ああ輝かしいのは彼方

 俺はパス、と言った声で我に返る。続いてなんだよと言う声。それからなまりの残った高めの声が、それも断っているらしい。聞いていなかったがたぶんこの後飲むとかそういった話だろう。屋根の上からは夕陽がよく見える。こんなところでも夕陽くらいは綺麗なのだ。
 今日も手を汚すことはなかったなと思う。視界に入る両手は驚くほど白く傷一つない。時々私はこの体が自分のものじゃないんじゃないかと思う。いや思うというより、気づく、という表現をするのが正しい。そうだ、そういえば、この体は私のものではなかった。そんな風に。

、ん? あいつどこ行った?」

 さっき上行くって言ってたよと男の声。今にも崩れそうな屋根になるべく負荷をかけないように立ち上がる。スカートの後ろを軽く払い、崩れかけの窓から顔を出している男の目の前まで降りた。驚いたような顔、彼と目が合って、呼んだ、と聞く。

「相変わらず地獄耳っつーかよお。おめえ飲むだろ?」
「飲んでもいいけど」
「よし」
「先、下降りてるから」
!」
「ん?」
「乗せてってよ」
「乗り物じゃない」

 適当な上に調子のいい、マイペースな男。奥に戻っていく、長身の男が視界に入る。飲んでもいいと言うと飲むことになるのだ。別に飲んでもいいけど。伸ばされた手を取り男の空気を操る。感嘆の声が聞こえる。私にしかできないことなのだった。特別な、力、なのだった。地面に向かって落ちていく。直前で止まり自分と男の重力を通常に戻して着地する。

「ありがとう。やっぱりすごいな」
「すごい?」
「浮く、っていうのがさ」
「ノブナガは疲れるって言ってた」
「ずっとあれじゃ疲れるんじゃない?」
「慣れてなかったらそうかもな」
も最初は大変そうだったじゃん」

 男の苦笑から目をそらす。他のメンバーも下りてきて、会話を続けなくて済むことにほっとする。最初。もう十五年近く前のことだ。嫌なところだけちゃんと覚えている。そらした先で骨ばった指が見えてその動きを追う。得物を掴む手。視線を上げるとみんなと話していた彼がそれに気づいて私を見る。きっとこいつは何も覚えていない。何か言おうとしたのか口を開いたところで、私の隣から言葉が発された。

「じゃ、解散ってことで。おつかれ」

 みんなが散っていく。次に会うのはいつになるだろう。明日か、もしくは数年後か。昔はずっと一緒だったのにと少し寂しくもある。寂しいという感情が湧き上がることに安心する。残された私と一人の男はまた目を合わせる。

 酒を飲むことに対し興味がなくなったのはいつからだろう。少なくとも子供の頃は楽しく飲めていたはずだ。今だって楽しくないわけじゃない。飲みの席は好きだし楽しんでいるみんなを見るのは、たぶん楽しい。けれど酒を飲むという行為自体には何も思わなくなった。視線を感じ、誤魔化すようにグラスに口をつける。

「おめえよお」

 けれど何も分かっていない男は容赦なく言葉を吐く。喉を液体が通っていく。何を言われるのだろう。様々なものを飲み込む。男は肘をついてまっすぐにこちらを見た。

「昔はもっと明るかったんだがなあ」

 昔。なんだってどいつもこいつも昔の私のことを記憶しているのだ。自分ではほとんど覚えていないっていうのに。ほろ酔いの男。私は、この男のことすら。ならばどうしてあの光のことはこんなに鮮明に覚えているのだろう?

「つーか
「ん?」
「お前そんなひらひらした服で飛び回ってんじゃねえよ。見えんだろ」
「下にズボンはいてる」
「いっつもそう言うがお前、男ってのは」
「はいはい」
「心配して言ってんだぞ!」
「それは心配じゃなくお節介だ」

 顔が赤い。きっと飲むのが好きなのだろう。二人で飲んだことはあまりないが、大勢で飲む時とはペースが違う。はずだ。何しろそういう時は浴びるように飲んでいるから。そして大抵騒がしい酔い方をしている。細長い指がテーブルを叩く。とんとん。音は続く。このテーブルはどこかで盗ったものなのだろうか。一部のメンバーと違い財布は持っていたはずだけれど。そのうち音が止まり、部屋が静寂で埋まりそうになる。恐ろしくなるその前にまた、男はくだらないことを言う。