カフェオレ事件
確かにこれはデートと言われても仕方のない行動かもしれない。そう目の前のヒソカを見て考える。カフェオレは既に冷めて、体を冷やす一方だ。この男には目をそらすという反射行動が存在しない。だから、私が目を合わせようと思ったら顔を上げるだけでいい。目の前にいる今みたいな時はもちろん、隣にいる時でさえいつもこちらを見ている。意味もなくしているわけではないのだろうけれど、こんな奴の思うところが分かるわけもない。
「考え事?」
「え? ああ、まあ」
人と会う用事があったらしく今日はまともな恰好をしている。イケメンでしかないのに、笑うとすぐにいつもの顔になる。そのたびに私は安心する。あまり表情のないヒソカは見れたものではない。精神衛生的に。
カフェはそこそこ混んでいて、私たちの隣の席にもカップルらしき男女が座っている。隣との関係は会話の聞こえないぎりぎりの距離と、意識にのぼらない程度の音楽によって成立している。不思議なことに、こういう場所にいるとヒソカはあまり狂った言動をしない。そもそもこいつの狂ったところは思考の根本や殺しに関することであって、ただ静かに会話しているだけではその異常性は見えてこない。下手をすればすぐにぼろは出るが、隣の席からでは分からないだろう。たぶん、私たちは普通のカップルに見える。
「今日は?」
「何が」
「旦那」
「今いるかは分からないけど、夜にはいると思うわよ」
「夜まで君といたら疑われちゃうかな」
「あんたのこと話してるから大丈夫」
「でも君ってさ」
ヒソカが何か言いかけた時、立ち上がった隣の席の男側の鞄が私たちのテーブルにぶつかって、双方の動きが止まる。慌てたように謝罪の言葉を口にした彼氏に私が軽く会釈する。彼女の方は、ヒソカの顔を見ていた。その間こいつは珍しく真顔になっていたように思う。見ていなくてよかった。たまに子供のように純粋な表情を見せる。少し間をあけてヒソカに向き直る。
「ごめん、なんの話だっけ」
「忘れちゃった」
「あら」
「懐かしいね」
「何が」
「恋人」
「あんたでも過去を思い出すことってあるのね」
「君といると、昔のことばかりだ」
「かわいそうに」
「一緒に懐かしんでくれよ」
「あれは間違いだった」
「楽しそうだったけどなあ」
「楽しかったけど、あれは」
「君は浮気性なんだよ。昔から」
「……でも今は、浮気なんてしてないわ」
「何も起きてないけどね」
つまりこいつは私たちの関係がそうだと言いたいのだろう。だからどうということでもなく、ただその事実をつきつけようとしている。私の動揺が見たいというのが一番こいつの考えそうな理由。二番目は、何も考えずに言葉を発している可能性。他人の感情をおもちゃとしてしか認識していないのだ。
「好きにならなきゃ浮気じゃないと思うの。何をしてても、結局私が一番好きなのは旦那だしそれを相手も分かっている。だから何人かの男との関係を続けられている」
「君があれを浮気だと判断したのは、僕のこと好きになりそうだったからなんだ?」
「……そうなの?」
「さあ?」
あの時逃げたのは、単にセックスが怖かったというのもある。けれど私は、はっきりとこのことを彼に知られてはいけないと思った。今思えばあれは、ヒソカを好きになりそうだった瞬間なのかもしれない。
「確かに、あんたは魅力的な男だわ」
「照れるなあ」
「体型は理想的だし、顔もいい。戦闘狂であることを抜かせば優しくて女の扱いを分かってる。あと強い」
「くくく……」
「まあでもあんたと付き合うのだけはないわね」
「どうして?」
「いつ殺されるかもわかんないのに。あんたみたいにまともじゃないのとは付き合うのはおろか結婚なんて」
「じゃあ、そういう名前のつく関係じゃなければいいんだ」
「どういうこと?」
「僕が君を好きで、君も僕が好き、それだけの関係」
「そんなのあり得ないわ」
「僕は君を殺さない。そう確信できれば、君は僕を好きになるんだろう?」
「それは極論でしょ」
「でも、君の中での大きな問題は、僕に殺されるかもしれないという恐怖だ。ならそれがなくなった時、君はどうなるんだろうね?」
「……よくそんなに口が回るわね」
「口説いてるんだよ」
冷たくなったカフェオレを流し込む。