魔法を孕む有形ワルツ

 どれだけの間、抱き留めていただろう。体温が移ってしまうような長い時間、私は彼の存在を実感していた。やがて、腕の力が緩んでいき、私もゆっくりと腕を下ろす。顔を見られず俯いたままでいる私の頬を、彼の指がくすぐる。ちらと視線を上げると、微笑む彼と目が合った。
「寒くない?」
「……大丈夫」
「……もうちょっと、話したいな。……帰りたい?」
「え……い、いや、全然」
「はは……嬉しい」
 帰るだの、離れるだのと考える余裕はない。彼は、今度は何も聞かず私の手首をつかんだ。その手のひらが、する、と滑るようにして、私の手のひらを捕まえる。そうして彼は、ベンチまで優しく導いてくれた。おとぎばなしみたいだ、と思った。やさしく、やわらかくて、ふわふわとした、空想上の出来事みたい。
 並んで座ったベンチからは、星がよく見える。確かめるように強く握られ、彼に視線を向ける。繋いだ手を見ていたらしい彼は、私の視線に気づくと気恥ずかしそうに笑い、それから空に目をやる。
「星、綺麗だね」
「うん……」
「……君が、騎士団に入るって俺たちに話してくれた時のこと、覚えてる?」
「……なんとなくは」
 母が亡くなった後のことだ。元々、決めるも何も、私は騎士になるものだと思っていた。でも、私は女で──体格にも恵まれていなかったから、一生を棒に振るかもしれないと思い始めたのがその頃だ。
 十二の頃、カリバーンに身長を抜かれた。どう頑張っても埋められない溝があるのだと知った。それでも、私は騎士を目指さねばならなかった。父の背中と、兄弟の瞳は、呪いとも呼べる願いを私の中に植え付けてしまった。そういった悩みを育ての母以外に話したことはなかったので、騎士団に入団するという宣言は唐突に映っただろう。
「いつ頃かな、母に、は女の子だから、遅くまで連れ回したらかわいそうだって言われてさ」
「え」
「俺たちは、は当然騎士になるんだと思ってた。母に言われて初めて、は俺たちとは違うんだって……それに、俺たちが子供の頃は女性騎士も少なかっただろ。もしかしたら、騎士にもならないのかもしれないって思ったら、なんか、ショックだった」
「……ショック」
「はは……子供だよな。俺は、二人とずっと一緒にいるんだと思ってしまった」
「……」
「だから、騎士団に入るって君に言われた時、本当に嬉しかったんだ」
「……そう……だったのか」
「でもさ、やっぱり君が危険な目に合うのは怖いよ。いつも俺が同行できるわけじゃない。何度か……あの時止めておけばよかった、って思ったし」
「……心配性だな」
「……君の戦い方は、カリバーンに似てる。堅実で、慎重だ。でも時々、すごく自由になる」
「自由?」
「スイッチが入るんだろうな。……静かになるんだ」
「……」
「君は強いよ。君の力を信用していないわけじゃない。ただ、あの目を見ると、……守るために、自分を犠牲にしてしまうんじゃないかと」
 自分の命を捨ててもいいなどと考えているわけはなかった。私がいなくても隊はどうにかなるだろうが、私は、私の死によって悲しむ人がいることを分かっている。それでも、彼に言い返すことはできない。
「……はは。こんなこと、言っても仕方ないよな。ごめん」
「いや……そんなに、心配されているとは思わなかった」
「心配だよ。君のことが、大切なんだ」
「……ありがとう」
 大事に思われていることは以前から伝わってきていたが、こうして言葉にされると少し恥ずかしい。たぶん、彼も私が戦い方を変えないことくらい理解しているだろう。
「俺ばっかり話しちゃったな」
 彼の腿の上で重ねられていた手が、もう一度きちんと握られる。
「君のことも、聞かせてほしい」
「……私のこと」
「なんでもいいよ。そうだな……今日は一日、何してた?」
「え……そんなんでいいのか」
「うん。聞きたい」
「え、ええと……昼頃、隣の部屋の子に誘われて、街に昼食をとりに行って」
「うん。ふふ」
「なに?」
「慕われてるんだなって。それで?」
「あ、ああ、それで……見舞い用の果物を買って城に戻って、あいつんとこ行って」
「うん」
「……た、楽しいか? こんなの聞いて」
「楽しいよ。もっと聞きたい」
「そうか……? えーと、報告書出しに行って、仮眠とって、書類整理して」
「うん」
「お前んとこの執事が来て、手紙読んで」
「それで、来てくれた」
「そ、そうだな」
 思い返してみると、今日は本当に色々なことがあった。私は構わないが、本当にこれを聞いて楽しいのだろうか。
「カリバーンと二人でいる時、どういう話をするの?」
「え? なんだったかな……ほとんどお前の話だよ」
「え、俺?」
「え、まあ……他に話すこともないだろ」
「そ、そうなのか?」
「そりゃそうだ。今日は、プリトヴェンとなんかあったんじゃないかって言われて……」
「ああ、昨日のこと?」
「お前の態度で気づいたんじゃないか? 兄さんは答えないからってさ」
「うーん……聞かれたら答えただろうけど、あれは俺が悪かったからな」
「そんなわけないだろ。お前は何も悪くない」
「君はそう言ってくれるけど」
「言ってやってんじゃなくてそうなんだ。折れてくれ」
「はは……敵わないな」
 本当に、この人は何も悪くなかった。涙を隠し通すことくらい、できたはずだから。
「……あいつは、昔から私の気持ちに気づいてたよ。周りはみんな誤解してるけどさ」
「ご、ごめん」
「ああいや、誤解されんのはどうでもいいんだ。ただ、改めてよく気がつくやつだなって」
「そうだね……羨ましいよ」
「羨ましい」
「女性関係にも、なんていうか、抵抗ないだろ?」
「抵抗?」
「あっ、違う」
「あ、はい」
「俺は、あんまり、その……そういう話題自体が、得意じゃなくて」
「そうだな。なんで?」
「えっ、なんで、……だろうな」
「そういやこの際言うけど、お前が疎いってのは知ってたし」
「え、うん」
「国民になんか言われてもしどろもどろになるだろ? だから、私のこと異性として見てないんだなって思ってた」
「……ああ……いや……君は、その……」
 しどろもどろ。耳まで真っ赤になっているのが分かり、少し申し訳ない気持ちになる。彼は空いている片手で顔を覆い、黙ってしまった。面白い。しばらくそれを眺めていたら、大きくため息を吐いた後、彼は顔を上げた。
「……一回意識したら、顔見れなくなりそうで」
「は?」
 驚いて物騒な声が出てしまった。
「ご、ごめん。だから、わざと意識しないようにしてたんだ」
「……それができるなら、普段からそうしとけばいいんじゃないのか?」
「い、いや、街の人って急に来るだろ? ありがたいことなんだけどさ……君は、ずっと一緒にいたから、心の準備がいらなくて」
「楽」
「そ、……あ、き、緊張もするよ。でも、最近は君の方が緊張してたから」
「まあ……」
「駄目だな……これから慣れるよ」
「別に、慣れてもらわなくても構いませんが」
「え、でも、俺は君の顔が見たいし」
「そういうことを言えるのはなんなの?」
「えっなにが?!」
「なにがじゃなくて……」
「あ、ちょっとかっこつけた言葉だったかな……」
 ため息を吐き、背もたれに体重を預ける。恥ずかしさが頭のてっぺんまでじわじわと上がっていくようで、片手をポケットに入れる。
 これから。この人は……私とどうなりたいのだろう。まだ何も分からないが、とにかく、手を繋ぐと気持ちが落ち着くことだけ覚えてしまった。寂しさに、私は慣れなければならない。
 星座なんてもう、ほとんど忘れてしまった。でも星を見るのは好きだ。星は、寂寞を慰めるのに役立つ。
「……なあ」
「ん?」
 彼の手を、隙間を埋めるように、握り直す。
「好きだよ。何があっても」
……」
「一緒に……」
 呟いて、プリトヴェンと目を合わせる。
「一緒にいてくれ」
 彼の瞳には、確かに慈しみがあった。
「ああ、もちろん。……俺の方こそ、いてほしい」
 愛を説いてくれなくて構わなかった。一緒にいたいと思ってくれることが、これほど嬉しいものだとは。ポケットから手を出し、彼の手を引いて立ち上がる。
「帰るか」
「はは、うん」
「なんだよ」
「急だなって」
「満足した」
「そっか。よかったよ」
 私のことが本当に大事なのだろう。全部嘘であってほしいとも思うけれど、そうだったとき、きっと私は傷ついてしまう。そう思えることに、安堵する。
 二人でテラスのテーブルまで戻ると、食器などはすっかり片付いていた。帰っていいと言ってあったのか、じいやたちもいない。ここを出たらこの手は離さなくてはいけないのだと思い出し、一歩前を歩く彼を見上げる。
「プリトヴェン」
「ん?」
「また、手紙出す」
「はは……じゃあ、待ってるね」
 なんにしろ、またしばらくは会えなくなるだろう。討伐のタイミングが重ならない限り。
 廊下に続くドアを開けた彼は、そこで不意に立ち止まる。視線を上げると、どこかを見ながら、私の手を握る力を強めた。
「どうした?」
「……は、本当に嫌じゃない?」
「何が?」
「こうやって、手を繋いだりとか」
「嫌じゃない」
「それなら……」
 ようやく、彼がこちらを見た。テラスの明かりが彼の頬を白く照らしている。一度、視線を泳がせた彼は、ドアを背中で押さえ、空いた片手で私の頬に触れた。恐る恐る、壊れやすいものを扱うみたいに。
「いいかな。その……キス、しても」
「え……あ、ああ……」
「また、会えなく……いや、俺がしたいだけ。いい?」
「……い、いいよ」
「はは……ありがとう」
 礼を言われる理由はないのに。今度は私が視線を彷徨わせる番だった。目を閉じるべきだろう。未知との遭遇が分かっていて、目を閉じるのは怖い。
「緊張してる?」
「ま、まあ……悪い」
「いや、俺も……俺も緊張してる」
 見上げた彼の瞳は、光の加減で潤んでいるようにも見える。唇を合わせるというだけで、何を緊張する必要があるのだろう。私の態度が緊張を増長させているのかもしれないと思うと、不甲斐ない。一呼吸置き、私は目を閉じた。
 あつい。手のひらも、頬も、彼が触れたところが全て、発熱を脳に訴えてくる。触れるだけの、子供にもできるようなかわいらしい口づけ。
 離れていくそれを感じながら、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
、……好きだ」
 瞳の切実さに、心臓が跳ねる。返事をする前に、彼の腕の中に引き込まれてしまう。
「ごめん」
「え、なにが」
「かっこ悪いところばかり見せて」
「かっこわるくない」
「……優しいな、君は」
「……お前はかっこいいよ。ずっと、いつでも」
「はは……困ったな」
 上ずった声が、照れと困惑を伝えてくる。いくらでも言ってやりたい。お前は、この世で一番かっこよくて、最高の騎士だって。体が解放され、代わりに両手で優しく頬を包まれる。愛おしいものでも見るような目で見つめられ、頬に熱が集まるのを止められない。
「は、離してくれ」
「どうして?」
「はあ……? 恥ずかしいからだ」
「はは、かわいい」
「うるさいんだよ」
「ごめん。でも、本当にかわいいよ」
「うるさい」
「ふふ……ずっと見てられる」
「……キリがない」
「そうだね」
「は、離せってば」
「はは、ごめん」
 私の頬から手を離し、彼は姿勢を正した。かわいいというのは、アリアのような子に言うことだ。何がどう、そうなのか、よく分からないけれど、恥ずかしいことは分かる。
「帰ろう。寮まで送るよ」
「見られたらまずいだろ」
「歩いてるだけなら大丈夫だよ。君が何か言われたら嫌だから、手は繋げないけど」
「まあ……」
 カリバーンと付き合っているだとか思い込んでいるやつらにでも見られたら一大事だ。品位を疑われてしまう。この時間まで王子と二人でいるだけで問題な気もするが。

 寮まで、お互いほとんど無言だった。もう少しで着いてしまうという時、何気なく空を見る。それから、頭に残っているメロディーを口ずさんでみる。正しいのかどうかも分からずに。
「なんの曲?」
「知らない。アリアが……隣室の子が歌ってた」
「ふうん……オペラかな」
「聞いとく」
「仲良いんだね」
「明るい子なんだ。家族のことで……ちょっと悩んでるみたいだけど」
「……家族か」
 あの時彼女は、何を思って歌っていたのだろう。家族のこと。恋が汚いという思い。また話してくれるといいと思いながら、歩みを進める。
 寮の入り口に辿り着き、階段に足をかける。ポケットに両手を入れ、彼は微笑んでいる。
「ありがとう」
「こちらこそ。ああ、カリバーンのところには、時間のあるときにでも顔を出してやってくれ」
「……分かった」
「君が行ったら喜ぶよ」
「どうだか」
「あいつは素直じゃないから」
「……まあ、そうだな」
「はは。じゃあ、また」
「うん。おやすみ」
「おやすみ。いい夢を」
「あー……あなたも」
「うん」
 恋人に言うような挨拶だなと思ってから、一応そういうことになったのかと理解して恥ずかしくなる。手を振る彼に片手を挙げ、慌てて、玄関の階段を上りきる。もう一度後ろを振り返ると、やっぱり彼はまだそこにいて、嬉しそうに、手を振ってくれた。
 部屋に着き、灯りをつける。
 ドアにもたれかかり、握られていた手のひらを見つめる。全然、実感がない。最後に言うのが弟のこととは、彼も大概弟のことが好きなのだなと思う。いい夢を。私は顔に出やすいらしいし、あいつはあいつで目敏いので、明日は意地でも行ってやらない。いい夢を? 混乱してきたことに気づき、顔を覆う。着替えて、寝てしまおう。もしかしたら……これこそが夢、なのかもしれないのだから。そんなわけがない。ため息を吐く。それから、頭を振り、めちゃくちゃな感情を追い出そうと試みるが、当然失敗に終わるのだった。