致死性の病

 三回目のそれが落とされた時、私の体はソファーに押し付けられた。このまま私はこいつにまで体を許してしまうのではないか。それもいいかもしれない……。一瞬私の中で事象を肯定してから、それは駄目だと思いなおす。なし崩しにキスまで受け入れてしまったが、こんなことは本来あってはいけないことなのだ。あの男とのことで頭が混乱してしまっていた。いや、酒のせいもある。ぐちゃぐちゃだ。なんで……。堕ちかけた思考をなんとか通常に戻し、私はヒソカの体を両手で強く押した。

「どうしたの」
「どうしたじゃないわ。駄目だってば!」
「だめなの?」
「あ、当たり前でしょ! そこどいて。帰る」
「はいはい」

 ヒソカは思ったよりすんなり私の上からどき、私の腕を引っ張って起こした。下敷きになっていた上着を広げ、帰り仕度をする。その間にもヒソカは私から目をそらさない。この空間は本当によくない。早く逃げないと大変なことになる。

「送ってあげようか?」
「馬鹿じゃないの?!」
「心配してるだけなのになあ」

 返事をするのも馬鹿らしい。心配だって? 涙を振り払うように玄関に向かう。靴を履いてドアに手をかけ鍵を開けた、その時、腕をつかまれた。痛みについ振り向くと、すぐ私の手を拘束していない方の手が頬から耳、首へと滑る。熱に浮かされてしまいそうになる。人差し指で顎をあげられ、反射的に顔をそらす。喉の奥から漏れ出たような笑い声が聞こえた。

「待ってるよ」

 腕の拘束が解かれ、我に返ってドアを開ける。マンションの廊下に私の靴の音だけが響く。最悪だ。あの薬は私には強すぎる。一度手をつけたらどんどん欲しくなってしまう、中毒性。唇をかんで大きく漏れそうになった息を飲み込む。
 エレベーターに乗って一階に下りていく中で、ようやく体から力を抜く。それと同時に一度引っ込んだ涙が流れ出した。なんでこんなに泣かなきゃいけないんだ。もう泣くことには疲れた。疲れた。自業自得だ。マンションから出て、とにかく離れるためふらふらと歩く。体の熱が明確になってきた。あの味の割にたぶんかなり強い酒だった。だからウイスキーは嫌いだって言ったのに。でもそれだけじゃない。そんなことにはとっくに気づいている。

 しばらく道なんて気にせず歩いていたが、歩き慣れた道だったせいかちゃんと駅前に着けた。慣れは恐ろしい。駅は当然のことながら人の気配がしない。喫煙スペースに行き、道路との境のガードレールに腰掛ける。煙草に火をつけ、耳たぶを触って、そこで気づいた。……イヤリング、どこかに落としたのかな。服を払っても落ちてこない。ポケットにもない。自分から外してはいないだろうから、鞄にはないはずだ。ヒソカを待っている時にはあった。家に着いた時もあった覚えがある。そこから先が分からない。まさかあいつの家に落とした? 思わず盛大なため息を吐いてしまった。あそこに取りに行くことはできない。たぶん次に会ったら終わりだ。道端に落ちているかもしれないが、この暗さで地面から探し出すのは無理だろう。仕方ないな。割と気に入っていたのだけれど。
 空を見上げる。未だ雲は薄くかかっている。煙を吐き出す。知らない間に涙は止まっていた。
 好きなんだろうな。心の中で言葉にしてみると予想以上に苦しくなった。ああ、考えないようにしていただけで随分前からそうだったのかもしれない。でも……。でも、私にはウイングさんがいる。旦那がいるから駄目なんじゃない。ウイングさんのことが好きだから駄目なのだ。なんでよりによってヒソカみたいに厄介な奴を選んでしまったのだろう。理屈では説明のつかない部分では、ヒソカにとてもはっきりと惹かれている。それはつまりウイングさんよりも。けれどウイングさんに会ったらまた逆転するのだろう。そしてヒソカに会ったら、というのを繰り返す。そのくらいあいつは私の心を占領していた。今までウイングさんしかいなかったのに。
 やっぱり私一人では断ち切れそうにない。彼に話すしかない。……怒ってくれるだろうか。見捨てずに許してくれるだろうか。じゃあその話を聞かされている時あの人は何を思う? 腹が立つだろう。いや、怒ることもなかったら……。傷つくこともなくて、そんなことだと思ってたなんて言われたら私はどうすればいい? 様々な推測が私を苦しめる。煙草を捨てて額を押さえる。思考がうまくいかない。息も熱い。泣きすぎて目は腫れているし、頬にはまだ冷たさが残っている。待ってるって、何よ。私がウイングさんを振るとでも言うのか。そう、考えて怖くなった。私からということはなくても、向こうからというのは有り得るのだ。有り得るどころか、その可能性は高い。じゃあウイングさんの元を離れた後私が行くのは。そういうことなのか……。
 ……いっそ、殺してくれればいいのに。