真夜中のパレード

 暗闇の中で時計の音だけを聞いていると、頭がおかしくなりそうに思う。眠れない。眠れない。当然だ、お兄がいなくて、薬もなくて、しばらくあたしは何も摂取できていない。段々呼吸が変になってくる。お腹に手を当てて、できるだけ小さくなれるように丸まる。にゃーんって猫の声が聞こえる。お兄は猫が好きだった。だからあたしも猫みたいだって言われると嬉しくて、嬉しくって、何もかも大丈夫になったのだ。吐きそう。指を口の中に突っ込んで、あたしはじりじりと焼けていく。

?」

 涙がにじむ。これは幸福へのステップなのだ。にゃあにゃあと猫の鳴き声が大きくなる。交尾でもしているのだろうか、いいな、一匹しかいないのに、できるなんて。誰かに腕を掴まれて、仰向けにされる。誰だ? お兄は? なんで? 猫の鳴き声がうるさい。うるさい。

「おい! 、無理に吐くな」
「んあ、あ、やだっやめて! やだあ!」
!」
「お兄どこ?! なんであたしひとりなの?! やだよお、やだ、きもちよくなりたいよお!」

 体が持ち上げられる。唾液にまみれた手のひらをもう一度口に突っ込むと嗚咽が漏れた。ぱっと目の前が明るくなる。涙と唾液がぼたぼたと垂れた。
 ああそうだ。あたしは捨てられたんだ。それで一人になった。だからこんなことしたってどうしようもない。誰も助けてなんてくれない。床に下ろされて、そのまま胃の中身をぶちまける。ほとんど胃液だ。汚いなあと誰かが言う。
 背中をさすられながら全部出してしまうと、余計涙が止まらなくなった。どうして私は泣いているんだろう。喉の奥が気持ち悪くって呼吸も落ち着かない。猫はどうしただろう。

「やだよお……」

 声が漏れる。その人が今度は私の頭を撫でた。それから何も言わずに立ち上がって、新しいトイレットペーパーとウェットティッシュを持ってくる。適当な長さに千切ったペーパーを渡されたので、手のひらを拭った。
 いつもこうして片付けてくれるけれど、どうして受け入れてくれるのだろう。段々呼吸が落ち着いてきて、男の手の動きを見つめる。

「さきょう……」
「あ?」
「あやまる」
「謝らなくていいから手伝え」
「うん……」
「粗方終わったらシャワー浴びて着替えてこい」
「うん、ねえ猫が……」
「猫?」
「猫がいたの」
「……猫なんていねえし、鳴き声も聞いてねえ。お前の夢だ」
「ゆめ……」

 呆然としている間にほとんどを左京が片づけてしまう。吐瀉物のかかった私の足まで拭いて、持ってきていたビニール袋にゴミを入れた。それを差し出されたので、手の中でぐちゃぐちゃになったウェットティッシュを入れる。本当にさっきまでいたんだってば。耳が痛い。いるわけないことくらい分かっている。ここは動物禁止のマンションだし、十五階の一番端の部屋だ。ここは、動物禁止の、マンションで、……以前そう説明されたのだと思い出す。私は前にも同じことを言ったのだ。耳が痛い。男が離れていって、私はのろのろと立ち上がった。
 あの人死んじゃったんだよね?
 浮かんだ言葉を脳が拒絶する。でもその声は止まらない。死んじゃったんだよね? だから一人なんだよね? 眩暈がして、床に倒れ込む。キッチンの方から足音が聞こえて私は目を閉じた。

、」
「お兄はあたしが一人だから飼ってるの?」
「……ああ、そうだ」
「お兄もういなくなったりしない? 死んじゃったりしない?」

 顔を上げると眉をひそめて私の言葉を聞く左京の顔が目に入る。ひどいことを言っている。頭の中がまとまらないから、早く誰か私に薬をくれ、と思う。いちいちこの人と話さないといけないなんて嫌なのだ、本当は。お兄は死んだ。誰のせいだか私は知らないけれど、私がこの人に拾われたんだから、この人は無関係ではないのだろう。

「死なない保障はできねえ」
「……」
「だが少なくともお前を捨てる気はない。俺にはお前を拾った責任がある」
「……あたしとセックスしてくれる?」
「したらお前が悪化するのが目に見えてる」
「あたしまともになんかなってやれないよ」
「随分マシになったがな」
「お兄は、目の、お兄の目は節穴なの!」
「てめえほどじゃねえ」
「眼鏡なかったら何も見えないくせに」
「関係ねえだろ……」
「ねえほんとに捨てないで、あたしがあなたを好きじゃなくても」
「てめえの愛なんざ求めてねえ。ペットみてえなもんだからな」
「猫みたい?」
「あ? ああ、そうだな」
「にゃ!」
「落ち着いたならシャワー行け」
「んふ、にゃーん」

 もう一度どうにか立ち上がって、私は風呂場へ向かった。いつかいなくなるのは私の方かもしれないなあと考える。その方が安全だ。何がどう安全なのかは分からないけれど。