目が眩むような衝動
私は元々他人の顔色をうかがって言いたいことを引っ込めるような人間ではない。昔から頑固だし自分の意見は通したいタイプだった。だがそれと同時に、自分がこう言うと相手はこう返してくるだろうというような予想がほぼ外れないことが分かり、予想での反応が芳しくないために諦めることも多かった。私は私、他人は他人。周りの人間は私を大人しいだとか不思議ちゃんだとかと評していたが、たぶん達観していたのだろう。今では誰かの意見を曲げてまで通したい、はっきりとした自分の意見もない。
はずだった。
「知ってると思うけど、昨日ノブナガが来た」
「ああ。いつまでいた」
「バイト行くまで。なんか送ってくれた」
「そうか」
隣を歩く男はいつも通りの服装にいつも通りの髪型でいつも通り柄が悪い。そこに特に負の感情が浮かんでいないことを確認して視線を前に戻す。昨日はノブナガと歩いた道だ。そりゃこのへんを普通に歩いていたら目撃もされるよなと思う。そういえばトニアに連絡をしていない。てっきり向こうから何かしら来るものだと思って放置していたが今のところそのようなことはない。どうせ薄情だと言われるだけだしこれからも放っておけばいいか、とか。
仕事の後着替えてから来たらしい。別にそんなに気にしなくてもいいのに、やはり相手が一般人だと気になるものだろうか。というか何種類かのジャージしか見たことがないが、まさか仕事もジャージってことはないよな。まあ動きやすさ重視ならいいのか……。
「あのさ」
「あ?」
「ちょっと後で話したいことがある」
「なんだ、改まって」
「宣言しとかないと先延ばしにしちゃいそうだから」
「ああ?」
大事なことを話す機会なんてそうないはずなのに、連日それでは疲れるに決まっている。けれどどうしても言っておきたかった。昨日自覚したばかりの、私の意見。……どうもここ最近緊張することが増えていてよくない。そうして煙草の本数も増える。たぶん、吸殻の山はここを引き払うまで綺麗にならないだろう。
バイト中一つのことで頭がいっぱいになる。そういうことが今まで一度もなかったとは言わないが、そのせいで手元がおろそかになるほどではなかったと思う。あの店長に心配されるとは。自分で思ったより衝撃が大きかったのだろう。一人の人間とずっと一緒にいたいと思う、しかもそれがあれほど嫌っていた「異性」で、たとえば店長なんかに言っても信じてもらえないであろう盗賊とかいう職業についている、年齢も分からないヤンキー。他人に惹かれているということも、その相手がフィンクスであるということも私を動揺させるには充分すぎる事実だった。
そしてその動揺を自分なりに抑えることができないまま、こいつは来てしまった。何をどう伝えればいいのかも、伝えたところで私はどうしたいのかも分からない。とことん融通の利かない思考回路だ。
とりあえず一本吸った後室内に戻り、椅子の上で膝を抱える。背もたれに体重をかけ膝に顔を埋めた。ジーンズの匂いが入ってくる。指を鳴らす音。その癖のことだって言えないのに、あんなことを言えるわけがない。
「で?」
少し顔を上げ彼の方を向くと、目が合いそうになりまた伏せる。それで一体話ってなんだ。どうして宣言してしまったのだろう。これだからバイト終わりにちゃんとした話はしたくないのだ。……別に言うほどちゃんとした話でもないのだけれど。ため息を吐いて私は椅子に座り直した。
「バイトやめることにした」
「あ? バイト?」
「ずっとやめようとは思ってたんだけど、来月いっぱいでやめる」
「食っていけんのかよ」
「まあ次のとこ探すし、それまでは貯金あるから大丈夫」
「そうか」
「それで」
「おう」
「……ごめん。もうちょっと」
「なんだっつーの」
やはり目を見て言えることではない。体ごと窓の方を向き、腕を組む。ああ、また煙草が吸いたくなってきてしまった。でもここで吸いに行ったらそれこそ言えない気がする。子供じゃないんだからいい加減にしろと言いたくなる。背もたれに肘をついて冷えた手を頬に当てた。この人といると初めての経験が多すぎて、いつも思考が固まる。ある程度予想できて退屈でもあったはずの会話さえうまくいかない。足を組み心構えをする。
「フィンクス」
「ああ」
「バイトやめるって言ったでしょ」
「言ったな」
「そうするともっと」
「……もっと?」
「……会う時間増やせるんじゃない?」
視線を感じる。腕が痺れている。背もたれから肘を外し、太ももの間に両手を入れた。手の冷たさがそこに広がっていく。ため息。私のではない。
「お前まさか、それ言うの躊躇ってたのか」
「……」
「つーか別にお前が来ていいってんならもっと来る」
「あの」
「なんだ」
「守る的なこと言ってたよね」
「ああ」
「それって、ずっと一緒にいた方が効率よくない?」
「……ちょっと待て」
彼の足が椅子に当たる。そちらを見ると強い視線につい目を合わせてしまう。何度目かの瞬きでそこからまた窓に目を戻す。いつになく心拍数が上がっている。隠すために服の上からそれを押さえつけ、正常な呼吸をしようと努めるが、意識すればするほど息苦しくなる。手を離す。彼の視線がそらされる。
「つまりお前は何が言いてえんだ」
「なんだろうね」
「おい」
「私もまとめられてないんだよ」
「まとめなくていいから言えよ」
「……突拍子もないこととか口走りそうだから、完全にまとめてから言う」
「めんどくせえ奴だな」
言ってフィンクスは立ち上がった。それに顔を上げるとまた目が合う。何をするのかと見ていたら片手を掴まれ、そのまま立ち上がらされる。駄目だ、これは、思考力を落とされる。思った時にはもう体が包まれていて、警戒せず立ち上がったことを後悔した。文句を言う前に彼が言う。
「あれを一緒に住みたいって解釈しねえ奴はいねえと思うぞ」
「……分かってるのになんで聞いたの?」
「確かめるために決まってんだろ」
「じゃあなんで今抱きしめてんの」
「ガキみてえになるから」
「なってないよ」
「どうだかな」
「……私……」
「なんだよ」
「……あなたと、一緒にいたいって、言ってもいいの?」
言葉にした瞬間何故か涙がにじんできて、目を伏せる。だから駄目だって言ったのに。まさか抱きしめたら子供みたいになると思っているとは思わなかった。そうして思考力も落とされ、まとまらない頭のまま吐き出してしまった言葉。突拍子もないことだ、一緒にいたいだなんて。腕を背中に回すことができない、その間に彼は再びため息を吐いた。
「馬鹿か。さっさと言え」