燃えるのは誰かの心
発作もほとんど起きず、仕事もない、一般人と二人だけの平穏な日々が続いていた。平穏とは退屈である。しかし退屈な気分をどうにかする術を私は持たず、同様にそれが崩れる瞬間を予見することもできない。
テーブルの上に置かれた一枚のトランプ。彼が私にくれたものだ。私がアレクを殺そうとしているのは事実だが、それをヒソカさんが理解していたのはその行動が私自身というより彼に近いものだったからだろう。今でも思考を侵されていることに嫌気がさす。似たもの同士とは、私のことではない。そしてそれを彼も分かっていたのだろう。全て知った上で私をアレクから離し、意図的か否かは置いておくとしても発作を起こさせることに成功した。蛇のようだと思っていた舌が思ったよりも人間らしい厚みを持っていたことを思い出す。
人を殺すことに価値などない。そこに愛はない。だから私も狂っている。
「お嬢様」
「まさかとは思いますが、デュカキスの奥方ですか」
「仰る通りでございます。やはり断りましょうか」
「先方はなんと?」
部屋に入ってきた使用人はそう聞くとわずかに眉をしかめた。数分前電話を終えたと思えば声まで聞こえてきそうなほどはっきりとため息を吐いたのが見えたので、何かしらの厄介事だろうとは思っていたが、的中してしまうとは。
どうやら一応婚約をしていたこともある仲であるので自らこちらに挨拶に来たいということを言ったようだが、それは建前だろう。あれからしばらく経っている。ようやくその場に私がいたことを知ったので鬱憤を晴らしに来るのではないか。トランプに手のひらを置き、表面を撫でる。
「あなたの許可が必要です」
「お手を汚されるおつもりですか」
「どうせあの家はもう終わりです。女一人死んだところで問題ないでしょう」
「お言葉ですが、デュカキス家はマフィアンコミュニティーと繋がりのある家でございます。全て殺したのがお嬢様だとあちらが認識した場合、こちらにまで被害が及ばないとも限りません」
「向こうは私を殺すつもりで来ますよ。それこそ表向き全滅した家の生き残りが死んだところでということです。本よりテオ……でしたっけ。彼の存在によってそれが成されていなかっただけでしょうし」
「……先方がお嬢様を狙っていると断言できるのですか?」
「嫌な予感というのはよく当たります。嫌ですね。あなたも銃くらいは持っていた方がいいかもしれません」
「かしこまりました」
「アレク」
「はい」
「あなたは私以外に殺されてはいけませんよ」
「心得ております」
「ちなみにあなた、一時間後とかと聞いたかもしれませんが、もう何人かは敷地内にいます」
「……お嬢様お一人で全て」
今まで私の仕事を直に見たことがなかったのだ。そしていつも心配自体はしていた。真面目な男だ。立ち上がり必要最低限のものだけ鞄に入れる。銃を渡してから男に腕を伸ばすとあからさまに戸惑った表情を見せるが、それでも理解して私を横抱きにした。
「私はの生き残りですよ」
微笑みかければ少しだけ体の力が抜ける。もっと奴らが屋敷に近づいてくれればここからでもなんとかなるのに、もどかしい。その時ケータイが鳴った。……非通知だ。
「もしもし」
『んー、十人くらいかな?』
「ええ、今のところは」
『君も恨み買ってるんだねえ』
「分かってる癖に」
『くく、雑魚は任せたよ』
「あなた、どこにいるんですか?」
『大物が見えるとこ』
またね、と一方的に電話を切られて仕方なくケータイを鞄にしまう。彼の言う大物とは一体どの程度の強さなのだろう。考えていると屋敷の扉に四人ほど集まったのが分かる。それから裏の窓に二人。
「開始します」
「ご武運を」
「今日は一緒ですよ」
「失礼いたしました。お供させていただきます」
「ふふ。……とりあえずあと四人で第一波終わりです。一階まで下りましょう」
「かしこまりました」
叫び声が聞こえる。けれど屋敷は二人きりだ。アレクの靴音だけが静けさに響いてやけに気分が高揚する。まるであの時のようだと思った。あの時は、私一人だったけれど。
大きな時計の前まで来るとはっきりと残りの四人の存在を感じた。それらを片づけてしまうと再び外が静まり返る。十人分の死体をまとめてドアの前から移動させて私はアレクの腕から降りた。きっと女はこちらの様子を伺っている。……やはり。三台の車が敷地内に入ってきてドアのすぐ前で停止する。大物の気配などないがまだこれ以上にいるということだろうか。
ドアがゆっくりと開く。
「お久しぶりです。奥様」
「……よく平然としていられるわね。やっぱり人殺しの血は争えないのだわ」
「息子さんのこと、ご愁傷様でした。胸が痛いです」
「小娘が、調子に乗っていると痛い目見るわよ!」
「あら奥様。そんなセリフを吐いて責任をとれるのですか?」
女はドレスの裾から拳銃を取り出し、私に向かって発砲した。よくもまあ、護衛だかなんだかが瞬殺されているのにそんな無謀なことができるものだ。弾き返そうとしたところで残りの戦闘要員たちも入ってきたのでアレクの前に立ち、両手を広げる。全員が発砲するまで待ってやるほど私の気は長くない。
打ち返した弾が女の両肩を貫通して後ろの男たちに当たる。醜い悲鳴を上げながら女は膝をついた。
「あの子は洗脳されていたんだ……! あんないい子がお前のような気狂いをいいと思うはずがないわ!」
「まあ、解釈はお好きにどうぞ。長くない命ですからね」
「こんなことなら早いうちに、あ、ああ」
女の顔面に黒いもやのようなものが巻き付いていく。視界さえ奪ってしまえば人間は大抵のことをできなくなる。さようなら、口の中で呟きながら、女の顔を握る力を強めていく。
やがて静寂が訪れる。