ゆめまぼろしの如き浮世さへ
暗闇に支配された街を見下ろす。この時間になると人通りもほとんどなく、私一人を遺してひっそりと死んでしまったようだった。
あれが消えた日も私は同じことを思ったのだろう。みんなとよく集まっていた場所に行けばやはりそこには人がいて、だから街が死んだのではないと気づいたのだ。全てが停止したように見えた。けれどそれは錯覚だった。ただ、光を失ったことに違いはなかった。
最後まで笑っていた彼が嬉しいだとか楽しいだとか、または私に心配かけさせまいとしてだとかの、つまり感情の動きから笑みを浮かべていたのではないことは分かる。今になって分かったと言った方が正しい。私が今現在あの存在に近づいているのだとするとあれには大部分の感情がなかったはずだ。だから笑みを浮かべていたというよりは、単に真顔になる方法を知らなかったのではないかとさえ思ってしまう。天使に感情がないという前提が正しい保証はないけれど。
あの瞬間。天使の力が体に流れ込んできた瞬間。目の前が開けたような感覚があったことと、全身が熱くなったことを覚えている。急に明るくなったのだ。私はその間ずっと、吸い込まれるように青い瞳を見つめていた。もちろん彼は微笑んでいた。確か私はその時初めて瞳が青いのに気がついたのだ。そういえば普段あまり目が合わないということも。
きっかけはなんだっただろう。彼が羽を失う前、一度飛んでくれたことがある。もう大分弱っていたらしく私を浮かせてはくれなかったが、それを見た私がきっととても羨ましそうにしていたのだと思う。あげようか、と彼は言った。
「え……くれるの?」
「君、仲間がいるんだろう。必要なんじゃないかな」
「……飛べるようになる?」
「ああ。それに怪我も治りやすくなるよ。病気にもかかりにくくなる。ちょっと体に馴染むまでに時間がかかるかもしれないけど」
「体になじむ……?」
「ごめんね。僕もあげたことがないから、よく分からないんだ」
「でも、そしたら、あなたは飛べなくなっちゃうんじゃ」
「君の役に立てたらそれでいいよ」
実際私には力が必要だった。飛ぶことに関して言えばほぼ好奇心だったが、怪我が治りやすいとか病気にかかりにくいというのは当時の私にとってかなり魅力的に映った。生きたかったのだろう。自由に移動できればその分色々なものを見つけやすくなるとも思った。
思い返してみれば役に立ちたかったのは私ではなく、天使の方だ。
それからしばらくしてアンクレットをもらった。彼がつけていたものだった。天使の一部、だった。そうして私に全てを押し付けて彼は消滅した。
風が吹き、たくさんのざわめきが私の耳に届く。遠くで煙草を吸っている男が見える。よくそこから見えたなと言う声を思い出す。もしかしたら常人よりも目がいいのかも、そしてそれさえも侵食なのかも、しれない。
あの男は来たくなかったら来なくてもいいと言ったがあれはたぶん嘘だ。来るんだよね、と念を押されたように聞こえた。行くしかないのだろう。私は彼らのために力を使いたい。仲間。私にとって彼らは仲間なのだ。天使が力をくれた理由の一つ。ならば役に立つ努力をするべきだと思った。天使に心を許し、たくさんのものを受け取ってしまった罪の意識を正当化するために。
「ねえ、君は……」
「ん?」
「……なんでもないよ」
結局寂しげに微笑んだ彼がその続きを紡ぐことはなかった。……天使にも、寂しいという感情はあったのだろうか。