ロマンス開始の密約書
寝る前、これまでのことを思い返した。色々あった。私たちの学園生活で起きた問題や、それに付随するフラッシュバック、挫折と復活。そしてもちろん、楽しいことも。
クリスマスパーティは計画通り行われることになった。インターンについて考えなければならず、他にも敵連合がどうだとか、今年が終わりに近づくにつれてどことなく緊迫感も増していく。その中で少しでも私たちらしくいられるのは同じ苦境を超えてきた仲間といる時だった。たぶん。
「うち絶対のそれ飾り付けしたいんだけど」
隣で飾りを手に取りながら耳郎が言う。生まれつき角が生えていた私は、小さい頃からこの手のからかいを受けていたわけだけれど、やはり友人たちともなれば話は違う。
「いいけど」
「えっ? いいの?」
「そりゃ、まあ、言われるだろうとは思ってたし」
「そっか、なんかごめん」
「いいよ。割と誇りだから」
「さすが」
「お二人とも、よろしいですか?」
「うん」
八百万は衣装を量産している。一人一人体格も個性も違うので、それに合わせて作っているらしい。
「お話が聞こえてしまったのですが、さんの帽子はない方がいいでしょうか。角に被せる形で創造しようと思っていたのですけれど」
「あー、ない方がいいかなあ」
「うちの飾り付けセンスが問われるじゃん」
「言い出しっぺ」
「それを言われると……」
耳郎が照れ笑いをするので、私も笑う。分かりましたと楽しそうに言って八百万が衣装係の輪に戻っていく。衣装までトナカイだったら困るが、八百万のことだからそんなことはしないだろう。
「のそれモールとか巻いていいのか?!」
「男子禁制ー」
「そりゃずるいぜ!」
「そーだそーだ」
「うるさいな、いつまでそのモールつけてんの」
賑やかしたちがわーわーとうるさいので、無視して再び目の前のツリーにオーナメントをつけていく。衣装を除き、ほとんどのことを個性使用なしでこなそうとしているので、料理と部屋全体の飾り付けに人手を割かなければならないのだ。
「カザリ! カザリ!」
「お、料理チーム」
黒影がこちらに伸びてきて、振り向くとキッチンの方から常闇が来ていた。耳郎が手に持っていた星を黒影に渡すと、それをそのまま常闇のところまで持って帰ってジャージのチャックに挟んだ。かわいい。
「俺は一応設営なのだが……すまんが誰か買い出しに行ってくれないか」
目が合って、嫌な予感がする。力持ちどもは大体設営の話し合いや移動をしているのだ。飾りチームではたぶん私が一番荷物持ちに適している。うーん、めんどくさい。常闇もそのあたりを分かっているのか、無邪気にモールをくくりつけている二人や、窓際に立っている口田たちを見る。
「まあ、一人抜けても全然問題ないけど」
言いながら男子たちを見ると、耳郎が面白そうに笑った。
「、腕力なら上鳴よりあるっしょ」
「はあー? 女子に負けるわけねーし!」
「少なくとも握力では勝ってる」
「そうでした!」
「……私が行くのはいいとして、結構量あるでしょ?」
聞いてみると、食材は砂藤の買い忘れ数点、それからパーティ時の飲み物が足りなくなりそうなのでそれの足しと、飾りもパターンを増やすためにそれを選ばなければとのこと。備品もこの勢いだとなくなってしまう。重いもの組と細々したもの組に分けて四人程で行けばいいのではという話だ。
「設営から俺と障子が出る。飾りからはと、瀬呂か上鳴に任せたいと考えているがどうだ」
「いや、障子いるなら重い組はそれでいいよね」
「飯田に確認したところ、念のため二人以上で動いてくれと」
「いいんじゃん、力持ち二人で重いの買ってきてよ」
「え?」
「軽い方って飾り増やすんだっけ? 俺らセンス採用? よっしゃ轟に勝った」
「じゃんけんで決めようぜ!」
これはまずい。
気を抜いていたら話があらぬ方向へ転がりだしてしまった。嬉しそうに話す瀬呂たちから耳郎へ視線を移すと、笑いをこらえながら耳たぶの先で常闇を指している。当の烏頭は腕を組んでじっと瀬呂たちの戦いを見守っていた。この場で怒り出すわけにはいかない。
「ハメやがったな」
「ご、ごめっ、うち何もヒィー!」
「人聞きの悪い」
「あ?」
「勝ったー!! 上鳴くんは大人しくこいつと格闘してるんだな」
「悔しー!!」
耳郎は本人の言い分としては何も知らなかったようだが、最早普通に笑っているし最悪だ。飯田が二人以上でと言ったのなら従わざるを得ない、筋肉自慢の砂藤は料理チームのメインで、私は男子と比べても力のある方(なのにまったりオーナメントをつけている)なので誰も疑問に思ってくれず、その囲い込みが成功した時点でこの全身真っ黒野郎の勝ちだ。障子に買い出しを頼んで断られるわけがない。
結局じゃんけんの勝負に勝った瀬呂が常闇と細々したものを買いに、私が何故か障子と重いものを買いにいくことになった。
「、顔、顔」
「え?」
「すげー眉間にしわ」
「はー……」
「おもしろ」
「面白くない」
「重い組が買わなければならないものを今一度砂藤に確認する。は障子を呼んでおいてくれ」
「……」
とことん人を馬鹿にする気らしい。もう言葉も出ない。なんの仕打ちだこれは? この間はいいやつだと思ったのに。
とにかくこれ以上ため息を吐いたりするわけにいかず、持っていたものを耳郎に押し付ける。飯田たちとソファーの配置だとかについて話している障子の下に行くと、向こうが気づいて私を見た。
「買い出しか」
「うん……」
「助かる」
「うん」
「くんと障子くんが行くなら安心だ! 頼んだぞ!」
「はいはい」
私は何も安心じゃない。障子の視線にいたたまれない気持ちになり、常闇を指さす。
「来いって」
「ああ」
「上着は?」
「先ほど取りに行った」
「そう」
「お前は?」
「このままでいいや」
「そうか」
自分でも態度が悪いのは分かっているのだが、流れとしてはもっと怒りたいところだ。何もかもに腹が立つ。もちろん、断れない上少し嬉しく思ってしまった自分にも。
常闇からメモを受け取り、瀬呂を含めた四人で寮を出る。すぐに分かれ道が来て、賑やかし一名と小賢しい鳥の背中を見送った。
大体、全ての買い物を暇な数人で一度にやってしまえば済む話なのではないだろうか。そもそも大抵のものはスーパーやコンビニにあるし、今日はクリスマス当日なのだ。それに障子がいるのであれば一緒に行くのが力持ちである必要はない。耳郎が敵に回ってしまっては、そういう突っ込みを入れる人間がいないというのも痛かった。私も衣装係に行っておけばよかった。八百万なら天然で……。
「寒くないか」
「ん? ちょっとね」
「風がある。俺の後ろにいれば少しは防げるだろう」
「……ありがとう」
あー、やめだやめ! 障子の優しさが胸にずしりと来る。ぐだぐだと余計なことを考えてしまった。しかも他人のせい。こうなった原因の一端は私にある。
その体躯に隠れるように歩きながら、曇っているためかやたら暗い空を見る。ホワイトクリスマスというのだったか、雪が降れば雰囲気も増すのに、と思う。エリちゃんが喜んでくれそうだ。
「常闇に乗せられたか?」
「え? あ……いや、まあ」
「不満そうだが、大方常闇へのそれだろう」
「え、よく分かるね」
「俺に買い出しを頼んできたからな。そっちではそういう風ではなかった。あまり疑問に思わなかったが、やつなりの気遣いなのだろう」
「そうかもね……悔しいわ」
「そうだな」
「……そうなの?」
「ああ、そうだ」
「……そうなんだ」
それきりお互い黙ってしまう。あいつに乗せられたことが悔しいのだろうか。そういうタイプには思えなかったが、一応負けず嫌いな面もあるのだなと感心する。
スーパーについて砂藤のメモを頼りに売り場を歩く。やはり親子連れが多く、体操着のままの私は目立っているように思えて仕方なかった。ビジュアルという意味で羽織ってくるべきだったかもしれない。
無事に書いてあるものを買うことができ、私は食材の、障子は飲み物の入った袋を持ってそこを出る。砂藤は料理もできるというのが新しい発見だった。普段お菓子をもらっている身としてはおいしいことが保障されているので純粋に楽しみである。買い忘れたものだけではメインは分からないが、チキンだろうか。また鳥野郎のことを思い出し、小さく息を吐く。別にあいつは悪くないのだ。
「あの二人は、新しい飾りと備品か」
「そうだね、たぶん」
「百円ショップや雑貨屋に行くと言っていたな」
「あー、言ってたかも。あっちはまだかかるだろうね」
「こちらの道から行こう」
「え? いいけど、……分かった」
「ありがとう」
遠回りだよ、とは言えなかった。もちろん、その方がいいからだ。治安の悪い通りでもない(敵がいつ現れるかは分からないにしても)。左腕にスーパーの袋をかけ、ポケットに手を入れる。
数分黙ったまま歩いて、この時間がいつまでも続けばいいのに、と思った。いつまでも、続いてほしかった。この間リビングで遭遇して以来、二人きりになっていないことに気づく。そういった意味で確かにこの状況は非常にありがたく、それこそが悔しさに繋がっているのだと分かった。学校に近づくにつれ、人通りは減っていく。駅から学校に行くならここを通るだろうという道を外しているせいか、なんだか知らない場所のように思える。
「」
「ん?」
障子が不意に立ち止まる。風が木々を揺らし、脳の警鐘が一度、大きく音を鳴らす。
「また、きちんと機会を設けるが」
「……え?」
きちんと機会を設けるが。
「俺の気持ちは固まった」
俺の気持ちは……。
「えっ?!」
大声を出してしまい、口を手で押さえながら一歩後ずさる。数歩前にいる彼が顔をこちらに向け、目が合ってしまう。視線が痛い。また、機会を設けるが、気持ちは、固まった?
「顔が赤い」
「うそ?!」
「夕日かもな」
「曇ってるからダメだ、その手」
「それもそうだな」
「あの、聞き間違いじゃなければ、気持ち固まったって、言った」
「ああ、言った」
「それをちゃんと機会作るって」
「そうだ。友人のおかげでようやく話す時間がとれるようでは、情けないからな」
「……悔しいってその話?」
「ああ」
負けず嫌いではあるのだろうが、そこを悔しがるとは思わなかった。
「それに、このようについでに言うものでもないだろう。ただ次いつ二人になれるか分からないから、この機会に気持ちを伝えておく必要があると思った」
「そ……そう、なの」
「……手を貸してくれ」
「え……は、はい」
あまりに自然に差し出された手に戸惑いながら、そこに手を乗せる。まだ三回目だけれど、二人の時はいつも繋いでいる気さえする。触れた彼の手は案の定冷たくて、笑ってしまう。
「どうした」
「手、冷たいなって」
「お前は温かい」
「よかった」
手を引かれ、彼の腕にくっついてしまいそうに近いところを歩く。クリスマスに。ずっと想っていた男と。「」思わずぎゅっと手に力が入ったようで、もう一度控えめに名前を呼ばれた。顔を上げるとこちらを窺っていた彼と目が合って、心臓が跳ねる。
「随分待たせてしまったな」
「え、全然……そんなことないよ」
「……明日、お前の時間を少し分けてくれないか。もし用事がなければ」
「な、ない。ぜんぜん」
「そうか」
「ほんと、明日は一日暇」
「……お前は、俺といたいのか」
「えっ?」
「いや、すまん。卑怯な言い方をしたな……せっかくのクリスマスだろう。俺とばかりいるのは気が引ける」
「……嫌?」
「嫌ではない」
「卑怯な聞き方した。ごめんね」
「お前も、そういうことをするんだな」
「私は元々卑怯だよ」
「そんなことはない」
「はは、ありがと」
「……今日、部屋に戻ったら電話してもいいか?」
「え、……分かった。待ってる」
もうずっと、泣きそうな心地だった。ありがとうと言った彼の横顔から、地面に視線を移す。深呼吸によって、滲んだそれをどうにか止める。吐き出す息の白さといったら!
この人を好きになったことを今、誰かから認められた気がした。それは祝福だ。センチメンタルな私の脳は聖なる夜に浮かれきってしまったのだと思った。
そのうち、たまたま向こうの道にクラスメイトたちを発見し、手を離す。私の手はいつもより冷えてしまって、そんなことにすら喜びがあった。常闇や耳郎を前にして、冷静でいられるだろうか。心臓が痛い。
寮の手前で瀬呂たちもこちらに気づいたので、合流する。遅いとかなんとか言われるかもしれないと思ったが、気にならなかったらしい。瀬呂は障子相手に新しく買った飾りの話を始めてくれた。常闇と目が合う。
「最悪」
「何がだ」
「君に決まってるでしょ」
「む……いや、段々分かってきたぞ」
「何が」
「のそれは」
「うわうるさい!」
「ぐっ、……口を掴むな!」
「ごめん、反射的に」
大騒ぎしながら、二人に続いて私たちも寮に入る。もちろん大体はあいつのおかげなのだが、それを認めて感謝するのは癪である。頼んでいない。
買ったものを砂藤に渡したりだとか、飯田への報告(しないとうるさい)だとかを終えて耳郎を探すが、既にツリーの飾り付けは終えたようだった。よく見ると女子が全員いない。
「轟」
「ん?」
「女子どこ行ったか知ってる?」
「さあ……衣装のサイズでも測ってるんじゃねえか」
「あ、そっか」
「それより、手空いたなら手伝ってくれ」
「分かった」
口田と轟はのんびりつけていたのか、まだ窓には隙間がある。口田が渡してくれた箱から、適当に取り出して窓の前に立った。
プレゼント交換で私は自分のものを引いてしまい、同じく自分の出したバスケットボールを引いた上鳴と交換することになった。なんだか気恥ずかしいが、よしとしよう。他の面々も常闇の出した大剣がエリちゃんに当たったり、麗日と緑谷がお互いのを引いたりと面白いことになっていた。
砂藤たちの料理はおいしかったし、楽しいこと尽くしの時間だった。その分終わってしまうとあっけなく、楽しい時間は短く感じるものだなと感慨深くもある。片付けを終えた後、残って談笑するメンバーに交ざってウーロン茶を飲む。障子は常闇やら轟やらと一緒にリビングを出ていくのが見えたし、私も早く部屋に戻りたい気持ちはあったものの、梅雨ちゃんに引き留められてはそうもいかない。
「つか、プレゼントありがとな」
「いや、私も味気ないなって思ってたから」
「部屋に飾っとくな!」
「ありがとう。私も飾る」
「ちゃん、その角の取らないの?」
「……忘れてた」
梅雨ちゃんに言われ、角に触れる。夕方から開始時間まで散々耳郎他暇な女子勢に飾られた角は、写真を見た限りかわいらしいことになっている。
「えー、うちの力作なのに」
「写真撮ったしいいでしょ」
「あの面白かったなー、写真見せたら真っ赤になってた」
「なってない。外すの手伝って」
「あはは」
「女子のこういうの聞いてると、なんか、こう……」
「はは、分かる……」
耳郎がソファーから立ち上がり、巻いてあるものを取ってくれる。峰田がいないのをいいことに尾白と瀬呂がこそこそと言った。部屋を見せ合った時から何も変わっていない。耳郎に渡されるまま飾りを受け取り、膝に置いていく。
「ねーそこのお三方!」
頭を下げた状態でちらと声の方を見ると、芦戸と葉隠の足があった。
「あれっのそれとっちゃうの? もったいなーい」
「なんだそれ」
「どしたの、二人とも」
「そーだ、私の部屋で女子会しよ!」
「え?」
「やおももは寝ちゃうっぽい。麗日も部屋戻っちゃった」
「女子会ずるー、俺らも交ぜろよ」
「女尊男卑反対!」
要するに芦戸葉隠と、梅雨ちゃん、耳郎に私か。後者二人は事情を知っているからいいとして、誘ってきた二人のことを考えると気が重い。どっちでもいいから断ってくれと願っていると、角の飾りが全てとれたらしく耳郎が隣に座った。
「うーん、別に上鳴たちの肩持つわけじゃないけど、ここでよくない?」
「えーっそれじゃコイバナできないじゃん!」
「麗日誘えてない時点で駄目でしょ、それ」
「それもそっかあ」
耳郎がここにきて完璧すぎるアシストをしてくれる。ソファーの背もたれに肘をつき、成り行きを見守っていると芦戸が私を見た。
「は?!」
「え?」
「話そーよーせっかくだしい」
「でも耳郎の言う通りじゃない?」
「冷たい!」
「私も、もうそろそろ寝ようかと思っていたから遠慮しておくわ。ごめんなさい」
「えー!!」
「三奈ちゃん、寂しく二人でお茶しよっか」
「うー、しょうがないかあ」
「また今度ね」
「俺らなら行けるぜ!」
「女子会したかったんだっつーの!」
梅雨ちゃんと目が合って、微笑まれる。助けられてしまった。この場でお礼を言うわけにもいかないので肩をすくめ、まだやいのやいの言っているみんなを見る。今度とは言ったものの、コイバナなんてするわけにいかない。
その後しばらく芦戸たちを交えて話し、梅雨ちゃんに合わせて私たちも退散する運びとなった。二人には後でお礼を言っておかなければ。
ようやく部屋に辿り着き、疲れを実感しながらベッドに横たわる。スマホを取り出し、部屋に戻った旨を伝えようと画面をつけると、耳郎からメッセージが来ていた。うちよくやったっしょ。その通りなので何も言えない。素直にありがとうと返し、梅雨ちゃんにも同じように送っておく。それから障子の部屋に帰ったら連絡してくれとのメッセージに返事をし、なんとなく見つめていると、数秒後に既読がついてしまって起き上がる。見なきゃよかった。
─おかえり。かけていいか。
─お願いします。
ベッドに放っていたイヤホンを差し込み、すぐに返事をする。なんだお願いしますって! 緊張でまた、いつものように吐きそうな気分になる。叫びだしたいのを頬をつねることでどうにか抑え、クマ吉を抱えてからかかってきた電話をとった。
「はい!」
『もしもし。元気だな』
「ごめん……」
『何も謝ることはない。皆とは話せたのか』
「うん。梅雨ちゃんが寝るっていうから一緒に抜けた……待たせてごめん」
言いながら、声の近さに耐えきれずに音量を落とす。
『いや、俺も少し常闇と話していたから大丈夫だ』
「え?!」
クマ吉に同意を求めようとしたところで、例の最悪男の名前が耳に入った。
「あいつなんか言ってた?」
『大した話はしていないが……あまり気を遣わなくていいと言ったら、残念そうにしていた』
「ええ……」
想像がついて腹立たしい。何が残念なんだ、一体。
『ああ、そういえば、耳郎は俺たちの事情を知っているのか?』
「耳郎? うん、なんとなくは」
『今日の角のことだが、あれは耳郎がやったんだろう』
「まあ、女子みんなでって感じだけど、やりたいって言ったのは耳郎」
『そうか。もしよければ、礼を言っておいてくれ』
「え、なんで?」
『お前に似合っていた』
「ちょっと、馬鹿にしてる?」
『していない。そうだな……かわいかったと言えばいいか』
「はっ?!」
『面映ゆい』
「はあ?! 私だわ」
『すまん。言い慣れない言葉だったから』
「全然私も言われ慣れない言葉だったんだけど」
『……連呼するものでもない』
「別に催促してません」
『そうか』
「耳郎に言えって? 無茶でしょ」
『しかし、俺から言うのもおかしな話では』
「私からの方がおかしいけど?!」
『そういうものか……分かった』
全然意味が分からない。の角をかわいくしてくれてありがとうって言うのか? いや、私から言うのも障子から言うのもおかしいし、なんなら私からの方がマシな気がする。でも言いたくない。絶対に笑われる。ていうか面映ゆいってなんだよ。恥ずかしいのは私だけではないというのも、恥ずかしさに拍車をかけている。そもそもかわいかったって何? 全然、本当に、何も分からなくて、聞こえないように大きく息を吐く。
『嫌だったか』
「……分かって言ってるでしょ」
『不安になることくらいある。今は顔が見えないから、余計』
「まあそうか……障子のすることで嫌なことなんてないよ。めっちゃ気にしてくれるし」
『……常闇の言葉を借りるわけではないが、照れ隠しなのか』
「余計なことばっか言いやがってえ!」
なんのつもりなんだ。なんの流れでその解説をしたんだ。
『すまない』
「君じゃない」
『伝えてしまったのは俺だ。常闇を責めないでやってくれ』
「分かった……」
今お前は障子に貸しを作っている状態だぞと心の中で忠告する。いいやつなのは確かだが、天然すぎていけない。私を陥れようとして言ったわけではないのだろうことが窺えるので、許さざるを得ないのだ。上半身を横たえ、クマ吉を見つめる。私が落ち着いていればいい話なのだろう。たぶん。
『ところで、明日の話だが』
「ん? あっ……うん」
そういえば大変なことがあったんだった。どっと心臓が嫌な音を立てる。
『色々考えたが、俺はあまり他人に聞かれたくはない。お前もそうだと思うが』
「まあ……そりゃ、そうだね」
『……そうだな。……俺の部屋に来るか』
「……えっ?!」
叫んで、息が止まる。正しく、心臓が止まる心地がする。
『……言い訳に聞こえるかもしれないが、誰にも聞かれる心配のない場所となると、互いの部屋しかない』
「なっ、……まっ……ちょっ、と待ってね。一瞬、ほんと待って」
『すまん』
今この人、俺の部屋って言わなかったか? 言った。深呼吸。焦燥感をどうすることもできず視線を彷徨わせる。障子は一部の男子と違ってやましいことなど考えてはいないだろうが、それを抜きにしたっていきなり部屋に行くのはまずい気がする。何がだ。だから、何もかもが! 自分に自分で突っ込みを入れ、もう一度深呼吸をする。確かに障子の言う通りなのだ。寮内で会うのは危険だが、余所の人間がいる場でそういう話をするのも嫌だし、そもそもよく考えたら外出許可を今から取りに行くのは無理だ。だからお互いの部屋しかないというのは分かる。
「あの……」
『ああ』
「私の部屋二階だし、同じ階人いないから、こっちに来た方が便利なんじゃ……ないですか」
『……それは、そうだが……いいのか』
「え、まあ……物多くて嫌じゃなければ」
『……そうか。分かった』
「朝早ければ、たぶん下りてくる人もいないだろうし……君めっちゃ早起きだし、今日みんな疲れてるだろうし」
『そうだな。……問題は帰りか』
「うーん、リビング突破できるかな……見られたとして……でもやっぱり、私が男子棟から出てくる方が自然な気がする。口実作れるし」
『そうなのか。……では、俺の部屋にするか?』
「そうだね……色々言ってごめん」
『構わない。俺の方こそ、急に言ったばかりにすまないな』
「大丈夫。ちょっと楽しい」
『そうか』
「えーと、とりあえず起きたら連絡するね。たぶん四時には起きれるから」
『早いな。大丈夫か』
「うん。だらだら話しちゃってごめんね」
『俺が言い出したことだ。それに、俺は楽しかった』
「そ、そうなんだ……私も。ありがとう」
『こちらこそ。……では、また明日』
「うん、おやすみ」
『おやすみ』
電話を切り、イヤホンを耳から外す。そうだ、電話をすることに対して緊張していたが、本来の彼の用事は明日なのだ。一旦体を起こし、抱きしめていたクマ吉を元あった場所に戻す。漫画を返さなければならないし、いつもならリビングで貸し借りするけれど、連絡が面倒だったとかなんとか言って切島の部屋に寄ろう。一回それをした事実さえあれば、切島が部屋にいなかった場合にも対応できる。ずっとリビングにいたとしたらアウトだし、この計画はずっとリビングにいる人間が出た時点でおしまいなのだが、そのあたりは耳郎たちに協力してもらえばいいかと思う。どうせいつか朝食には下りなければいけないのだ、そこまで長時間いる人はいないだろう。
うつ伏せになり、ため息を吐く。バレたらその時だ。もちろん誰にもバレたくはないけれど、お互いの部屋に行っていたことに関してはいくらでも言い訳ができる。面倒だが、それよりも障子を巻き込んでしまったことの方が問題だった。
アラームをセットし、ぼーっと画面を見つめる。明日か。話されるであろう内容を頭から追い払い、私は目を閉じた。