何にもできない私を
何も分からない。私にはやはりあの男の世話が必要だったのだ、と思う。なんとか紅茶を淹れることはできて、それから空腹を満たす手段を今考えているところだ。
私は丸一日以上寝ていたらしい。目が覚めた時この家のどこにも彼の姿はなかった。寝ぼけていたとはいえ人がいるかどうかくらいは分かるはずだ。気まぐれな男の行動など知ったことではないが、来たばかりの家で満足に過ごせるかと言えばそんなことはなく、どうしたって早く戻ってくることを願ってしまう。
ソファーから立ち上がり、窓を開ける。快晴とまではいかずとも概ね晴れた空だ。ベランダらしき空間はあまり広くなく、コンクリートの地面は煙草の吸殻やらゴミやらで汚れている。煙草などあれが吸うとは思えないし、きっとここにはたまに人が来るのだろう。しかし友人がいるとしてそれもああいう雰囲気なのだろうか。いや、友人とは思っていないかもしれないが。
「おはよう、」
「あら、おはようございます」
窓を閉めたところで背後から声をかけられる。鍵を閉めてから振り向くといつもの彼がいて、少し安心する。
「いい子にしてたかい?」
「ええ。紅茶は勝手に淹れましたけど」
「ああ、まだ残ってたんだ」
「ヒソカさん、お聞きしたいことがあります」
「なんだい?」
「料理は得意ですか?」
そう言うと彼は意外そうな顔をした。それから納得がいったようで喉を鳴らす。この男に出来ないことなどあるのだろうか。根本的に何かが欠けているようには見えるが、何もかもを完璧にこなすようにも見える。私の感覚が麻痺しているだけかもしれない。
一時間もしないうちにテーブルに私の望んでいたものが並んだ。あまり人が料理するところを見たことがないので比べられないが、かなり手際がいい。恐ろしい男だ。
「本当に不可能がないんですね」
「奇術師だからね」
「おいしいです、とても」
「喜んでもらえてよかったよ」
「ところで、私は仕事をしたいのですが」
「君も殺しが好きだねえ」
「管理は全てアレクがやっていたので、どうすれば私のところに依頼が来るのか分からないんです」
「仕事じゃなくて殺しがしたいんだろう?」
「そんなに人殺しを好んでいるように見えますか?」
「君はお金に困っているわけじゃないじゃないか」
人殺しが好きなわけでもない。しかしここで言い返したところで、言い訳がましくなるだけだ。私は黙って食事を再開する。彼の手の中ではトランプが弄ばれていて、私に人殺しの自覚をさせて遊びたいのだろうなと思う。
私には、これしかない。人を殺すことが可能であるというのが私に与えられた唯一の希望なのだ。だから続けていきたいし、勝手な殺しではいけない。
「臆病だね」
……臆病。馬鹿馬鹿しい希望を捨てられないところが? 本当は人殺しが好きなだけだと思えないところが? これを問えないところ、でもあるだろう。
「仕事、紹介してあげようか?」
「……ええ、できるのなら」
「くっくっく、ここで大人しくしていればいいのに」
「私にも死に場所を選ぶ権利はあります」
「そうかい?」
「嫌な人」
「怒らないでくれよ」
今の彼に私を殺す気はない。まだ楽しむ余地が残っていると思うのならば、すぐにでも仕事を持ってきてくれるだろう。どうしても殺人鬼であってほしいようだから。こんなところで、こんな何もないところで大人しくしていたら、どんどん色々なことを忘れていってしまう。そうならないためにも……。
「私はあなたを殺す」
「嬉しいよ、」
彼の手が伸びてきて髪に触れる。私はようやく視線を上げて目を見ることができる。する、と頬を撫でて手は離れていった。