空は焼けて
タクシーを拾って家の前まで走らせた。完全にではないがだいぶ酔いは覚めた。窓の外で流れる景色を眺める。この時間に起きている人はどれくらいいるのだろうなどと、意味のないことを思う。とはいえもう四時か。会社勤めの人なんかはもう起きていてもいいのかもしれない。あるいは、夜勤から帰って、これから寝る人。徹夜している人。飲み会。世の中には私が思っている以上に色々な人がいて、そのほとんどと私は関わることがない。これから先も、一般の人とは違う世界で生き続ける運命にある。そこで生き抜くために必要なのが力であり、沈まないために目指しているのが師範代なのだ。そしてあれの深みにはまらないための彼。
家に着き、自室のベッドに鞄と上着を投げる。シャワーを浴びると起こしてしまうだろうか。まあ彼のことだからドアの音で気づいているだろうけれど、シャワーはうるさい。いや、でもここで浴びておかないとこの顔のまま、むしろ悪化した状態で会うことになってしまう。確か今日は昼前には仕事の関係で出かけると言っていた。いくらなんでも勝手に朝帰りしておいて旦那を送り出さないなんてわけにいかない。
洗面台にネックレスや指輪を外して置いていく。イヤリングは、片方だけ。さっきは頭が回っていなかったからか気づけなかったが、よく考えたら外す時にも若干引っ張られる感じがあるのに、落ちて気づかないものだろうか。でもそんなことにも気づけないくらい酔っていたのだと思えば納得できる。あいつを信用して酒を飲むという行為が、罪深い。
すぐにでも寝てしまいたかったが、風呂に入ったとは言えこのまま寝てはまぶたの腫れがひどくなる。タオルを冷水でしぼり、両まぶたを覆った。人体からあんなに水分を出してもなんの問題もないのに、それが血液になったら死に至る。涙は心の血液だ。じゃあ、私の心は死んでしまったのだろうか。
タオルをテーブルに置いて、テレビをつける。そういえば煙草が吸いたい。つけたばかりのそれを消し、煙草を取ってベランダに出た。空が明るくなってきている。もう少ししたら水色に変わるのだろう、朝焼けは赤く燃えている。乾ききっていなかった毛先が風で揺れて冷たくなる。どうやって彼に説明すればいいのだろう。セフレはともかく、今まで友人だと言ってきた男との浮気なんて。旦那とやったことがないのにセフレがいるっていうのもひどい話だけれど。最低な人間だ。今日帰ってきてから話すか。でも、仕事で疲れた彼にそんな話をしたくない。明日でいいか。そうやって先延ばしにするのだ。だから今までだって。
煙草を吸うだけにしてはかなり長い時間ベランダにいたらしい。テレビ画面に表示された時間を見て驚いた。紅茶でも飲もう。もうしばらくしたら彼が起きてくるはずだ。
「おはようございます」
「おはよう。夜遊びもほどほどにしなさい」
「ごめんなさい」
「悪いと思ってないでしょう」
「思ってますよ」
「……また泣いたんですか?」
「まあ」
「そんなに私に話したくないことなんですか」
「……いや、……そうじゃないです」
「なら今日の夜聞きます。いいですね?」
「……怒ってます?」
「心配しているだけです」
言っていることと表情がかみ合っていない。分かりやすい人だなあ。あいつと違って本当に心配してくれているのだろうけど。のんきにそんなことを思ってから、一気に頭の中が冷える。聞き出されてしまう。ああ言わなければいけない。ウイングさんはこれが浮気の話だなんて思っていないだろう。分からない。全部分かっていて私の口から言わせようとしているのかもしれない。いや、浮気だと知っていたらもっと怒るのか。いや、いやでも、腹が立たないのだとしたら。さっきもこんなことを考えた気がする。堂々巡りに終止符を打ち、私はテレビに目を向けてカップに口をつけた。