ろくでなしラヴァーズ

 男が起きた時、私は二度寝の真っ最中だったらしい。頭を撫でられる感覚で意識が覚醒していく。今度はあの夢は見なかった──代わりに、たくさんの花びらに埋もれて遊ぶ夢。ああ、花をもらったのが想像以上に嬉しかったみたいだ、自分に呆れながら目を開ける。頭を動かすと頭上でスマホの電源ボタンを押す音が聞こえた。
「……さこ」
「ん」
「今なんじ」
「五時すぎ」
「おはよう」
「おはよ」
 私の頭の下にあった腕を引き抜き、男は肘をついた。頭皮を指の腹が通るのが気持ちいい。
「いい夢でも見た?」
「え、わかんない。なんで?」
「笑ってたから」
「えーやば」
 何も思い出せないが、確かに楽しい夢だったような気はする。二度寝した後だからか悪夢は見ずに済んだようだ。腕を男の背に回し、胸元に額を押し当てる。柔らかい。
「おっさんのおっぱい」
「ええ……おっさんくさい……」
「おちつく」
「おじさんの胸部で落ち着くやつなんてそういないよ」
 呆れたように言いながらも男は背中を撫でている。ずっと寂しかったのかもしれない。心の隙間を埋めてくれる存在が必要だったのかも。父は私が幼い頃に死んだし、母は元が自由な人間であることもあっていつも忙しくしていた。兄妹、あるいは近くに親戚などがいれば何か変わったのだろうが、それもない。
 彼氏を順番に思い出す。それから、久しくこの感覚を味わっていなかったことに気づく。この、ただ存在を認められているという安心感。
「パパ……」
「おっぱいっつったりパパっつったり、忙しいな」
「パパのおっぱい」
「混ぜるな混ぜるな……。あと、一応彼氏なんだからパパはやめなさい」
「……か、……彼氏なの?」
「違うの?」
「え、なんか……違う気がする」
「ま、なんでもいいけど」
「からかったでしょ」
「半分ね」
「私のこと彼女だと思ってんの?」
「うーん。違う気がするよな」
「失礼な」
「いやおかしいだろ」
 私は、迫とは様々な点で対等ではないので、恋人という枠に収まるとはとても思えない。が、まあ、状況だけ見ればそれ以外に適切な語はなさそうだ。恋人は対等であるべきだと思うけれど、そこはそれ、世の中色んなカップルがいるということでいいのだろうか。分からない。
「迫はさぁ……彼氏って感じじゃないよね」
「どういう感じなんだ」
「親戚のおじさん」
「それじゃ近親相姦になっちまう」
「うわっキモい」
「してねえのに傷つくな、なんか……」
「リアル叔父思い出しちゃった……」
「自爆してんじゃねえか」
「じゃあ、近所の……なんか怪しい……公園とかにいる……怪しい人」
「二回も怪しいって言うなよ」
「鳩にエサやってんの。あ、優しいとこあるんだなってちょっと好感度上がるじゃん? イケメンだし」
「はあ」
「でもゴミ箱まで行くのめんどくさいから鳩にばらまいてるだけなんだよね」
「どういう印象なわけ?」
「そういう出会い方じゃなくてよかったなあ」
「俺もよかった。色んな意味で」
 迫から体を離し、仰向けになる。見慣れた天井。迫は同じ姿勢を続けるのに疲れたのか、起き上がって肩甲骨を寄せた。それを横目で見てから、テーブルに置きっぱなしだったスマホに手を伸ばし、手元に引き寄せる。
「お前のそれ、生物に効かないんだっけ」
「効かない。死体ならいける」
「お前の認識の問題か?」
「どうだろ……そうなのかな。今度また実験してみるわ」
「実験? 悪いなぁ」
「他に確かめようがないし……」
「まあな」
 男は立ち上がり、そのままリビングを出ていく。私だって別に、人を殺したいのではないのだ。ムカついたらその場で試しているというだけで。
 スマホの通知をざっと眺めてから消す。空腹を感じ、ため息を吐きながらべたりと体をシーツに押し付けた。
「迫ー」
「んー?」
「ご飯作ってー」
「あー、いいけど、材料あるかな」
 言いながら戻ってきた男は、ペットボトルの水を飲んでいる。それをテーブルに置き、ドアを開けたままキッチンに歩いていく。冷蔵庫を開ける音。ベッドを降り、男の方へ向かう。
「食えないもんないよな?」
「そこに入ってるやつは平気」
「じゃあ米炊くか」
「作るんだ」
「かわいい彼女のお願いだからな」
「うわー! っはは」
「笑うなよ! 俺も恥ずかしいんだから」
「迫面白いね」
「ガラじゃねーんだよ、マジで」
「親戚のおじさんは?」
「それだけはやめて」
「うそだよ、かっこいいよ。かっこいいおっさん」
「え、俺のことかっこいいって思ってんだ」
「思ってるけど?!」
「へぇー」
「え、何? その棒読み」
「若いなあと思って」
「はあ?」
「てのは半分冗談だけど」
「ええ……」
「正直飯のこと考えててちゃんと聞いてなかった」
「バカ?」
「ごめんごめん。俺がかっこいいって話ならいくらでも聞くぜ」
「いやもういいよ」
「そりゃ残念」
 話しているうちに米をとぎ終わった男は、炊飯器にそれをセットし、玉ねぎを袋から出した。本当は自分のかっこよさなんてどうでもいいんだろうな、と思う。それこそ、そんなことを気にする歳ではないのかもしれない。自覚はあるのだろうし、見た目に気も使っているようだが、それだけなのだろう。
 前に一度ご飯を作ってもらったのだが、その時はなんだか驚いてしまった。まだほとんど外での姿しか知らなかった上に、家にいる間は酔っているか寝ているかだったので、この男も生活しているんだなあと思った覚えがある。そう言ったら笑われたけれど。

 テレビを見ながら、親子丼を食べる。うまい。毎回作ってくれたらいいのにと思うが、そうしたら住み着いてしまうのでむしろそうでなくてよかった。
 よく寝たからか、今日は気分がいい。夜中に起きた時は沈んで仕方なかったけれど、二日酔いと低血圧のせいだろう。きちんとした所作でご飯を口に運ぶ迫を眺めていると、すぐに目が合った。意味が分からない。何もかもの。
「なに?」
「いや、愉快な人だなあって」
「エンターテイナーだからな」
「そういやそうだった」
「愉快ねえ」
「うん」
 変わっているだろう。話していると割と普通なのに、出会ったことのない人種だと思ってしまう。まあ、私は私と迫以外の犯罪者に会ったことがないので、ある種正しいが。私も他人から見たら変わっているのかもしれない。
 食べ終わり、ごちそうさまと言いながら、グラスに口をつける。テレビ画面に大きくニートとはと書いてあり、朝っぱらからやる内容じゃないだろうと思う。好きに生きているんだから放っておいてほしい。
「ヒモになりたいなあ」
にゃ向いてねえと思うぜ」
「え、そう?」
「そいつがいなくなったら生きていけないなんてしんどいだろ、お前」
「なるほど……」
「あとヒモ女飼いたがる男ってのは大概ろくでもねえから、おすすめしない」
「まあ……でも迫も私もろくでもないじゃん」
「そりゃそうだけど、一緒にされたかねえな」
「自覚あるんだ」
「あるよ。いくつも年下の女に手出してるし」
「え、抵抗あんの?」
「そりゃーあったさ。若くねえんだ、こっちは」
「私もそこまで若くないけど……」
「世間的な評価もそうだけど、は俺より若いだろ。俺が先に死んで、お前がその年齢を越したりしない限り、ずっと」
「そっかあ。じゃあ先に死なないでね」
「少なくとも寿命迎えるのは先だな」
「叩き起こすから大丈夫」
「はは、そりゃ敵わねえ」
 指先で食器を浮かせ、重ねていく。私たちはそんなに長生きできないだろう。たぶん、迫も分かっている。そもそもアル中の喫煙者じゃ、そう遠くない将来体を壊すだろうけれど。立ち上がりながら手を下げてドアを開け、重ねた食器類を持ち上げるようにもう片方の手を動かす。シンクにそれを置き、水を出しながら、リビングに目をやった。足を組んでテレビを眺めている男の隣には、淡く輝く花が活けてある。
「それどんぐらいで枯れる?」
「ん? さあ。一週間とかじゃないか」
「ほんとにいていいの」
「いいよ。帰りたくなったら帰ればいい」
「……ばかみたい」
「え?」
「おっさんのこと好きみたい、って」
「俺もだけど、おっさんはやめて」
「んふふ」
 ばかみたい。ばかみたいだな、と思う。どうしようもない人生を歩んできた私に許された、共犯者との自由で穏やかな生活。私はきっとあの人が死んだら泣くだろう。私のために生きていて。お願い。器を滑る泡が滲む。想像で泣く自分の情けなさに笑えてきて、でも止まらないから、迫に聞こえないように鼻を啜った。
 花が枯れるまでの一週間、二人で何をしよう。盗んだ車を走らせて、デートがてら美術館でも行こうか。それとも、シャチのいる水族館。どこでもいい、二人なら、これから先どこへでも行ける。だって、ろくでなしの犯罪者たちは自由だから!