そして終わりが始まる

「猫」

 男の傍らから小さな声が言う。男は女の言葉に、木に寄りかかっていたその大きな体を起こす。言われてみれば遠くで鳴き声が聞こえるなと思い、しかしあくびの間にそのことは頭から消えてしまっていた。
 夜遅くということもあり、ほとんど明かりが見えない。ぱち、と木の枝か何かの燃える音が女の耳に届く。ほのかにオレンジ色に見えるのは、何か所かでは炎を灯しているからなのだと理解する。次いで風の音。人間の動いている音はしない。……村の入口から中央部分まで移動し、ブラックホールを展開する。その技を使うのはしばらくぶりな上、毎度疲労を伴うのでもしかしたらまずいかもしれないと女は思っていた。そこまでの力を使うということ……。なびく髪を片手で押さえながら、考えを振り払うように作戦を思い返す。


「このあたりで能力を発動すると、周囲の家はどうなる」

 男が村の地図を指しながら女に尋ねた。女は小さく首を傾げ、頬に手を当てる。

「はっきりとは言えないけど……こういう作りの家なら、崩れると思うよ。でもこの距離だと重力もそこまで強力に操作できないから、完全に吸収することはできないかも」
「人体を飲み込むことはないな?」
「うん、ない」
「家は崩れてブラックホールに引き寄せられ、中にいた人間は浮くという認識でいいか」
「……そう、だね。距離によっては人間も引き寄せられると思うけど、まあ」
「何故浮くね」
「俺に聞くな」
「重力操作が弱いからじゃない?」

 他のメンバーが女の後ろで話している。を中心とした球体があって、中心から離れるほど弱くなるから……と続けるが、聞いている男たちにはあまり理解できていないようだった。女の意識が背後の会話に向けられたところで、向かいに座る男が手を叩いた。

がブラックホールを生成し始めたら俺たちも村に入る。分かっているとは思うが、女子供は他の村人の怒りを助長するために……」


「猫と言えば」

 あくびで返事をした男が呟いて、女は回想を中断する。猫。その後何の反応もなかったため女の頭からも消え去っていた単語だ。隣を見上げると男はまたあくびをした。そんなに眠いのかと他人事のように思う。腕時計の針が動く音と、炎が燃える音が女の意識を目の前の男から逸らさせる。それからようやく男が続きを紡いだ。

「昔お前、ノブナガか誰かに連れてこられたよな?」
「……え、たぶん……なんで?」

 猫と一体何の関係があるのだ、と女は男を見つめる。この男と組むのは初めてだった。何故今回急にペアが変えられたのかは女の知るところではないが、手加減というものを知らない男が一人で目を回収するのは危ういのかもしれない。適当な推測をして女はそれについて考えるのをやめたのだった。

「名前分かるまで、野良って呼ばれてただろ」
「野良?」
「覚えてねえか?」
「……覚えてない」

 少女は餌を手に入れる術をよく心得ていた。生き長らえるために自然と身についた知識だった。癖と言ってもいい。その様子を見た少年が呼び始めたのだろう。年齢は下でもあの場所で生きている時間は少女の方が長く、どちらかと言えば餌を分け与える側にいた。
 今の仲間がひとところに集まりだした時、少女をそこに連れて行ったのは少年だったが、少女がそこに馴染むのにそう時間はかからなかった。時々そこには少女によるものだと思われる食物が少年たちのために置かれるようになった。

「俺らが餌付けするまでもなく育っちまったなあ」
「餌付けって……」
「ノブナガ、昔はよく寂しがってたぜ」
「寂しがってた?」
「あいつはでかくなってからだったからな。五……いや六、七の時っつってたか。お前みてえに一歳にも満たない時からってやつがどれだけうまくやれるか、分かってなかったんじゃねえか?」

 女の頭に、短い間共同生活を送った男の顔が浮かぶ。彼が寂しいと思うことと、男の話がうまく繋がらない。寂しいのではなくただ心配しているのではないか、そうだとしても何に対する心配なのか。女は、現状の天使云々に関しての彼の態度を思い出しながら腕時計に目を移す。男がそれを覗き込んだ。

「そろそろだな」
「うん」

 風が木々を鳴らし、女をはやしたてるようだ。ゆっくりと立ち上がり村に目を向けた。
 捨てられたという自覚のないまま育った少女は、やがて少年からその場所について聞かされる。自分たちがゴミであるという事実。それを聞いて少女の心は怒りに燃えたのだろうか。それとも悲しみ? 何にせよ、そんな感情たちをゴミの山に捨ててきたことは確かだった。

「一分。覚えてるよな」
「……うん」

 一分以内にブラックホールの展開を終わらせ、破壊した家にいた人間をまとめて宙に拘束しておく。それから男が順に捕まえていくのだ。逃げる者は殺す。そうすれば村人たちも理解できるだろう。これが戦争だと。数秒目を閉じてその様子を思い描き、深呼吸する。脈は正常だ。目を開け、それぞれが待機している方を一度見渡した。

「ウボォー」
「なんだ?」
「……終わったら飲もうね」
「は、当たり前だろ」
「行ってくる」
「派手にぶちかましてこい」
「うん」

 女は暗闇へ走り出す。誰かが女の名を呼ぶ声は、風の音にかき消され、女に届くことはない。