やがて光を得る君へ
何年か前、仕事で大怪我をした。たぶん、すぐに治療しなければ失血死するレベルの怪我。一瞬の判断ミスが私の腕に傷をつけた。でも私の腕はそんな傷さえ受け入れてくれないようだった。そして私が真っ先に心配したのは怪我よりもアンクレットの錆だったと記憶している。確か飛んでいる最中血液が付着し、それを気にしたせいでさらに別の傷をつけられてしまった。
仲間は私を心配してくれたように思う。戦闘スタイルからして私が返り血を浴びることなどそうないと彼らは分かっていた。怪我について聞かれ、私の口は勝手に返り血だということにしてしまった。思えばあの頃既に症状は深刻化していたのだろう。
「昔……」
パクノダはコーヒーカップをテーブルに置き、私を見た。先ほど、私には温度すら分からないらしいと判明した。簡単なことだ。自分の手が冷たいのに相手の温かさを感じることができなかった理由がそれ。
「私の能力を試すためにあなたに頼んだじゃない」
「うん」
「その後飲んだの覚えてる?」
「覚えてるよ」
「内容までは……って感じかしら」
「いや、ああ、……うん」
途切れるのだ。窓の音。パクノダが私の名前を呼ぶ。両手を固く組み、私は意識を集中させた。引きずられてはいけない。
「ところどころは思い出せるんだけど」
「見てもいい?」
「あ、うん」
「あの店だったわね」
「そうだね」
「……窓、壊れてるの?」
「窓? ああ……壊れてるわけじゃないけど、たぶん古くて。ごめん、それで」
「何を話したか全く思い出せないわけじゃないんでしょう?」
「パクの言葉が途切れて、何を言ったのか分からなくなる。私が何を言ったかは全然」
「……思い出すことを制限されてるのかしらね。記憶自体は残ってるし」
「その時、何話したの?」
彼女が私から目をそらし、カップに手を伸ばす。液体を飲み込む音とカップを置く音、それに続いて彼女の視線が窓に向けられた。つられて私もそちらを見る。カーテンの隙間からは闇が垣間見える。
「自分で思い出せたらそれが一番だわ」
彼女の手が離れる。思い出せたら。思い出すことはできるのだろうか。
「能力を使うと悪化するのかしら……」
「能力……」
「でも、は念が使えないのよね。問題は仕事か」
「念ってみんなが使ってるやつだよね」
「……修得できなかったのも、今考えてみたら天使のせいみたいね」
「そうなの?」
「あなた、オーラがほとんどないじゃない。覚えてないかしら」
「あー、うん……なんだっけ」
「そもそもの体には生命エネルギーがなくて……一般人なら垂れ流しになっているのがあなたの体からは出ていなかったから」
「……生命エネルギーがないって、それ死んでるってこと?」
「どういうことなのかは分からないけど。……あの時点でもう」
続きは紡がれない。もう私はおかしかったのだ、人体としては。このまま私は天使になるのだろうか。天使。完全に人間の女としての意識や感情を失い、食事も睡眠も必要としない体になるのだ。もしかしたら不死身にもなるのかもしれない。人間でなくなっても、能力さえあれば私はみんなと一緒に仕事ができる。乗っ取られてしまったとしてもやはり私にはこの力が……。
「」
「ん?」
「もし完全な人間の体に戻れた時、能力を失う代わりにオーラも戻ってきたら、力自体は手に入るのよ。努力次第でいくらでも」
「……まあ、そう……そうだね」
「このままみんなのことを忘れてもいいの?」
「それは、よくないけど。でも戻る方法なんて……」
「しばらく能力は使わないで、様子を見ましょう。それになんだか随分マシになったみたい」
「意識すればまだ、喋ることは制御できるから」
「あまり一人にならない方がいいわ」
「なんで?」
「意識することもできなくなったらどうしようもないでしょ」
「……うん」
「それからそのアンクレット」
「これは外れない」
「!」
「……あ、……ごめん、何?」
「アンクレットだけど」
「アンクレット?」
ほとんど意識していなかったその金属の存在を視界に入れる。与えられたものの一つだ。これは、「与えられたもの」。だから外せないし、外してはいけない。女がそこに触れようとする、手。
「触るな」
「よっぽど大事なのね。あなた、これを外そうとしたことはあるの?」
「……え?」
パクノダの手が私の足に触れる。思考が固まっている。そうだ、これは、大事なもの。
「天使からもらったものなら、これは絶対に外した方がいい。聞いてる、?」
「き、いてる。これ……これは、外れない……」
「……下手な洗脳よりきついわね。確かに普通の金属ではなさそうだけど」
「外したら……外したら、私が。ごめんパク、ほんとにそれは」
「外す方法も考えないとね……」
これを外したらどうなると言うのだろう。息を吐く。彼女の手が離れていく。洗脳か。確かにこれは洗脳だ。侵食と言った方が近いかもしれない。天使の侵食。過去、アンクレットを外そうとしたのは血液が付着した時だけだが、その時も外れなかった気がする。つまり普通には外すことができないのだ。私の意識においても。ああ。私はこのまま……。