君に収束するこの世

 あれから何事もなく二日経ったが、なんだかんだ忙しく、まだ手紙は書けていない。どうせ遠征に行っているから気にしないだろうが。
 朝、部屋に届けられた郵便物の中に父からの手紙を発見し、母の命日が明日であることを思い出す。簡潔に時間と場所だけ書かれたそれを書類の上に放り、窓を開ける。
 たぶん母の死は、私と父を繋いでくれた出来事の一つだ。親子として過ごす機会を無理やり作られたとも言える。もちろん父とは仲が悪いわけではないが、悪くなるほど接してこなかっただけなのだろうと、最近は思っている。
 星の月。あまり気候の変動しない国ではあるが、寒い日の多い月だ。遠くに薄らとかかる雲を眺めていると、隣の窓が開く音がして、そちらに視線を向ける。顔を覗かせたアリアの前髪は、元がくせ毛なのもあって四方八方にはねていた。
「あっ!」
「ん? おはよう」
「おはよーございます! 今そっち行ってもいいですか?」
「え? なんで?」
「早起きしちゃったんで!」
 言われてみれば、この時間にアリアが起きているのは珍しい。特に用事もないので了承し、テーブルの惨状に目をやる。
 当然片付く間もなくドアがノックされ、書類を置く。鍵を開けると私が引くよりも先にドアが押し開けられ、少し体を退けた。
「お邪魔します!」
「……なんの用だ?」
「これ!」
 何も言っていないのに部屋に入ってきたアリアに、ため息が漏れる。ドアを閉めると彼女は笑顔で何かを差し出してきた。薄い、手紙よりも小さい封筒だ。
「なんだ、これ」
「あげます」
「なんで?」
「いいからいいから」
 開けろということらしいので、折り目を開き、中身を手のひらに出す。細長い薄板──栞だ。重みがあるので金属でできているのだろう、花が彫られており、その緻密さから値の張るものだと分かる。
「私に?」
「そー! 本好きって言ってたでしょ」
「何故?」
「あげたくなったから!」
「……変わってるな」
「嬉しくないすか?」
「いや、嬉しいよ。でも理由が」
「昨日街に行ったら、旅商人さんがいてえ」
「はあ」
「いいものだけど、安くしてあげるって!」
「……よく分からないけど、もらっていいのか?」
さんのために買ったんすよ!」
「ありがとう……何か返さないとな」
「えー、じゃあ恋の感想」
「却下」
「えー!」
 そこまで付き合いが長いわけでもないのに、わざわざこんなものをくれるとは。かわいい子だなと思いながら袋にしまい、読み途中の本の上に置く。
「あそうだ、旅商人さん」
「ああ」
「あ、ベッド座っていいすか?」
「いいよ」
 いつまでいるつもりなのか知らないが、まだ時間もあるしいいだろう。「それで?」書類をまとめ、棚にしまいながら続きを促す。
「その人が、さんのこと知ってましたよ」
「ふうん」
「タッパで騎士団って分かったみたいで。って子に、弟がお世話になってますって」
「……もしかして、金髪の女性?」
「そうそう!」
 私を子と称し、弟がいる女性なら十中八九ジャクソンの姉、カレンだ。一度旅に出ると少なくともひと月は戻ってこないのだが、今回は早かったようだ。ジャクソンの言うカレンとの喧嘩が手紙上の出来事でなければ。椅子に腰かけ、カーテンの揺れを見る。
「明日まで市場にいるみたいっす」
「そうか、分かった」
「仲良いんすか?」
「まあ、あの人は誰とでもすぐに仲良くなる人だからな。そうだ、そういえば、この間歌ってた曲」
「こないだ?」
 だいぶ劣化した記憶を口ずさんでみるが、アリアは首を傾げた。
「違うかもしれないけど……覚えてないか?」
「うーん……鼻歌なら、適当な音階並べただけかもしんないっす」
「あ、そうなのか」
「ごめんなさい。それがどうかしました?」
「いや、なんて曲なのかなと思ってさ」
「あっ、あたしに興味湧いたんすか?」
「興味は、別に、あるけど」
「そーじゃない!」
「どうなんだ」
「それは言わない」
「どうして」
「いいから、さんの話聞かしてくださいよお」
「はあ……朝っぱらから元気だな」
「どんな人なんすか?」
「さあ」
「さあじゃなくってえ」
「話して何になるんだ。そういうのは他の女性隊員とでもしてくれ」
「あたしはさんのが知りたいんすよ!」
「ほら、そろそろ準備しな」
「ひどーい!」
「ひどくない。仕事の方がよっぽど大事だ」
「えー、じゃあ、また来ます」
「恋愛相談以外でな」
「えー!!」
「はい、帰った帰った」
 私の好きな人のことなどを聞いて、一体何が面白いのだろう。不満げに頬を膨らませたアリアを部屋から追い出し、私もクローゼットを開ける。栞のお返しは、カレンに会った時にでも相談してみよう。


 その日、ジャクソンは訓練場に現れなかった。部下によると体調不良らしいが、あいつのことなので本当かどうかは分からない。明日になっても復活しないようなら様子を見に行ってみるか。普段は休むにしてもあからさまな嘘(双子の弟が危篤だとか)を言うので、仮病を使うのは珍しい。
 軽く湯を浴び、部屋に戻って軍服を脱ぐ。クローゼットから黒いスーツを引っ張り出すと一年も放っておいたせいで若干黴臭かった。ぱんぱんと叩いて埃が舞わないことだけ確認する。
 待ち合わせ場所に行くと、父が腕を組んで立っているのが見えた。暗くなってから墓参りというのもおかしな感じだが、ここ数年、私が隊を持つようになってからはこうだ。頭の固い人だなと思う。
 母が亡くなって、十五年。今更感傷に浸るようなこともない。ただ、父が毎年きちんと悲しんでいることだけは伝わってくるので、胸が締め付けられる。父のせいで死んだわけではないのに、律儀というか、なんというか。
 墓の前に膝をつき、父は途中で買った花を置いた。私も半歩後ろで膝をつく。
 マティルダ・。母は父に嫁いだ時、どんな気持ちだったのだろう。他国、しかもアースガルズから来たのだ、アヴァロンとは討伐の仕方も違う。前線に立ち続ける騎士と結婚して、自分が先に逝くだなんて思っていなかっただろう。父の背中を見る。丸まった、小さな背中。父はここに来ても、母に語りかけるようなことはない。きっと心の中で何かを話しているのだろうけれど。
 しばらくして、父が小さく息を吐き出した。もう満足したということだろう。
「父さん」
「なんだ」
「……母さんは、優しかったよね」
「……甘っちょろい女だ。そのくせ、折れやしない」
 言いながら、父は立ち上がった。父の中では今も、守りきれなかったという思いがあるのかもしれない。病死だろうがなんだろうが、死なせてしまった、と。
 墓地をあとにし、毎年利用している小料理屋に入る。店主は私たちを見て、もうそんな時期かと笑った。
 腹を満たすためだけの食事を終え、店を出るとすっかり夜になっていた。そういえば、カレンはまだいるだろうか。「」父に別れを告げようと口を開くが、その父に遮られてしまった。
「お前は、愛する者を遺していくんじゃないぞ」
「……」
「さっさと帰って休め」
 父は、私の返事を待たずに歩き出す。遺されたひと。愛する者に旅立たれたひと。想像するだけで、胸が引き裂かれそうになる。遺していくんじゃないぞ。私は騎士だ。愛する人が死ぬくらいなら……。
 市場に戻るため、父とは逆の方を向く。スーツのボタンを外し、ポケットに手を入れる。時折かけられる声に応えながら歩いていると、見覚えのある金髪が視界に入った。店じまいをしているらしい。
「カレン?」
 近づいて、声をかける。ぱっとこちらを向いたのはやはりカレンで、数ヶ月ぶりだというのに全く変わっていないことに安心する。
「あらちゃん! 久しぶり!」
「来てるって聞いてね」
「ふふ、ありがとう。何か欲しいものある?」
「もうほとんどしまってるじゃないか」
「夜は駄目なのよ。そうだ、奢るから飲みにいきましょ! ちょっと待っててね」
「ああ」
「ねえ、ジャクソンの具合どう?」
 忙しなく手を動かしながら、カレンが言う。
「え?」
「昨日せっかく会えたのに、具合悪いって帰っちゃったのよ」
「へえ。確かに今日休んでたけど」
「あー、あの子さぼり癖あるもんね。信用なくすからやめなさいって言ってるんだけどねえ」
 本当に体調不良だったとは。あいつのことだから精神的に参っているだろうし、明日の朝にでも顔を見に行くべきかもしれない。
 荷物を片したカレンと、以前にも訪れたことのあるバーに行く。カレンは大の酒好きで、酔っ払うと私に飲ませようとするので早めに切り上げなければならない。
 バーには他にも数組客がいた。カウンターの真ん中あたりに腰掛け、ジャケットを脱ぐ。
「お母様?」
「うん」
 カレンとはもう十年ほどの付き合いになる。ジャクソンが入団してすぐ、心配したカレンが訓練中に乗り込んできて、それにびびったジャクソンに盾にされて以来顔見知りだった。その頃は私も街に出ることが多かったので、何度か偶然顔を合わせ、何かのきっかけでよく話すようになった。
 カレンはビールを、私はジュースを頼み、出されたナッツをつまむ。
ちゃんは偉いわねえ」
「え、何が?」
「騎士団に入ってもう十年だっけ。一人で頑張ってるんでしょ?」
「あー……別に一人ってこともないけど」
「仲間と親は違うわよ。大変なのにうちの弟の面倒まで見てもらっちゃって、ほんとありがとね」
 同等の立場で切磋琢磨することは、決して無条件で肯定されることを意味しない。孤独を感じる機会はほとんどなかったし、無理をしてきたとも思わないけれど、カレンは……カレンも、弟と仲の良い私を妹のように思ってくれているのだろう。ジャクソンは臆病な子供が大人の皮を被っただけのどうしようもないやつだが、それでも騎士団から去ったりせず、討伐任務の際にはきちんと役割を果たしている。
 考えていると、マスターが私たちの前にグラスを置いた。軽く乾杯をし、甘酸っぱいそれを口に含む。
「カレンは、しばらくこっちにいるのか」
「そのつもり! まあ、色々あって国外に出ることはあるけど、長期的には」
「大変だな」
「ぜーんぜん、私動いてないと落ち着かないタチなのよ。実は今回帰ってきたのも、彼を両親に紹介するためでね」
「彼」
「前に、うちの両親駆け落ち同然だったって話したでしょ?」
「ああ」
「だからお見合いとか嫌いなの。家を継がせるって考えもないしね。でもさ、私ももう二十九になるから身を固めておこうかなって」
「ふうん。じゃその人と結婚するのか?」
「また恋愛するのは面倒だから、終わらせたいな。あ、愛してるのよ。彼のことは好き。でも私にとって結婚は社会性を保つための手段でしかないの」
「社会性を……」
「えーと、いくつになっても一人で好き勝手やってる女より、幸せな家庭を築いてますって方がお互い気楽じゃない? あー、ちゃん、ていうか騎士のみんなはそんなことないと思うんだけどさ」
「……そういう考え方は、変わってるんじゃないのか」
「うふふ、昨日ジャクソンにも怒られちゃった。私みたいな女は結婚するべきじゃないって」
「うわ……あいつもあなたには強気だな」
「元々あんまり帰ってこないんだから、結婚したって関係ないじゃない? あの子は子供だから、単純に寂しいのかもしれないけどさ」
 カレンはビールを飲み干し、すぐマスターにおかわりを頼んだ。結婚か。ジャクソンはたぶん、カレンがさらに遠くに行ってしまうのが嫌なのだろう。カリバーンが結婚するようなものだろうか。全く嫌ではないから違うな。
「で!」
 一気に半分ほど飲んだ彼女は、店に響かない程度の声量で言った。ナッツをジュースで流し込み、隣を見る。
「最近どうなの?」
「どう……もこうも、特に変わりはないけど」
「そうだ、私のこと聞いたのって背の高い子からでしょ。くせっ毛の」
「ああ、そうそう。花の彫ってある栞をくれたよ」
「綺麗よね、結構いいもんなのよ」
「お返しは何がいいかな」
「あの子は小物とかより大きな花束とかがいいんじゃない?」
「花束ねえ」
「嫌そうな顔しちゃって。ドライフラワーのリースとかなら私も売れるわよ。服飾品は仕事柄ダメね」
「じゃあドライフラワーにするか」
「ここ出たら一旦店に戻りましょうか。次いつ来れるか分からないでしょ?」
「ああ、そうだな……片付けてたのにごめん」
「いいのよ、むしろ買ってくれてありがとう」
 カレンはそう言ってまたグラスを呷った。昔から面倒見がいい人だとは思っていたが、年齢を重ねてさらにそれが増した気がする。
 それからしばらく、カレンが最近訪れた国の話を聞いた。栞もドライフラワーも、花精の国ヴィラスティンにて買い付けたものらしい。カレンは職業柄か何かを勧めるのがうまく、カレンの話を聞くといつもその国に行ってみたくなってしまう。
 今度公務にてアカグラを訪れると話すと、レストランをいくつか紹介してくれた。名前の書かれた紙をポケットにしまい、ジュースを飲み干す。
 カレンがほどほどに酔ったのを見て、それとなく帰宅を奨める。巻き込まれてはたまらない。
「酔ってないわよ」
「目が据わり始めた」
「うふふ。ねーえ、騎士様」
「なんだよ……」
「あの子を婿にもらってよ」
「馬鹿か」
「いい加減だけど意外と真面目なのよお。ちゃんぐらい男らしかったら任せられるわ」
「私の意志は……」
「なあに? 結婚の当てでもあるの?」
「そうじゃないが」
「あっ王子のこと好きなんだっけ? んーじゃあ、ジャクソンのこと好きじゃなくてもいいからさ。あの子一人にしたくないのよ」
「もういい大人なんだから、そう心配しなくても」
「そうよねえ。でも心配なの……顔もかわいいのに、彼女の一人も作らないんだから」
「そりゃ、仕事柄難しいよ」
「そういうもんかなあ」
「そうそう。そろそろ帰ろう」
「酔ってない」
「じゃ私は帰る」
「つれないわねえ」
 対応が面倒になり、席を立つ。
「あ、お店、商品残しとくからいつでも!」
「ああ。色々ありがとう」
「気をつけてねえ」
「そっちこそ」
 マスターに礼を言い、店をあとにする。心配なのは分かるが、過保護すぎやしないか。まああの軟弱者の面倒をずっと見てきたのだから、気持ちも分からなくはないけれど。


 自室に戻り、着替えて、しばらく悩んだのち筆をとる。まずは、先日の礼と、時間がかかってしまったことへの謝罪、それから遠征を労る旨。そこまで書いて、カーテンの隙間から覗く月に目をやる。無事に戻ってくる保証もないのに。あの人のことだから問題ないだろうけれど……。
 君の力を信用していないわけじゃない。
 彼の言葉が腑に落ちる。とにかく無事に帰ってきてほしいと願いながら、今日のことを簡単に記しておく。栞をもらったこと。母の命日で墓参りに行ったこと。カレンと飲んだこと。どこまで書けばいいのか分からず、彼を心配させないために上澄みを述べる。
 手紙を書くというのはやはり、孤独な行為だ。でも、相手のことだけを考える大切な時間でもある。自分の考えが恥ずかしく、頬を叩いた。