熱が冷めるまで

 あまりに寝付けないので、少しの苛立ちと共にベッドを抜け出し、リビングに行く。渇いた口に水を与えた。置きっぱなしだったパーカーを羽織り、煙草を手にベランダに出る。夕方頃までは曇り気味だったが、今は綺麗な星空が広がっていた。

 寝付きが悪いことはよくあるが、こうも寝れないのは熱のせいだ。目を閉じて、煙に熱を乗せる。どうしようもなく気分が高揚してしまうことがある。静かだと落ち着かないのだ。体が騒ぐことを求めている。そういう時に私は彼らと会う。熱を逃がすために一番分かりやすい方法はセックスだし、それ以外にも自分以上に熱を持った人間に会えばそれで治まる。夕方、ないし日が変わる前までに熱に気づいていれば、その段階で誰かしらに連絡をとって会うことができる。けれどこうして深夜になるとそれも難しい。深夜。早朝とも言える。
 朝までこれを引きずってしまうとまずい。今まで自分の家で旦那がいる状態で熱に浮かされたことはないので、対策もとれない。朝になったら大抵眠気が来て、そのうち熱は治まるが、今日はなんだかそうもいかない気がする。

 熱は意味もなく涙を出させる。これはもしかしたら、感情を整理するために必要な働きなのかもしれない。ただこぼれるままにしておく。灰皿に落とす前に灰がスウェットの上に落ちる。一拍おいて、それを払った。
 考えられる選択肢は三つ。このまま熱が引くまで煙草に身をゆだねる。無理にでもベッドで目をつむって眠気を待つ。それから、彼を頼る。
 私の性格を考えると、二つ目が最も有力だ。たぶんあまり長時間ベランダにいてもなんとなく落ち着かなくなってくるし、どうせ放っておいたら眠くなると思いベッドに戻るところが想像できる。なら三つ目は?

 私は彼に不用意に触れることがない。できない、と言ってもいい。元々パーソナルスペースが広い方だというのが主な理由だと思い込むようにしている。けれど確実に違う。それを自分でも分かっている。私のような汚い人間が彼に触れていいのだろうか、私はそう思っている。色々な男に体を許してきた。やめられないというよりは、やめる必要性を感じない。でもそのおかげでこうして彼を置き去りにしている。だからやめるべきだった、手遅れになる前に。もう、手遅れだから、やめない。
 本気で私が誘いをかけたら、拒まれることはないだろう。きっと彼から私に手を出さないのは、私を待っているのだ。それを理解するまではずっと私に欲情できないからだと思っていた。耐えられる程度の欲ならそれまでだと。けれど、私の思うより彼は大人だったんだろう。本人に聞いたことがないから確信は持てない。
 抱きしめてくれる。キスとか、添い寝も、してくれたことはある。そういった全てに罪悪感が湧く。無駄な感情が存在している。どうして本当に好きな人とは、素直に触れ合えないのだろう。こぼれる水の量が増える。

 頬にこびりついた、液体だったものを乱暴に拭う。そもそもこんな時間、寝ているに決まっている。ドアを開けた音で起こしてしまった可能性はあるが、結構な時間ベランダにいるわけだからさすがにもう寝ただろう。何を期待しているんだ、私は。
 ……期待。ということは私は三つ目を選びたいのだ。私が彼の部屋のドアを開けたら、確実に目を覚ますだろう。そうしたら私の期待には応えてくれる。そこまで分かっているのに、分かっているから、行動に移せない。
 駄目だ。このままじゃ、駄目だ。この熱はきっとチャンスなのだ。ベランダから室内に戻る。

 一応、ドアをノックする。すると意外にもはっきりした返事が返ってきた。起きていたらしい。

「どうしました」
「あの……」

 何も言葉が出てこない。真っ白だ。そりゃシュミレーションしてなかったんだから出てこなくても仕方ない。あの、ええと、これは、その。言葉になりきれなかったものが脳内に浮かんでいる。

「座って」
「あ……はい」
「君は本当によく泣くね」
「こ、これは、ちがくて……」

 髪で顔を隠す。一気に現実に戻ってきたせいで、泣いていたことすら忘れていた。その私の頭を、ウイングさんの手がなでる。肩が揺れる。小動物のような反応を返してしまう自分が嫌で、触れられないようにしていたのかもしれない。
 熱が、熱に変わる。

「寝れなかったんですか?」
「まあ……」
「頻繁にそうなるみたいだけど、原因とかは」
「分かってます。だから」

 だから大丈夫。私のいつもの答えだ。今これを言ったら終わってしまう。せっかく掴んだチャンスなのに! 口を閉じて、開いて、息を吐き出した。

「ええと……あの……大丈夫じゃないです」
「それは」
「い、一緒にいたいっていうか! な、なんていうか。はあ……ごめんなさい」

 頭を抱えたくもなる。彼は間を空けた後小さくため息を吐いた。

「あなたは覚えていないかもしれないが、ここは私の部屋で、私はあなたの夫ですよ。頼られることで迷惑になることなんてない。だから、謝る必要もない。いつからか君が私に遠慮しだして、それを伝えることもできなかったけれど」
「……知ってたんですね」
「君ほど顔に出る子も珍しい」
「それはウイングさんだって」
「でも、君は私の言うことを信じない癖がある。どうしてですか?」
「……すみません」
「いずれ信じられるようになります。だから今は構わない。けどこれからもただ一緒にいたいというだけで謝罪するなら、怒りますよ」
「……あの、ありがとうございます」
「いいえ」

 微笑みと優しさ。敵わないのだ、彼には、いつだって。熱が心音と共鳴しあう。愛なんて……。