あの人と笑いあう未来を
結局緋の目の回収が私の最後の仕事になった。はっきり覚えていないのは残念だが、今さら真っ赤に染まった彼らの瞳など思い出したくないとも思う。シャルナークの話では私は目玉を抉り出すのに何のためらいもなかったようだし、人殺しに慣れているとは言え、そんなシーンをはっきり思い出したくはない。感情なんて邪魔だと言う気持ちが少し分かる。
私は重力を操る力を失い、五感も正常に近づいている。要するに一般人になったのだ。しかもオーラとやらは相変わらず出ていないらしい。身体能力自体はあまり変わっていないから念能力者でなければ対処は可能だろうけれど、そのレベルだ。とてもA級賞金首とは言えない。
「使えない手足はいらない」
ノブナガが聞いたら怒るかもしれないが、私は殺される覚悟をしていた。だからその一言で全て終わりにしてくれたことを素直に感謝できたのだ。ありがとうとだけ言って私は男に背を向けた。
「あんたノブナガのとこに住むの?」
「え、そんな話はしてないけど」
「住みなよ」
「なんで?」
「あんたん家よりあっちの方が近いから」
「まあ後で聞いてみるよ」
「なら大丈夫よ」
「……でももう力ないし、なんかあったら怖いから」
「だからあいつといた方がいいんだろ?」
アジトを出たところでマチに言われた言葉が頭の中を回っている。蜘蛛を抜けるからと言って私がそこらから狙われなくなるというわけではないのだ。色々なことをしてきた。死んでも構わないと思う。それに彼を巻き込みたくないとも。けれどこんなことを言ったらあの男は間違いなく怒る。……負担が増えるだけなのにな。
今彼は私の家で帰りを待っている。私が一人で話したいと言ったからだ。天使から解放された、天使を解放した今、別に彼が私のところにいる必要はない。けれどたぶん心配なのだろう。あれで心配性だから。
知らない道をゆっくりと歩く。地に足をつけて長時間歩くのは随分と久しぶりな気がした。電車にでも乗れば速く帰れるのだろうが、乗り方が分からなければ家の最寄りが何駅なのかも分からない。あの能力は本当に便利だったなあと思う。空から地面へ視線を戻した時、ケータイが鳴った。
「もしもし」
『ああ? シャルから聞いたんだけど、抜けるって本当?』
「うん。色々ごめんね。今度ちゃんと飲もう」
『ええ。でもよかったわ、戻ってくれて』
「パクとノブナガのおかげだよ」
『ノブナガとは話した?』
「まあまあかな。そんなにはまだ……戻ったばっかだし」
『それもそうね。……じゃあ、ノブナガによろしく』
「うん。じゃあね」
さすが、情報の伝達が速い。ろくに挨拶もできなかった人たちもいるけれどそれはまた機会があればでいいか。とりあえずウボォーギンとの約束を果たさなければならない。
すっきりしていた。冗談ではなく霧が晴れたような気分だ。ちゃんと物事を考えることができる。変な思考停止が起こらない。やはり私はかなり危ない状態だったのだと思う。一人ではきっとあのまま沈み込んでいた。それが蜘蛛の一員としては正しかったのかもしれないけれど。
一時間ほどかけてようやく家にたどり着く。遠い道のりだったが、行きはもっとかかった気がするからまあよしとしよう。
「ただいま」
「おう」
「寝てると思った」
「さっき起きた」
「ご飯どうする?」
「お前あそこから歩いたんだろ? なんか盗ってくる」
「え、いいよ」
「何がいいってんだ」
「帰ってきたばっかなのに行っちゃうの?」
「……ったくよお……」
「後で行こう」
「なんでもいいけどな」
引き留める方法を知ってしまっている私はきっとずるい女だ。けれど彼がそれに付き合ってくれるから、これから先もやめられないのだと思う。
鞄を床に下ろし、腕時計を外してテーブルに置く。やはり靴を脱がないと落ち着かない。今度掃除して土足厳禁にしようか。そこでマチとの会話を思い出す。彼の隣に腰かけて、結局靴を脱いだ。
「団長なんだって」
「……抜けるのはいいって。入れ墨だけ潰しといてほしいみたいだけど」
入れ墨は一度入れてしまうと消すのが難しいらしい。番号が分からない程度には薄れさせておくべきだろうとはシャルナークの弁だ。確かに、普通にしていたら見えないところではあるが、同じ番号の人間がいるのはおかしい。
「どうしようかな。傷跡残るみたいだし」
「要するに、見えた時団員だと分からなきゃいいんだろ?」
「バツでもつけとく?」
「……傷跡残るのは嫌なんじゃなかったのか?」
「記念すべき一つ目の傷だよ」
「何が記念だ。傷なんてない方がいいだろ」
「ねえ私あなたの家に住んでいい?」
「……はあ?」
「マチがそっちの方が近いんだって」
「は? マチ? おめえ脈絡ってもんを考えて喋れ」
脈絡。どう話せばいいのだろう。そもそもこの人は今後どうするつもりだったのだろうか。そこでようやく彼の方を見ることができる。眉間にしわが寄っている。……本当は、力がないとかそういうのは関係ないのだ。
「一緒に住むの駄目なの?」
「……そんなわけねえだろ。今いきなりだったからびびったんだよ」
「ごめん。なんか、どうしたらいいのか分かんなくて」
「で、マチがどうしたって?」
「そっちの方が近いから住めばって言われた」
「……お前、あいつん家知らねえのか? 俺の家からじゃ電車で二時間はかかるぞ。こっからだとそんなにかかんねえはずだが」
「……だまされた」
「あいつ何企んでやがんだ……」
……もし私が言い出しやすいようにああ言ってくれたのなら、感謝しなければ。おかげで言いにくいことから意識をそらすことができた。
守ってほしいと思っているわけではない。死んでも構わないし、そうあるべきだと思う。でも私はこの人と一緒にいたいのだ。昔から存在していた感情をようやく認識し、私はどうやら戸惑っているらしい。どうすればいいのだろう。
「」
「ん?」
「お前がいいなら俺はいつでも構わねえからな」
「家?」
「ああ」
「じゃあ明日かな」
「そりゃまた急だな」
「窓壊れてるし。ずっとここにいたら天使が戻ってきそう」
「縁起でもねえこと言うな!」
冗談だよと笑うと大げさにため息を吐く。足手まといにだけはなりたくないな、と思う。どうせならちゃんと鍛えようか。長時間歩くだけでなんとなく全身が疲労してしまうのだから困ったものだ。人間ってそんなものなのだろうか。私はベッドに倒れこんだ。