愛すべき何でもない日々

 また三週間ほど空けてフィンクスはやってきた。一か月経たないくらいの、充分に一人の時間を過ごした後にもたらされる確かな幸福。時々それが怖くもある。
 やっぱり一人暮らしだししばらく自炊したいなと思い立って食材を買った。一か月かそこら、続けられるならもっと、無理でも一週間は自炊だと決めて今日でちょうど一週間。簡単なものでも意外と自分で作るとおいしいものなのだと思い出す。本当に料理をしていなかったんだな。バイトを始めてからあまり使われることのなかった調味料の賞味期限を一応確認し、こういうのってこんなに持つのかと感心した。適当に塩コショウを振る。それから、インターホンを鳴らすということを学習した男のために私は鍵を開け、すぐ台所に立った。

「飯作ってんのか」
「うん。久しぶりに」
「そういや、そんなこともあったな」

 フライパンの音で彼の呟きめいた言葉はよく聞き取れない。たぶん作ったことがあったのを思い出したとかいうことを言ったのだろう。一度だけ、こうして作っている最中に来たことがあった。
 この男はもちろん私のシフトを把握して来ているわけではなく、確実にいる時間だけ覚えているのだと思う。そうするとたまたま休みだと驚かれるということが起きる。毎日働いているとでも思っているのか。……始めた時はそうだったけれど。シフト自体月ごとに曜日が変わったり、人事に合わせて増減したりするからフィンクスでなくともたまに来る程度では把握できないだろう。

「腹減った」
「うわ」

 壁から声がかかって肩が揺れた。気配を殺して近づいてきたのではなくたぶん私が集中していたのだろう。集中じゃなくて、ぼーっとしていたと言うべきか。リビングと呼べる空間から台所へは薄いカーテンのようなもので仕切られているし、それが閉まっていなくてもコンロの前に立てば壁のおかげでベッドからは見えない。だから完全に人の存在を忘れていた、のかもしれない。腕を組んで壁に寄りかかっている。思った以上に近い距離に色々な意味で脈が治まらない。……腹減った、じゃないし。

「す、すごいそこにいられると」
「あ?」
「……気になって」
「邪魔してやろうかと」
「やめてよ」
「冗談だっつーの」
「手伝う気ないならベッド。ハウス!」
「馬鹿にしてるってことぐらい俺でも分かんぞてめえ」
「ごめんって」
「大体手伝うったって料理なんざ」
「お皿」
「……しょうがねえな。どこだよ」
「そこ」

 フィンクスはこんな感じで優しいので、私がこんな感じでも怒らない。怒らせるようなことはなるべく言わないようにしているけれど。最近自炊のことでちゃんと生活できているという満足感があり、そこに彼が来たから少し浮かれているんだろう、きっと。
 一人分しか作っていなかったからとりあえずこれはフィンクスにあげるとして、また材料切るの面倒だな。そんなに胃が空いている感じもないし冷凍のピザでいいか。いや、まずこいつはこの量では足りないのでは。テーブルに炒めただけの料理と呼んでいいのか分からないものを置く。ていうか来るの分かってたらもっとちゃんとしたの作ってたのに。全然まったくもってフィンクスは悪くないけど。考えていると彼の方が口を開いた。

「お前の分は?」
「私は冷凍でいいんだけど、これじゃ足りないよね? ピザ食べる?」
「それお前の食糧だろ。これでいい」
「いや、でも」
「先食ってんぞ」
「……分かった。ありがとう」

 あーあ。あーあって感じ。温めている間暇なので椅子に座りテレビをつける。午前十時。
 レンジが止まる前ぺろっと平らげてしまった彼に、なんとなく弄んでいたリモコンを奪い取られる。手癖が悪い、私もこいつも。取った後何も言われなかったから、ただ私が回したり投げてつかんだりするのをとりたかっただけなのだろう。子供かよ。……遊んでいた私が言うことじゃないか。

「なあ」

 食事を始めて何分か経ち、かけられた声。顔を上げても目は合わない。何かとても言いづらいことを言おうとしているのだけは伝わってきたので、とりあえずテレビに目を向けておく。あーとかはあとか何度か言った後にようやく本題を切り出した。

「今度俺の知り合い連れてきていいか」
「……えっ?」
「あーいやお前が駄目ならそれでいいんだ」
「駄目っていうか、知り合いって、いつも話してる人たち?」
「ああ」
「この部屋、あと二人ぐらいだよ」
「一人だ」
「……まあ休みの日ならいいけど、それは一体どういう経緯?」
「怒るなよ?」
「怒らないよ」
「前からお前のことは話してたっつーか、まあばれててよ」
「はあ」
「会わせろって」
「言われたのか」
「そんなとこだ」
「前からばれててなんで今?」
「昨日久しぶりに会ったんだよ。アポとらねえと押しかけるとかなんとか」
「ここを知られてるの?」
「運ぶの手伝わせたからな」

 顎で指示したのはベッド。つまり家具。なんだか整理が追いつかないけれど……。まずその家具を運んでもらった人に私の存在が知られていて、それから会わせろというようなことは言われていたが、誤魔化していたのをたまたま今頃掘り返されたみたいなことなんだろうか。最後の一口を咀嚼する。私も人に会うのは楽しいしここに来ること自体は構わないのだが、やはり彼のコミュニティーのことが気になってしまう。というか、私のことがばれたというのは、なんなんだろう。ばれる。隠しておきたかったということだ。私のこと、はたぶん知り合いの女子の家にたまに遊びに行くとかそんなところだろう。まあ確かにあまり知られたくないことかもしれない。食器をシンクまで持っていき、手だけ洗ってテーブルに戻る。意識してか否かフィンクスはテレビに顔を向けたままだ。とにかく日程だけでも……。

「それはいつになりそう?」
「……いつ休みなんだ?」
「今月は火土休み」
「じゃ適当に連れてくる」
「あ、うん。来月はまだ分かんないけど、この時間はほぼいるから」
「おう」

 最初の口振りからしてあまり私に会わせたくなかったのかもしれない。もしかしてからかわれているのだろうか、その人に。仕事仲間っぽいけど仲がいいんだな。ああ、詮索したくないのに断片的な情報だけ与えられては全体像が気になってしまう。一旦思考に区切りをつけるため煙草の箱を手に取った。