わたしの春を青くしたひと
大して使う機会もないだろうと思っていた全身鏡の前に立つ。朝から散々悩んだ末、いつも通りの恰好になってしまった。どうすることもできずにいた恋心を今更動かされ、その相手と出かけるハメになるとは。大きくため息を吐き、窓の外を見る。生憎の晴天、夜まで雪は降らないらしく、冬ならではの透き通る青空が恨めしい。鏡に映った哀れな草食動物の角は、いつにも増して輝いている。深呼吸ののち、もう一度リュックの中身とスマホを確認し、部屋を出た。
リビングには思ったよりもクラスメイトがいて、表情を引き締める。こちらに気づいた八百万が笑みを向けるので、イヤホンを片耳から外す。
「さん、お出かけですか?」
「うん。お昼待ち?」
「ええ。雪は降らないそうですけど、お気をつけて」
「ありがとう」
「あ」
後ろから声がして振り向くと、耳郎が教科書片手に立っていた。何か言いたげな顔をしたので、あくまで軽くチョップする。
「いてっ!」
「おはよう」
「すぐ殴るのやめろよ!」
「ごめん」
「はあ……おはよ。出かけんの?」
「なんかあんの」
「いや……なんでも。いってらっしゃい」
「いってきます」
どうしても事情を知っている人相手だと制御できない。さすがに今日のことは気づかれていないだろうが。
「あ、!」
外へと続く大扉に手をかけたところで、上鳴たちとテレビを見ていた切島に呼び止められる。上着とリュックに気づいた男が間抜けな顔で言った。
「なんだ、出かけんのか」
「なに?」
「一緒に筋トレでもしねえかなって、砂藤と話してたんだよ」
「夜には帰ってくるよ」
「じゃ晩飯の後だな!」
「遅くなったらごめん」
「連絡くれ、したら」
「覚えてたらね」
「まあそれでいーや、よろしくな」
いってらっしゃいだのなんだの数人に言われつつ、リビングを出る。まさかこんなにみんないるとは思わなかった。障子はうまく出られたのだろうか。先に行っているとの通知を思い出す。私はよく出かけているし大丈夫だろうけれど、彼に関してはみんな物欲がないと思っているはずだ。いや、リビングの面子はそんなことまで考えないか。
昨日までの雪が凍って煌めいている。土と混ざって茶色くなってしまっている部分は汚いが、靴跡の周りや、普段人の通らないところはまだ薄ら白い。霜の崩れる音を聞いてから、外したままだったイヤホンを付ける。
誰にも出くわしませんように。待ち合わせ場所が見え、障子にもうすぐ着く旨を送る。本当に、どうして今頃隠せなくなったのだろう。常闇がばらしたことを抜かせば、大きな要因は思い当たらない。いくら私が分かりやすいと言ったって本人は知らなかったようだし、あの時、あのタイミングで常闇に変な話を振らなければ、知られなかったはずだ。
人の波を抜け、駅前のコンビニへ。誰もかれもマフラーや手袋をしていて、女の子なんかははしゃぎながら寒がっている。さすがに日曜日は家族連れが多いなと思いながらぼーっと見ていると、近くに人の気配を感じて顔を上げる。
「あ……おはよう」
待ち人の登場に慌てつつイヤホンを外す。彼も分厚いマフラーを首に巻き、何度か見たことのあるポンチョで体を覆っていた。
「待たせたか」
「いや、今来たとこ。こっちこそ遅くなった」
「構わない。行こう」
「うん」
イヤホンをリュックに、スマホはズボンのポケットにしまう。障子の背中は大きい。私はこのまま成長期が終わりそうなのに、クラスの中でも身長の高い彼はまだ伸びそうで少し恐ろしくもある。
「おい、今の、雄英の」
すれ違った人が背後で言う。私や障子は爆豪たちに比べれば大したことはないのだろうが、雄英というだけで世間はこちらに注目する。体育祭の後などはひどかった。嫌だな。どうせ、なんだあの角女だなんて言われているのだ。
「」
「ん?」
「何が食べたい」
「あー、あそこの中に色々あるし、見て決めようかなって」
「そうか」
「なんかある?」
「いや。駅前にも店はあるようだから」
「ああ、そうね。このへんの方が空いてるのかな」
何を食べようか話していると、先ほどの声が脳から消えていく。本人は特に意識していないのかもしれないが、話題を振ってくれて助かったなと思う。
お互い特に食べたいものなどなかったため、結局ショッピングモールで食べようということになった。そんなことを話しているうちに目的地に辿り着き、教室のドアより大きい入り口を見上げる。多少並ぶことは折り込み済みだったが、ついてみると予想以上に人が多い。前に来た時よりも時期的に少ない気もするけれど、早めのクリスマスを過ごしている人も多そうだ。きょろきょろと館内の地図を探していると角が彼に当たってしまった。
「あっごめん」
「大丈夫か?」
「うん。人多いね」
「そうだな……クリスマスも近い」
「君、意外と季節行事の時とかノリいいよね」
「……意外か?」
「意外。あ、地図あった」
はぐれるなと言いながらついてきた彼を無視し、地図を眺める。それぞれの階にカフェやらご飯屋があり、上の方にレストランフロアがあるらしい。
「とりあえず上かな」
「ああ」
「エレベーター」
「そこにある」
「ほんとだ」
ちょうど来た上階行きのエレベーターに乗り込む。私より小さいのが子供くらいしかいない空間に詰め込まれ、咄嗟に角の先端を掴む。角なんて珍しいものでもないしちょっと刺さったところでそこまで怒られないだろうけれど、何かの拍子に人の目でも突いてしまったらまずい。俯いて角を持っていると障子が腕で壁を作り、隅に寄せてくれた。後ろに人がいなければ気にする必要もない。小声でお礼を言い、手を楽にした。
一番空いていたハワイアン料理のお店に入り、私はエッグベネディクトを、障子はロコモコを頼む。なんだかここに至るまでに疲れた。カラフルなプラスチックのコップを手に取り、水を飲む。
「寒くないのか」
「え?」
「その上着で」
「うん。たぶん障子よりは防寒できてるし……」
「それもそうだな」
「寒そう」
「隙間風は厳しいが、慣れた」
「そっか。そういえば、寮出る時平気だった?」
「特に何も言われなかったな。お前は?」
「八百万に気を付けてって言われたぐらい。あ、あと切島に筋トレ誘われたかな」
「ああ、よくやっているやつか」
「知ってんの?!」
「隠していたのか」
「いや全然……ちょっとびっくりした」
「それもあって砂藤に食べ物をもらっているのだろう」
「そうそう。帰ったら付き合おうかな」
それも知っていたのか……。今の話に限らず、障子が私に関連する出来事を知っていると驚いてしまう。よく考えたら(よく考えなくても)障子は誰とでも分け隔てなく接するやつだし、そもそもあの中では私が一番長い付き合いなのだから何もおかしい話ではないのだが、いちいちこちらに何か言ってくることがないせいか全く情報を与えていない気分になる。
「ところで、答えたくなければいいが、その角は意図せず伸びることがあるのか?」
「え? 成長することはあるけど、見て分かる速度で伸び縮みすることはないよ」
「やはり気のせいか。たまに伸びているように見える」
「……気のせいだと思う……けど、分からないな。中学の頃より個性は伸ばしてるから、イレギュラーな挙動があるかもしれない。伸びてるなって思ったら教えて」
「分かった」
その後も他愛ないこと、個性の使い方とか、試験の成績だとか、この間のB組との訓練の反省点とかを話しながら昼食をとった。無口な方だとは思うが、極端に口下手なようには思えない。中学で私は浮いていたし、気持ちを自覚してからは雄英でクラスメイトになるまで避け続けていたせいで、こうして二人できちんと話すのは初めてだった。穏やかな人だ。少しマイペースなのだろうけれど、あまり気にならない。私自身のごちゃついた感情を抜かせば、かなり話していて楽な相手だった。
店を出てからエスカレーターで下の階に行き、男物の服屋を覗く。障子は特に手に取ることもなく、私が気になったものを彼に当てたりするのを見ている。興味がないというか、それ以前にたぶん本当に欲がないのだろう。たまにそれは自分には似合わないとか、この色はいいだとかぽつぽつ言ってくれるけれど。
そうしてぶらぶらしていると雑貨屋の店頭に置かれたぬいぐるみが目に入る。
「そういえば、プレゼント交換するっぽいこと言ってたね」
「ああ、言っていたな」
「せっかくだし今日買っとこうかな、忘れそうだし。何にしよ」
「お前は何が欲しいんだ?」
「え、なんだろ……欲しいものは色々あるけど……ああいうの、誰にいってもいいものにしないと」
話しながら店先に近づき、クマのぬいぐるみを持って背面を見たりする。下の段にトナカイもあったので、柔らかい角をつついてみる。
「」
「ん?」
障子が私の指先にあったトナカイをゆっくり持ち上げた。名前を呼んだのでなく、これが私だと言いたかったらしい。紛らわしいからやめてくれないかな、マジで。
「好きなのか」
「えっ? あ、うん……かわいいよね。角柔らかいし」
「お前の角にはお前の角なりの良さがある。これが可愛らしいというのは同意するが」
「……ありがとう」
卑下したつもりもなかったが、障子の言葉は素直に嬉しい。彼の手の中のそいつに手を伸ばすと、渡してくれた。
「これにする」
「ああ」
「買ってくるからちょっと待ってて」
「上着、持っておこうか」
「大丈夫、ありがと」
せっかくだから部屋用に小さいのも買っていこう。
結局、プレゼント以外に冬用のブーツを買った。足の形が特殊なため普段はネットでしか買わないのだが、さすが大きいショッピングモール、私でも履けるものが置いてあって、思わず買ってしまった。
障子の方はいつも買っているというマスクの色違いを購入したのみで、あとはずっと私の買い物に付き合ってくれていた。申し訳ないとは思うが、特に見たいものもないと言われてしまってはどうしようもない。
トイレの列でスマホを見る。気づけば四時を回っていて、どうりで疲れるわけだと思う。ついでにメッセージを見て大事そうなものだけ開いていく。障子から一つ下の階にいるとの連絡があり、了承の返事をした。どうせ長いだろうからどこか見ていればと言ったのは私だが、ようやく見たいものが見つかったのかと少し安堵する。
トイレを出た後、とりあえず下の階に降りてエスカレーターの近くで立ち止まる。探してもいいがこの広さに人の多さでは待っている方が無難だろう。場所の連絡をしてフロアを見渡す。主に子供やファミリー向けの階らしく、走り回っている子供や、通路のベンチで寝ている子供などが見える。
寄りかかっている柱に何かぶつかった感覚がして、はっと周りを見る。子供が一人。親は? すぐに痛みで泣き出したその子に、他人の視線が集まる。もし迷子なら迷子センターにでも届けなければならないし、ずっとこれではかわいそうだ。
「頭ぶつけたの?」
しゃがんでその子の頭を撫でる。子供は必死な顔で泣きじゃくりながら頷いた。
「一人?」
「うぅっ……ママ、はぐれた……ぱぱおしごと」
「ママと二人で来たってこと? じゃ、この階見て回ろうか」
「うん……」
リュックからティッシュを取り出し、鼻を出させる。頭を撫でていると段々嗚咽が収まってきたので、その子を抱き上げた。
「大丈夫、すぐ見つけるから」
「……おねえちゃん、ヒーローなの?」
「ううん、まだ」
「つの、かっこいい」
「ありがとう」
「?」
「あ、障子……」
彼が来てくれたことで少し体の力が抜ける。腕の中の子供を見てすぐに察したらしい。
「迷子か」
「うん。そうだ、名前は?」
「けんた……」
「けんたくんね」
子供はじっと障子の顔を伺っている。かと思えばぎゅっと私の首に抱きついてきたので、怖かったのだろうと思う。抱え直し、背中を撫でる。
「荷物を」
「あ……ごめん、ありがとう」
「子供は……お前の方がいいだろう」
「……今回はね。はぐれたのが女親だし」
この階を一周してみるが特にそれらしい人はおらず、やはり迷子センターに行くべきかと思う。かっこつけてしまったが母親の方もまずそちらに行くのではないか。
別の階に行こうか迷ってエスカレーターまで行ったところで、障子がはっと来たのとは反対方向を向いた。
「、向こうから声がした」
「マジで?」
「けんたと言っている。行ってみよう」
「うん」
急いで障子の言う方に向かうと、その女の人はすぐに見つかった。焦った表情で子供の名前を呼んでいる。
「ママ!」
「あの人?」
「うん!」
けんたは私の肩のあたりから顔を離し、大きく身を乗り出した。危ない。ゆっくり地面に降ろすと母親がこちらに気づき、走ってきた。
「ああよかった……もう、あそこで待っててって言ったのに! あの、お二人共ありがとうございます」
「いえ、見つかってよかったです。けんたくん、気をつけてね」
「つのの……」
「うん?」
「おれも、ヒーロー、なる」
「うん。待ってる」
母親に手を引かれながら、けんたは何度も私たちを見た。手を振る。今までヒーローに憧れたことはあっても、自分が憧れられる立場になったことはなかった。なんだかくすぐったい気持ちになる。
二人の背中が見えなくなってから、障子の手元を見る。何はともあれ一件落着だ。
「よかったな」
「そうだね。荷物ありがとう」
「ああ。力になれずすまない」
「見つけてくれたじゃん。それに、君がいてくれてよかった」
「……そうか。お前は優しいな」
「……そりゃ、君でしょ。ていうか疲れたね。カフェでも入る?」
「ああ……そうだな」
ヒーロー。個性と自分のやりたいことの相性だとか、なりたいヒーロー像だとかを小さい頃に選ぶことはできない。どうかあの子が、苦しむことがありませんように。もう一度あの子のいなくなった方を振り返り、それからすぐ彼の背中を追いかけた。
アイスココアを飲みながら、店員さんを見る。あの人が敵だったとして、捕まえることはできるだろうか。避難誘導は? 両隣は空席だけど、奥の人たちを人質にとられたら厄介だな……。その視線に気づいた障子が複製腕の目でそちらを見てから、別の腕で口を作った。
「どうした?」
「なんでもない……今日、ありがとう。楽しかった」
「こちらこそ。誘ってよかった」
「はは……そう」
急に、現実を認識して恥ずかしくなる。そういえば誘われたんだった。数日前の出来事が脳に浮かび、思わずストローを咥える。緊張して胃に穴が空くかと思ったが、こうして一緒にいると彼が冷静なのでこちらも割に冷静になれる。
障子はそのまま、作った口を開いた。
「ずっと気になっていたんだが」
「はい」
「何故俺を?」
「え?」
心臓が跳ねる。いつになく真剣な顔をした彼に見つめられ、いたたまれなくなって彼の手元に視線を落とす。
「中学の頃、お前は俺とは全く別のグループにいたし、話したこともあまりなかっただろう」
「ああ……避けてたから」
「そうなのか」
「いや、嫌いだったとかじゃないよ。私、結構浮いてたからさ……まあ、仲良くしてくれる子はいたけど、雄英に行きたいなんて言っても笑われるだけだったし」
「……なるほど」
「個性もそんな強いものじゃないでしょ。でも君のは違う……もちろん相性はあるだろうけど、強い個性だ」
「得意不得意は誰にでもある。お前の個性も、充分強いだろう。そう卑下する必要はない」
「ありがとう……。君の、そういうところに救われたんだよ」
少しだけ驚いたような顔をした障子から目を逸らし、結露の滴るグラスを掴む。
昔のことを思い出す。きっと本人は覚えていないであろうやりとりや、誰かにかけていた言葉。一つ一つに私は救われたのだし、つまり、彼はヒーローだった。あの頃から。
「障子がいなかったら雄英に来てない。ヒーローになるのも、諦めてたと思う。だから、なんだろ……うまく言えないけど……そういうのが、色々混ざって恋になっちゃった……のかな。ごめんね」
恋ってなんなんだろう。変に感慨深くなってしまい、薄くなったココアを啜る。私が女で、障子が男だから? 分からない。それが誰だったとしても、私は恋をしていたのだろうか。これは恋ではないのだろうか。
「謝る必要はない。お前の、そういった言葉は嬉しい。……俺もうまく言えないが」
ちらと彼を窺うと目が合ってしまう。うわーっかっこいい! 何もかも嫌になって、机の上で組んだ腕に額を寄せる。恋でもなんでもいいから、私は障子と一緒にいたい。
なんだか泣きそうになっていると、突然角の先端に痛みが走る。
「痛い! え……何?」
「いや……すまん」
離れていくのが分かってばっと顔を上げる。口の形をした複製腕が二つ目の前にあり、先程の痛みの鋭さと結びついた。
「噛んだ?!」
「ああ」
「な……なんで?」
「授業での使い方を見ていたら、痛みを感じないのだろうと思ったのだが」
「体の一部なんだけど!」
「確かに、常闇に掴まれて痛そうにしていたな。すまない」
「お腹空いてんの?」
「そうかもしれん」
「出ようか……びっくりした」
「お前は存外よく驚くな」
「君が驚くことばっかするからでしょ」
「そうか。気をつける」
気をつけたところで変わらないんだろうなと思いつつ、荷物をまとめて立ち上がる。ええ、いや、角噛まれたんですけど? これは恥ずかしがってもいいやつではないか。慌てすぎて気づかなかった。赤くなってしまっただろう頬を押さえ、ため息を吐く。
ショッピングモールを出て暗くなった空を見上げる。もう終わりか。色々あったけれど靴もプレゼントも買えたし、何より……。
「、これを」
「え? 何?」
道中急に袋を差し出され、反射的に受け取ってしまう。
「少し早いが、クリスマスプレゼントだ」
「え……?! 私何も買ってないよ! あっ部屋用のトナカイなら……いる?」
「いいのか? そういうつもりでは」
「いいよ、むしろごめん……ありがとう。帰ったら開けるね」
「ああ。喜んでもらえるかは分からないが……」
「楽しみ」
「そうか」
障子は半透明の袋に入ったぬいぐるみをまた顔の前まで持ち上げ、じっと見ている。それを私だと言った人にあげるのはどうかと思うが、他に手持ちもないし、今日という日に交換するのが大事なのだと自分に言い訳をした。
寮に近づくにつれ、無言の時間が増えた。障子は何を考えているのだろう。名残惜しいと思ってくれているだろうか。そうだといい、と思う。あの時みたいに。
溶けかけた雪がぐずついている。転ばないよう地面を見ながら歩いているとすぐ近くで「」と声がした。
「んー?」
「やはり、俺といるところを見られるのは嫌か」
「んー……私からかわれるから……今日はたまたま会ったとかでいいけど」
「からかわれるか……確かにな。俺が言ってどうにかなるものでもあるまい」
「あはは、それじゃ人によっては激化するかな」
「そうか……」
「まあ、別にいいけどね。無視すればいいし」
「お前は、クラスメイトを無視するのも嫌なのではないか? ……これから先、共にいる時間を増やしたとして、お前だけが嫌な思いをするのは心苦しい」
「……そっか」
どうにかならないものかと呟く彼に、申し訳ない気持ちが募る。私がからかわれるタイプじゃなければよかったのだ。一緒にいたいと言ってくれた彼の顔を思い出す。
「君は嫌じゃないの」
「俺はあまり言われないからな。からかい甲斐がないのだろう」
「そうだろうね……」
「何も参考にならずすまない」
「いや、私の問題だし……大丈夫だよ。うまくやるから」
「うまく」
「うん。ごめんね、気にしないで」
「……分かった。何かあれば言ってくれ。話を聞くくらいしかできないが」
「ありがとう」
「俺の方こそ」
「なんでよ」
「どうしようもないからだ」
「私の問題だもん」
「俺といるのにか」
「そういうのやめてよ、好きなんだから」
「……好きだとやめねばならないのか?」
「ばか! ばーか!」
「……馬鹿ではない。お前は天邪鬼なのか」
「は?! そうかも……」
天邪鬼などと言われるとは思わず、なんとなくショックを受けていると、障子が立ち止まる。
「どしたの」
「もう着いてしまうな」
「えっ……うん。え、手でも繋ぐ?」
「答えも出せない、中途半端な男の手でよければ」
「……え?!」
「嫌か?」
「嫌なわけないじゃん」
「よかった」
全然よくない。差し出された手におずおずと自分の手を乗せる。障子なら応えてくれるんじゃないかとは思ったが、まさかちゃんとやってくれるとは。
「手つめたっ」
「お前が温かいんだろう」
「よく言われる」
こんなところ、見られたら一発でお終いだ。歩き出した彼に続く。でも仕方ない。足を滑らせたとかなんとか、どうとでも言える。……トナカイの癖に?
「そういえば、前に俺からの好意を期待すると言っていたが」
「え? はい」
「そもそも、少しも好意がなければこんなことはしない。今のままでは、お前の感情に釣り合わないと思っているだけだ。だから、待っていてくれ」
「な……え……わ、わかりました」
「初めから言うべきだったな。すまん」
「いや、……それは、全然大丈夫だけど、むしろありがとう。色々考えてくれて」
「お前の方が、色々と悩んだだろう」
「こういうのって惚れた方が負けらしいよ」
「両成敗ということか」
「そっち惚れてないじゃん!」
「惚れるという言い方が正しいかは分からないが、お前が思っているよりは好きだと思うぞ」
「マジでそういうのやめて」
「すまない。怒るだろうことは想像がついていた」
「嫌がらせかよ」
「伝えておかなければと思ってな」
「いいからもう!!」
「すまん」
どこまで私をからかえば気が済むのだろう。本人に悪気がなさそうだから怒るに怒れない。怒っているけれど。
馬鹿みたいなやりとりをしているうちに、寮の目の前まで来てしまった。最悪。見上げると目が合う。ますます手汗がひどくなって、彼から目を逸らす。結局、どちらからともなく手は離れていった。不器用だ。私もこの男も。障子に関しては真面目すぎるだけかもしれないが。
「また誘う」
「うん、私も。今日ほんとありがとう」
「こちらこそ。そういえば切島を待たせているんじゃなかったか」
「忘れてた!! じゃ、またね」
「ああ」
障子に手を振り、先にリビングに入る。待っていたらしい切島と砂藤が一番に気づいたので、それに荷物を見せ、他のクラスメイトに挨拶をしつつエレベーターに向かった。
長い一日だった。あっという間だったけれど。一人になってしまうと、より様々なことが思い返される。右手。うわー、プレゼント開けたいけど、すぐ夕飯が届くだろうし、いやでも、ちょっとぐらいいいかな……。気づいたら部屋の目の前についていて、ため息を吐く。ぱっと開けてぱっと着替えて下に行けば大丈夫だ。開けよう。
荷物とリュックを下ろし、ジャケットをハンガーにかける。心臓はち切れそう。緊張しすぎて死んでしまう。深呼吸さえ震えながら、ゴールドのリボンを解く。クリスマス限定なのか、可愛らしい柄の入った袋を開けると、そこにはクマのぬいぐるみが入っていた。
「うわマジ……うぅ……」
思わずそれの上に崩れ落ちる。かわいい。クマのぬいぐるみを? あいつが? 私のために?! 嘘でしょ、以外の感想が思い浮かばず、口角は上がりっぱなしだ。きちんと袋から出して、掲げてみる。トナカイは自分で買ったからクマにしたのだろう。私にこんなものをプレゼントする人なんて他にいない。嬉しい。死んじゃう。ていうかさっきすごいことを色々言われた気がする。クマを抱きしめて床に転がる。あの男を好きなのが私だけって本当なのか? 恐ろしい。好きなのか分からないと思ってしまった自分を疑う。
もっと浸っていたかったが、体裁があるので渋々起き上がる。この一日で私はすっかり打ちのめされていた。責任とってくれ。そいつをとりあえず勉強机に置き、数秒眺めてから、クローゼットのドアを開けた。