孤独
砂浜で寝そべりながら星を数え、時折煙草に火をつけたり、思い立って波打ち際を歩いたりなどしていると、人生のことがどうでもよくなってくる。夜は長く、私はひたすらに孤独だ。広大な海を前にすれば地位など関係ない。いつかは帰らなければいけないからこそ、つまり私には何もかもを捨てる権利がないと理解できているからこそこの夜遊びを楽しめているのであり、他の人間がどうだかは実際のところ分からなかった。私の従者などは所謂一般的な出自であるので、連れてきてみたら何か分かるかもしれないとは一度考えたが、他人にこの遊びを知られたくないという気持ちが勝ってしまった。
私は孤独だ。
煙を吐き出す。体重をかけている左手が砂の上でずりずりと後退していくのが分かる。煙とため息が混じりあい、私は腹に力を込めて左手を浮かせ、今度は胡坐をかいた。足が大量の砂を巻き込んでその拍子にサンダルが脱げる。私の国では禁止されていないどころか皆が大っぴらに吸っている煙草も、ここでは吸ってはいけないことが暗黙の了解となっているだろう。綺麗な砂浜だ。
両親も兄も、私が跡継ぎでないために文句は言わないが、二人だけでなく誰一人私の喫煙や夜遊びにいい印象を抱いてはいない。まあそれも城の中の話で、国民たちは割と受け入れてくれているけれど(誘ってきたのが国民なのだから当然だ)。それに、こうして従者だけ連れて別の国に来てしまえばもう関係ない話だ。
聞いたことがある。この海の下には国があり、そこにもきちんと王子がいると。我が国とは関わりがないので詳しいことは知らないが、調べた限りでは人魚がいるとかいないとか、らしい。見つかったら殺されるかもしれないなあ。海汚すなとかって。別に汚してないけど。いや、空気は汚くなってるか。細かい灰も落ちるし……。考えていると欠伸が漏れて、簡易灰皿に諸悪の根源を押し付ける。あと一時間もすれば明るくなるだろう地平線をじっくりと眺め、再び立ち上がった。
「うわ!」
「わっ」
初めに視界に入ったのは揺れる柔らかな髪。それから水しぶき。遅れて波の音を認識し、しかしその時には人影は消えていた。こんな時間に遊泳だろうか。人のことは言えないし、様子を見ると相手の方が驚いていたようだが、驚かせるのはやめてほしい。
しばらく特に意味もなく人影が消えた方を見ていたが、いつまで経っても海面は揺れない。潜ってから三分は経っているはずだ。普通の人間ならそもそも一分ももたないだろう。まさか溺れたとか? 私が驚かせたせいで? そんなわけはないか。
ため息を吐いて波に近づく。王族が他国で過失致死なんて洒落にならない。
「おーい!」
暗くて遠くまでは見えないが、少なくとも私の視認できる範囲にはいないようだ。一体どこまで行ってしまったのだろう。人を呼ぶか、面倒だなと考えながら部屋着のポケットに手を突っ込んだ時、波打ち際からそう遠くない海面が大きく揺れた。そこから先ほどの人間が頭を出す。声からして男だろう程度の認識だったが、暗闇に浮かぶ体は確かに男のものだった。
「大丈夫?」
声をかけながら近づくと、彼は少し後退した。泳いでいるだけなのに話しかけられたら警戒もするかと思い、私は歩みを止める。
「溺れたんじゃないの? 手を貸そうか」
「……大丈夫」
「そう。邪魔して悪かった」
違和感を覚えつつ、大丈夫らしいので彼に背を向ける。向こうも一人だし、私はこの国の人間ではない。今日のところは引き上げて明日の仕事に備えよう。
次の日、招かれていた食事会での面倒なコミュニケーションを終えた私は、再び海へ向かった。面倒とはいえ、この国はまだマシだ。かなりラフだし、国の雰囲気も含め我が国と近い部分が多い。そもそも他の国なら夜に一人でフラフラすることなんてできないだろう。
要するに機械のメンテナンスとそれに関わる様々な手続きが私の仕事だ。それから情報収集。たぶん兄は後者をメインにしてほしいのだろうが、私がそういう性分でないことを理解しているのだろう。言ってしまえば、本来王族である私がやるべきでない仕事をやっているということに文句が出ない時点で、兄も両親も私に王族たることを求めていないのだ。
海面は穏やかに揺れている。今日の「パーティ」には王子も出席しており、この国の海についてはなんでも知っているという風だったので、一瞬仕事外の話になった際人魚について聞いてみた。「結論から言うと本当にいる」らしい。彼も人魚の国というものを見たことはないが(海の底ではねと笑っていた)、一人会ったことはあると。
兄は挨拶やら私の子守やらのためについてきただけなので明日帰るようだが、私にはまだ仕事が残っている。この海にも何回来ることになるか分からない。元々二週間前後で帰国予定だしもちろんさっさと帰りたいけれど、こんなに居心地のいい場所があるならもっといたい気もする。
次の日のことを考え、一時間ほどふらふらしてから宿へ戻った。毎日従者の小言を聞くのも面倒だなあと思いながら。
それから数日が経ち、また海へ向かう。大体の工程が完了したためにアルコールを摂取し、少しだけ気分がいい。人生のことだとか、それに付随する家族やら夢やら、まあだから結婚のことも含めて、要するに下らないことなどを考えなくてもいい程度には。
まだ日が落ちていないにも関わらず、浜辺には誰もいない。ここに来るのは三回目であり、前の二回は深夜だったために、何故だか、いつもこうなのかは分からないが、今日を含めて三回とも人とは遭遇しなかった。あの驚いていた彼くらいだ。人がいないからああして泳いでいるのかもしれない。それなら私が来るのもなと少し罪悪感が沸く。
「あーあ」
人がいないのをいいことにため息を声に出す。なんだかいつもより持ち物が少ないなと思ったら煙草一式酒屋に忘れてきたらしい。最悪だ。酔っているのに煙草が吸えないなんて。
数日前にフラフラしていたところへ向かっていると、ちょうどそのあたりに人影が見えた。胸あたりまで浸かってしまうであろう深さから頭だけ出ている岩に腰掛けている。夕日を眺めているのか、ほとんど動きがない。近づいていくと足音でこちらに気づいたらしく、はっと振り向いた。その驚きように私も思わず立ち止まる。
「あ」
彼が声を発する。あれは。どくんと心臓が音を立て、私は息を呑んだ。あれは、……。
ばちゃん!
彼が海に飛び込む音で、我に返る。尾ひれ。おかしい。そうか、やはり溺れているわけではなかったのだ。
「待って!」
もうどこまで行ってしまったかも分からないのに、私は走り出した。そのまま海に入り、じゃぶじゃぶと足で水を蹴って進む。彼に私を待つ理由はない。私にも、彼を追いかける理由などなかった。膝が浸かる深さで止まり、透き通る海を見渡してみるが、暗くなってきたせいもあって彼の姿は見つからない。元々声が聞こえるか聞こえないかくらいの距離にいたのだから、既に深くまで行ってしまったのだろう。
これこそ、あーあ、だ。別に会ったところで何を聞きたいとかいうことでもない。ただの好奇心だけで走り出したのだと理解できていた。たぶんいつもそうやって物珍しそうに見られるから逃げたのだろう。もう一度きちんとため息を吐き、私は踵を返した。