答えを知る者は何処
誰かが私を呼んでいる。ここには何もないはずなのに、確かに誰かの声がする。よく見るとそこには私がいた。ああ、これは夢だ。幼い私がこちらに手を振っている。その口が呼ぶのは確かに私だ。でもそれは名前ではない。自分の手が見える。私の手はこんなに骨ばっていただろうか。これではまるで……。私があなたを呼ぶ。
「君はまだ、迷っているんだね……」
気づけば幼い私は消え、視線が下がる。今度は少女の目線になったらしい。そこには彼女の仲間と思しき子供たちがいる。彼女。いや、これは、私だ。けれど私にこんな記憶はない。これが私ならば何故、押し寄せるものが全て知らない感情なのだろう。誰かが私を呼ぶ。
「もう全部忘れていいんだ」
感情。感情。感情。混乱する。激しい異物感に襲われる。こんなもの知らない。私は……あなたは、……僕は。一体ここはどこだ? どうして何もかも失くしてしまったんだ? みんなは、どこに行ってしまったの? ……みんなって、なんだ?
「いらないものは捨てて」
私は何者なんだ?
「君は僕に、僕は私に……」
誰かの声が意識を揺さぶる。揺れている感覚はないのに、揺さぶられていると感じる。これもきっと知らない感情の一部だ。何も分からない。このままでいいのだろうか。「戻らない」ことが「正しい」? 脳が思考を拒否する。こういう時「いつも」なら頭痛がする。いつも? いつもって、なんだ? 頭痛って? 駄目だ。顔を両手で覆う。金属音が耳につく。見ると右手にはブレスレット、両足に二本ずつアンクレットが巻き付いている。これは私の体じゃない。僕の体だ。なら、これで、大丈夫だ。
アンクレット壊すからな。
思考する間もなく、後ろから誰かの手が伸びてきて、私の両目を塞ぐ。
「大切な人を待たせるのが好きだね、君は」
「ちょっと」
はっとする。私の声だ。思わず顔を上げるも、誰かの手のせいで周りを確認することができない。声は続けた。
「どうしてあなたが……そとのものが」
「君が望んだからだ」
「そんなこと、のぞんでない。だって私にはみんながいる」
「望まなきゃこうはならないと思うけどな」
「むりに入ってきたのね?」
「乱暴はしていないよ。大事な体だ」
「ねえなんでなにも言わないの? ……みんなは? 私いま、どうなってるの? ねえ!」
「この子はもう君のものじゃないってことさ。もちろん、みんなもね」
「……あなたもしかして、あのときの……私をしばってる……ならでていってもらわないと」
誰かと誰かが言い争いをしている。声が出ない。両瞼に触れている手の感触が全てを麻痺させるようだ。抜け出せない。
おい!
焦りだ。これは、焦り。侵食。突然色々なものが流れ込んでくる。声、言葉、仕草、空気。その時天使の手が離れた。……天使? 振り向くと幼い私が天使の腕を掴んでいる。あのままあれに捕まっていたら危なかったのだということだけが分かる。心臓が動いている音がした。よかった。天使は未だ微笑みを浮かべている。そういえばこの男は真顔になれないのだ、と思い出す。
「君がまだ意識を持っているなんて。そんなものとっくに死んだと思っていたよ」
「しばられてうまくうごけなかっただけだもの」
あれは一体なんなのだろう。幼い姿をした少女はしかしその話し方から幼さを感じさせない。少女が何らかをきっかけに動けなくなった隙に天使が……?
「おもいだして」
いつの間にか私は目の前に来て私の手を握っている。私、これは私なの? 少女の着ているワンピースの、胸元のリボンが揺れる。
「私はぜんぶおぼえてる。みんなのことも、かれのことも。……なんで、あんなだいじなかこを、わすれちゃったの……」
「大事な……過去……」
「耳を貸す必要はないよ。君にとって大事なのはこれからだろう?」
「……私をしばっているあれを、こわして。おねがいだから、めをさまして」
「……あれって」
「」
唐突に、はっきりと声が聞こえた。私が顔を上げると私も天使も周りを見ている。。私の名前だ、と思った。けれど今の今までそれを忘れていたのかもしれない、とも。もう一度、声が名前を呼ぶ。。そう、呟く。
あなたはどんな気持ちで私の名を呼んでいるの?
「待ってくれ」
天使の切羽詰った声。でもあれを意識してはいけない。きっと私は、あれがここに入るのを許してしまったのだ。それが私の意志でなくとも、侵入し乗っ取られたのは事実。目を伏せる。様々な感情が、少しずつ帰ってくるのを感じる。
「おもいだして……」
祈るように言う少女。やはりあれは私自身だ。
次に目を開けた時、もう白い空間はどこにもなかった。