せんたく
引っ越さないでいようと提案したのは私の方だった。結婚を機にもう少し広いところに移ってもよかったのだが、別段困っているわけでもないし、このままここに住んでいる方が財布にも優しい。
3LDKの家なんて借りれたのはウイングさん自身の生まれのよさによるものだろう。今では二部屋をお互いの寝室、もう一部屋──姉弟子の住んでいた部屋を物置として使っている。新婚として寝室を分けるのはどうなのかと思った時期もあったが、特に問題がなかったのでそのままだ。
私はまだ、彼とセックスしたことがない。
「煙草ですか」
「はい」
「ついでに洗濯物を取り込んでもらえるかな」
「分かりました」
会話なんて師弟時代から変わっていない。当たり前のことかもしれないけれど、関係性を表す言葉が変わっただけで、私たちが別人になったのではないのだ。それに恋人や夫婦といった関係になってからの時間の方が短いのだから仕方がない。
もしかしてその気になってくれるかなと思って、こちらから仕掛けることがある。そういう時彼は決まってため息を吐く。我に返った瞬間、自己嫌悪に陥る。他の男たちに使うのと同じ声色を、彼にだけは聞かれたくなかった。その心境を見せないために私は笑顔を見せ、軽く謝るのだ。
洗濯物を入れ、カーペットの上に落とす。端から畳んでいると、彼の視線に手が止まった。
「急に決まったことなんだけど」
「はい?」
「明後日から視察に行かなくちゃならない」
「……い、ってらっしゃい」
まずいほどの間を空けてしまった、後悔とタイミングを同じくして彼がふっと目をそらす。私に気を使う時、彼は目を見ない。ああ、もう。もっとちゃんと送り出してあげないといけないといつも思うのに、私の脳と体は一致しない。心なんてずっとわめいている。こういうことは弟子時代からあった。だから慣れている。けれど確実にあの頃よりも深く傷を負っている。もちろん彼に怒りを感じたりでなく、寂しいという感情によって。そして私はそれを彼に伝える術を知らない。困らせるだけなのに、そんなことを言うなんて愚かしい。わざと困らせるのとは違う。私の本心なのだから。そうした感情の動き一つ一つが下手だなと思う。そんな私を、彼も持て余している。
だから私は笑顔を浮かべる。
「私そんなにできた子供じゃないので。あんまり放置したら何するか分かんないですよ」
「なるべく急いで帰ってきますよ」
「はい、待ってます」
ふざけないと本心が言えない。まだたったの二十年しか生きていないのだと私は私に言い訳をする。たぶんこの人もそれを分かっている。不器用だけど察しのいい人なのだ。そして頭の回転が速い。私はいつ何を間違えて余計なことを言うかしれないから、いちいち会話の中で正しい選択肢を選ぶよう気を張らなければいけない。けれど、完全に正しい受け答えしかできなくなることは、正解ではない気がする。
畳んだ洗濯物を山にしていく。