ときめきの純度
「ところで、ちゃん」
登校中、耳郎と話していた梅雨ちゃんが不意に話しかけてくる。寒いせいか眠そうだ。梅雨ちゃんの隣に耳郎、後ろには芦戸と葉隠、麗日に八百万。歩きスマホを咎める委員長はいないので、画面は消さずに彼女の方を見た。
「ん?」
「色々あったって本当?」
「色々?」
耳郎もなんだか分からないという顔で梅雨ちゃんの言葉を復唱する。
「常闇ちゃんから聞いたわよ」
「何を」
「なんの話?」
「さあ」
「さあって、あんたの話でしょ」
「常闇のこと殴っとけばいいのかな」
「あんたすぐ手出るな」
「騒がれるの嫌いそうだし、一応止めておいたけれど」
「ありがとう。なんのことだか分かんないけど」
「え、なに、マジでなんの話?」
「さあ」
「ちゃんは興味がないんだと思っていたわ」
「ないよ。なんのことだか分かんないけどね」
ケロケロ、と梅雨ちゃんの喉が鳴る。耳郎は相変わらず好奇心と不満の間のような表情をしていて、このままだと芦戸あたりに広まってしまいかねないなと思う。耳郎は騒いだりしないだろうし、話してやってもいいかもしれない。
教室についてとりあえず常闇の頭を殴ると、黒影が出てきて角を掴まれてしまった。
「いってえな!」
「いきなり人を殴るからだ!」
「殴りやすそうなフォルムしやがって」
「貴様……愚弄するか」
何故か近くにいた青山を盾にし、なんとか黒影を引っ込ませる。「僕のきらめきは止まるところを知らないね」とかなんとか、青山も嬉しそうだしよしとしよう。ヒーローの卵としてはどうかと思うが。お前ら今日も仲いいななんて瀬呂の声が聞こえる。よくない。
角をさすりながら席につき、やたら姿勢のいい後ろ姿を視界に入れる。名前順だから仕方がないとはいえ、あの巨体が一番前になったのはどう考えても問題だ。
放課後、疲れたし今日は帰るかと思いながら鞄に筆箱やらを詰めていると、梅雨ちゃんが耳郎を連れて現れた。
「今朝はごめんなさい」
「え? いや、全然」
「お詫びに三人でお茶しない?」
「それお詫びか?」
「いいじゃんいいじゃん、うちもの話聞きたいし」
「ちょっと何言ってるのか……あ、砂藤」
「ん、おぉ、どした」
「こないだのおいしかった、ありがとう」
「おー、サンキュ。またいつでも作っからよ」
「うん、待ってる。じゃあ二人とも、また明日」
「ちょい!! はぐらかすのうまっ」
「ここで叫んでもいいのよ」
「脅迫罪で訴えるぞ」
「冗談よ」
どことなく楽しそうに梅雨ちゃんが言う。冗談じゃない。
その後、なんだかんだ言いくるめられて私の部屋で話すことになってしまった。何を考えているのか分からない梅雨ちゃんとは反対に耳郎はそわそわしている。みんなに部屋を見られて以来ほとんど人が来ていないこともあり、完璧に片付いているとは言い難い。リビングから持ってきた飲み物を机に置き、鞄を床に下ろすと二人もそれに倣った。
「ごめん、汚くて」
「えっ綺麗じゃん! うちの部屋とは大違い」
「ちゃんは綺麗好きなのね」
「そんなことないよ。コートかける?」
「うちは大丈夫」
「私も。それよりこの棚、見てもいいかしら」
「ん? ああ、汚いけど。ただのネイル入れだよ」
「へー、いっぱい持ってんね。さすが」
自分のコートだけハンガーにかけ、暖房をつけてから開けっ放しだったカーテンを閉める。その際何気なく下を見ると木が生い茂っていて、この間の夜のことを思い出した。手……。いやいや、今はそれどころではない。でかかったな。いやいやいや! アホか! 平静を装ってベッドに腰掛ける。本当はこんなところで話したくはなかったのだが、耳郎がここにいるので聞かれる危険はないだろう。芦戸たちはまだ学校に残っているはずだ。
「梅雨ちゃんは常闇から何を聞いたの」
「あら、話してくれる気になったのね」
「部屋に呼んだ時点でね」
「常闇ちゃんは、彼が寮の前でちゃんを待っていたって言っていたわ」
「彼? 誰?! まさか障子?」
「待って、マジでみんな知ってんの? 嫌なんだけど」
「うーん……あんたら中学一緒だし」
「いや嘘でしょ? 私そんなに分かりやすい?」
「え、うん……ねえ」
「言いにくいけれど、かなり分かりやすいわよ」
「死にたい」
「死なないで」
やっぱりそうなのか。死にたい以外に正しい言葉が見つからない。くだらないことに巻き込んでしまって、障子にも申し訳ない。まあ障子の場合からかわれることなんてそうないだろうし、黙ってやり過ごしそうだから大丈夫かもしれないが……。
「えっ障子があんたのこと待ってたってことはあっちも好きなの?」
「いや違うと思う……優しいから拒絶しないだけで」
「拒絶しないのと、歩み寄るのは全く違う話じゃないかしら。少なくとも、待っていてくれるくらいにはちゃんを大事に思っているんだと思うけれど」
「そうかな……」
「えーっ、うわ、こっちが恥ずかしい! そんでそんで? どこまでいってんの?」
「どこまでもいってねえわ! てか嫌だ! もう帰ってくれ!」
「うわあ、うわっ、のこんなん初めて見た! いいなー楽しそう」
「ちゃん、何も私たちはからかいに来たんじゃないのよ」
「それ以外なんの目的があるんだ……」
体を軟体動物のようにだらけさせ、ベッドからマグカップへ手を伸ばす。これだから嫌なんだ。耳郎のようなポジションでいたのにどうしてこうなってしまうんだろう。カフェオレを口に含み、なんとか飲み込む。
梅雨ちゃんは指を口元に当て、なんでもないことのように言った。
「デートに誘ってみたらどうかしら」
「でっ……?!」
「うわ汚っ」
デート。
言えずにコップの中身を床にこぼす。耳郎が慌ててティッシュを数枚引き抜いた。デート? 私と障子が? 無茶言うな! 梅雨ちゃんにコップを奪い取られ、茫然と手を拭く。
「ゴミ箱どこ?」
「そこ……」
「知ってしまったからには、背中を押してあげなきゃと思って」
「無理だって……絶対迷惑だから……」
「めっちゃウケる」
「ウケてんじゃねえ」
「いいじゃん、聞いてみなよ。デートって思わなきゃ行けるって。今までだってみんなで買い物行ったりしたんだからさ」
「買い物……口実? 無理、デートって言われたらそれにしか思えない」
「それなら、私たちと、常闇ちゃんも一緒に行くわ。途中で二人きりにするっていうのでどう?」
「楽しそう!」
「楽しくねえ」
「常闇ちゃんには話しておくわね」
「いやいや待って、ほんっとに無理、だって障子は私を好きとかじゃないんだよ。この話した後に流れで二人になっても私どうしたらいいか分かんないし絶対顔に出るし、誘われた方だって面子に私がいたら勘づくだろうが」
「めちゃめちゃ喋るじゃん」
「確かに、潔く二人で出かけた方が自然ね」
「無理……」
「こじらせてんなー」
こっちが何年片思いしてきたと思ってるんだ? たったの二年だか三年だけれど、こうして同じ学校に通うことができているだけでも奇跡的で、それがこの間は手まで繋いでしまったのだ。これ以上何を望むことがある? せっかく向こうが時間をかけて仲良くなろうとしてくれているのに。
「でも、そうね。私たちがとやかく言うことじゃなかったわ、ごめんなさい」
「こちらこそごめん……まだその段階にないっていうか……」
「話ならいくらでも聞くから、あんま考えすぎんなよ」
「絶対芦戸たちには言うなよ」
「分かってるよ……てかついでだしテスト勉強しない? 明日小テストあるよな」
「そうね。まだ紅茶もあるし」
「砂藤のお菓子もうないの?」
「ないよ。もらってくれば?」
ようやく話が収束し、教科書を取るために立ち上がる。二人ともいい子なのは間違いないのだが、なにしろ私自身の気持ちがついてきていない。そもそもデートって、どこに何をしにいけばいいんだ。駄目だ駄目だ、浮かれるな。ため息を飲み込み、教科書とノートを勉強机から選び取った。
雪が降っている。何週間か降ったり止んだりしているけれど、視界を白が埋める程度には積もっていた。
二人が帰った後、暖房のせいで暑くなった体を冷やすために窓を開ける。吐く息は当然のように白い。個性柄冬は得意だが、角の生え変わりが面倒でもある。幼少期と違い毎冬抜けるわけではないし、ぴかぴかの角は自慢でもあるからいいけれど。
すぐに室内が冷気で満たされてしまい、窓を閉める。気楽なものだ。私たちはこれから、もっとずっと苦しい生き方を強いられるだろう。ヒーローとはそれだけ個より全を優先しなければならない生き物なのだ。
勉強する気分でもなくなったし動画でも見ようとスマホを手に取る。通知は梅雨ちゃんや耳郎、A組の人たち、中学の同級生、それから……そういえばなんとなく機会を逃して放置していたんだったと思い、画面をスクロールする。
「あ」
一件だったはずのメッセージが増えている。見たくない。十六時半。二人がまだいる時だ。日曜。日曜? 暇です! 勢いに任せてそれを開くと、先日無視したものの後に、たった今心の中で何度も読んだそれが書いてある。
日曜は空いているだろうか。良ければ出かけないか。
「はあ……?」
独り言が止められない。日曜は空いているだろうか。空いている。出かけたい。まずい、既読をつけてしまった。どうしよう。良ければって何? 良くないわけないだろうが! これは一体何闇の仕業なんだ……。今度林檎でもあげよう。一発入れてから。頭が沸き立つ感覚がして、思わず角を押さえる。あいつは本当に私から好意を向けられていることを理解しているのだろうか。タチが悪い。大きく息を吐き出しながら、脳内で文面を構築する。どこに行くのか知らないがどうでもいいことだった。余計なことが書いていないということは十中八九二人だし、場所も特に決めていないけれどとりあえず誘ってみたというところだろう。
行きます。
既読がつくのが怖くなって慌ててアプリを閉じる。どうせ気になって開いてしまうのだけど。梅雨ちゃんたちには明日返そう、みんな私が連絡不精なことくらい分かっているはずだ。
息苦しい。ベッドに倒れこんで天井を見つめる。今年は角抜けるだろうな、と思う。なんとなく。
「おわびっくり、うわ!!」
目を閉じかけている私の手の中で、スマホが着信を告げる。驚いて体を起こすとそこにあったのは件の男の名前で、大声を出してしまう。間違えて切ってしまわないよう慎重に指をスライドさせる。
「も、もしもし」
『障子だ。遅くにすまん。寝るところだったか』
「いや全然……ちょっと目は閉じてた」
『それは、邪魔をしたな』
「全然! マジで……大丈夫。そんで、どうしたの」
電話の向こうで障子の声がする。言葉を選びながらゆっくり話しているのが分かって、こちらが緊張してしまう。まさか電話がかかってくるなんて思わなかった。文面の方が気楽なタイプに見える。
『日曜のことだが』
「あ……はい」
『行きたいところはあるか?』
「えっ、と、特にない、君の行きたいとこでいい」
『俺は……お前の行きたいところに行きたい』
「あ……あ、り、がとう……」
『……なら、前に行ったショッピングモールはどうだ』
「あ、うん、いいよ。あそこなんでもあるしね」
『ああ。お前の好きなものも、きっとあるだろう』
「はは……ありがと」
『俺の方こそ、ありがとう』
彼は淡々と、当然のように答える。感謝される謂れはないのだが、そういう人だとはもう分かっていた。口角が上がりっぱなしの口元を押さえる。
「あの」
『ん?』
「……駅で待ち合わせる? 寮からじゃ、うるさいのもいるし」
『ああ、構わない。十一時頃にするか』
「お昼一緒に食べる」
『そうしよう』
「じゃあ……その……あの、よろしく」
『フ……よろしく』
「笑ったでしょ今」
『が緊張しているところなんて、そう見れるものじゃないからな』
「むかつく」
『すまん』
「いいよ、もう……じゃあまたね」
『ああ、また明日』
「うん。おやすみ」
『おやすみ』
スマホを耳から離し、終話ボタンを押す。
緊張した……。
今しがた行われた会話を思い出して脈が上がる。障子って笑うんだな。というか、あんなに近くで声がすることは普段ないし、緊張してしかるべきではないか。一応カレンダーに書き込んでおこうと再び画面をつける。引き留められた時も、手を繋いだ時ももう充分だと思ったはずなのに、欲望は底なしだ。醜い。素直に、清く正しく、生きていかなければ。委員長の顔を思い浮かべつつ考えるも、カレンダーに書き込まれた予定を見ればそんなものは掻き消されてしまうのだった。