永別に愛を
私はの生き残りだが、それは私以外の人間を殺したというだけの話だ。そういう意味で言えば、アレクシオスだけが本当の生き残りだった。つまりここにの崩壊はある。
テオファニス=デュカキスという男に求婚されたのがいつのことだったかもう思い出せない。私は確か両親に話を通せというようなことを言い、それが果たされた結果、彼は私の婚約者になった。そして彼が使用人を連れて遊びにくることが増えた何年か後、彼の言葉を借りるのであれば「忠告」されたのだ。
お前の母親はおかしいらしい。
初めは本人も納得のいかない様子だったが、それは次第にはっきりとした嫌悪へと変わっていった。デュカキス夫妻にあそこであったことを話したところその指摘をされ、回数を重ねるうちに理解していったのだろう。
パーティーに行く仕度をした後、アレクが複雑そうな表情で見ていたことを思い出す。ただの下っ端であったあの男の耳にも母の噂は入っていたのだろう。鏡で見た自分の姿があまりにも母に似ていて、私は笑った。
「行こうか」
アレクの死体をベッドに横たえ、しばし回想にふけっていた私に男が囁く。男の背後で月が静かに光を発している。
「ようやく君は自由になったんだ」
「お母様の代わりに私を殺しに来たんですね。死神さん」
「そんなに似てる?」
「ええ。どこに連れていってくださるのですか?」
「くく、内緒」
彼の目を見れば三日月型に歪められた。差し出された手。今まで幾度も繋いできた骨太な指が過去と重なり思わず目をそらす。父のように私は殺されるのだ。あの時消えるはずだった命が、今度は目の前の男に握られている。
馬鹿で愚かな人間は母が一番嫌いなものです。闇に浮かぶ白い声が頭の中で告げる。だから、私は、一人になったのに。
「どうして、私を?」
「簡単なことさ。僕はまだ君と遊び足りない」
「ちゃんと愛していただきたいものです」
「奇術師に不可能はないからね」
今死ぬか後で死ぬかの違いだった。しかしこの人を少しでも楽しませることができるのならば、そのことで私自身も生に満足できるのならば。
「馬鹿で愚かな人間には、死神の導きが必要です」
一度片眉を上げ、それから彼はくつくつと喉を鳴らした。伸ばされた手はやはり威圧感のせいで大きく見えて、それでもそこから目をそらすことは許されない。指先が眼帯の紐にかけられる。おかしなものだ。見られたところで何も変わらないと分かっているのに、ゆっくりと眼帯を外していく手に脈拍が上がっていく。
やがて右まぶたに人肌が触れた。あの男には嫌な仕事ばかり押し付けていたなと思う。ぷつと音がして、そこから血がにじみ出る。その様子を目玉の一つで眺めながら、涙のようだとぼんやりした感想を抱く。左目は涙など流さないのに。男の顔が近づいてきて、右まぶたがぬるりとした熱に襲われた。丁寧に血液を舐めとり、彼はそこにキスを落とす。顔を離した彼が頬を撫でて微笑んだ。
「綺麗だ」
「……ふふ」
おかしな人。
鍛え抜かれた腕は私一人など軽々と持ち上げてしまう。あなたに抱き上げられるのが好きだったと、横たわる長身の男に視線をよこす。それから死神の胸に頭を預けた。
さようなら、これまでの全てと、私だけの騎士。