何時かの何時もの何時までの、君

 地面との摩擦で靴が削れる感触。失敗したと思う前に頭上から声が降ってくる。

「待ち合わせ、バーじゃなかったかしら」
「見えたから」
「着地に失敗するなんて珍しいわね」

 両手を腰にあてたその女性を視界に入れ、私は失敗を認める。確かに今のは失敗だし、こんなことは随分と久しぶりだった。靴の損傷は激しくない。歩き出した女の数歩後ろをついていく。夜道に響くヒールの音。かつん、かつん。私の脳にも響く。
 早く着くことが分かってふらふらと上空をさまよっていたら彼女の姿を発見し、どうせ向かう方向は一緒なのだしとそちらに落ちた。彼女は私が落ちている最中に存在を確認したらしい。それは確か、みんなにできて私にはできない方法で。いつもの落下、考え事さえしていなければ着地ミスなんてしなかったはずだ。考え事。きっと珍しいのは考え事をしていたこと。
 今度行くと言った彼の声が耳について離れない。

 席につくと彼女が飲み物を頼んでくれた。その横顔に焦点を合わせているとこちらを向く。よかった、と口が動く。いつもので。

「え」
「いつものでよかった?」
「うん。ありがとう」

 同じ言葉を繰り返してくれた女に安心し、頷く。けれどいつもの、それはいつの、誰の、いつからの、「いつもの」? カウンターの木目に爪が引っかかる。マスターの手のしわ。

「どうしたの?」
「ボタンが違う」
「……ボタン?」
「え?」
「なんのボタンが違うの?」
「……ボタン?」
「あなた今、ボタンが違うって言ったわ」
「カフスボタンだよ。マスターの、それ見覚えがない」
「よくお気づきで」

 いつ来ても同じものをつけていたマスター、愛用していたそれを不注意で欠けさせてしまったと言う。談笑しているうちにグラスが差し出され、私は隣の女に目を向ける。何か考えているような表情のまま彼女はとりあえずといった風にグラスを持ち上げた。乾杯に応える。

「不自然だわ」

 彼女が呟いた。続きを促すよう彼女を見つめると一口流し入れる。繊細な指先はグラスを撫でる。こちらを見ることはしない。女は一呼吸置いて続けた。

「不自然よ、あなたの言動。分かる?」
「不自然……」
「おかしい、って言ったらいいかしら」
「……あのさパク」
「ええ」
「……最近、言った覚えのないことを言っている。言葉が勝手に出てくるの」
「今のもそうね」
「そうだね……気づかなかった」
「よくボタンなんて分かったわね。それも無意識?」
「見ていたのは事実だけど。私昔のことなんて大して覚えてないはずだし」
「覚えてないはず?」
「みんなやけに昔の私を知っている」
「……頼みたいことっていうのは、その調査?」
「昔調べてもらったな。金は出すから」
「いいわよ、見るだけでしょ」
「じゃあここは私が出す。後は家で」
「……ええ」

 味のしないオレンジ色の液体を、飲み干す。