一件だけ。これからも数は望めない。
「私に出来ることは、人を殺すことです」
「ほう」
「でも、あなたもそれを生業としている」
「おい、俺は殺し屋じゃねえぞ」
「けれど私の力は必要ないでしょう?」
「そりゃあんたの実力を知らねえから何とも言えねえけど、まあ最後まで聞こうか」
「そうすると、あなたの要求する額を出す以外に選択肢はない」
「お嬢様の模範解答って感じだな」
「正解は?」
「あんたを案内することで俺は得をする。だからそもそも対価なんていらない」
「ふふ……なるほど。あなた、面白い人ですね」
「お褒めいただき光栄だ。じゃあ行くか」
「ええ。お願いします」
椅子から降りようとすると、手を差し出される。人をだますのが得意なのだろう、と思う。私が世間知らずだと言うこともできるが。……箱入りのお嬢様か。