王子さまのキスの呪い
夢の中であたしはクラゲになった。あたしであるクラゲ、あるいはクラゲであるあたしを掴もうとしても、波のせいでうまくいかない。どこかから照らされてあたしのからだは真っ赤に染まる。それから紫、青、緑、黄色、オレンジ、ピンク。ほとんど水みたいなあなたがネオンに透かされて流れていく。ああ、あなただったのだ。そうか。私じゃない。……私じゃない。いなくなったのは……。
性急に息を吸い込む音。心臓は激しく主張している。きっと私は死の危険を察知して目を覚ましたのだろう。荒い呼吸を繰り返し、最早見慣れた天井を見つめながら、全身の端が冷えていることに気づく。ゆっくり両手を持ち上げて首に触れるとまるであなたのように熱い。クラゲ。死んじゃったんだろうなあ。あの日水槽の向こうで漂う彼らを見て、私は確実に死をイメージした。首にあてがった手のひらに力をこめる。完全に苦しさに支配される一歩手前で止めると、感覚が過敏になっていく。
しばらくピアスを開けていない。
唐突な思いつきに私は隣へ顔を向ける。暗闇でも、なお光っているように見える男の髪。手のひらの力は徐々に緩み、剥がれた布団を手繰り寄せている。呆れてくれるだろうか。悲しまずに。叱ってくれるだろうか。見捨てずに。男の方へ寝返りを打ち、服の袖を見つめる。
「さきょう」
掠れた声は自身の心音にかき消されてしまいそうに思う。男は目を覚まさない。手を伸ばし、脇腹のあたりに抱きつくようにして体をくっつける。男の背中は硬く、顔を押しつけると肩甲骨が当たって痛い。小さく呻くような声と共に男の体が動き、こちらを向こうとしているのが分かった。
「……どうした?」
抱きつく私の腕に男の手が触れ、下腹部を締めつけるような感覚が上がってくる。あたしを抱いてよ左京。食道が熱い。お兄ならできるでしょ。それともあなたは、お兄じゃないっていうの?
「」
「ねこ」
「……猫?」
「くらげ」
「……」
「ネオン」
「……」
「おわり」
「……何がだ」
「しりとり」
「なってなかっただろうが」
「セックス嫌い?」
「なんだ突然」
「あたしも……」
「……」
「煙草ちょうだい」
「駄目だ」
「じゃあちゅーして」
「意味がわからん」
「お兄を殺したんだよね?」
抱きついていた腕を解き、左京が仰向けになるように体重をかける。きちんと従ってくれた左京の腹から両腕を離し上半身を起こすと、膝が男の肋に当たった。私を見てくれないその瞳を注視する。焦れったいくらい重たく瞬きをした左京は、私の髪に触れた。
「そうだ」
肯定の言葉が耳にこびりつく。
お兄を殺したんだよね?
この人は私に嘘を吐いた。どっちにしろ、何にしろ、結果的に。ペットを撫でるみたいに指を頭皮に沿わせているのがくすぐったい。再び頭を下ろし、男の腹に頬をつけた。手の感触と上下する骨のリズムに、眠気を誘われる。段々下りてきた瞼が完全にくっついた後、誰かの親指がそこを撫でてくれる。セックスをした後に私が乾ききった涙を拭っていると、お兄はいつもそうしてくれた。よく泣くなあ。しょうがないじゃん。副作用かあ。お姉の笑い声……。
「」
「……んん」
「復讐するか?」
ふくしゅう。半分眠っていた頭では何を言われているのか理解ができず、再び目を開ける。男に焦点を合わせようとするとそのまま男の手が伸びてきて、視界を塞がれた。
「見えにゃい」
「だろうな」
「見してよ」
少しして男のため息が聞こえ、目の前が開けた。男が体を起こすので、それに従ってシーツを握りながら起き上がる。
「柄でもねえ」
「ガラ?」
「いや。独り言だ」
「ふーん」
双眸を覗き込むと、彼は真っ直ぐ視線を返してくる。部屋が暗くて瞳の色は分からない。そうしているうち彼が不意に私の頬に触れ、撫でるようにして髪を耳にかけてくれた。近づいて布団の上から彼の膝に座り、今度は私が両手で頬を包む。温い。そろそろその格好で寝るのはやめろと叱られたのはいつだっただろう。男の手が顎を掴む。目を閉じるしかなかった。そういう時は必ずキスをしてくれたのだ、……たぶん、左京も。
猫も、クラゲも、ネオンも、あなたも、ここには存在しない。