刹那くて狂しい
結局タイミングを逃し続けて四日後。辞めさせてほしいと言うと当たり前かもしれないがかなりの勢いで止められた。それでも私の意志が固いと分かると再来月にはなんとかすると言ってくれて、人のいい店長がやはり気の毒になった。この人こんなんで大丈夫だろうか、なんて一回り以上下の女に心配されるのもどうかと思うけれど。
勤務を終え帰宅する途中、見覚えのある後ろ姿を発見して駆け寄る。足音に気づいてかその人はこちらを向いてそのまま立ち止まった。
「久しぶり」
「おー」
「仕事終わり?」
「いや、嬢ちゃん家向かってたとこだ」
「タイミングいいね」
嬢ちゃんって。そんなに年が離れているとは思わなかったのだが、たまにフィンクスにも子供扱いされるし、実際この人たちが三十近い可能性もある。……自分が子供っぽいとは思いたくない。ノブナガはあくびをして後頭部をかいた。その横顔に、あんまあいつら上げんなよ、と言われたのを思い出す。マチがいたからいいが、ノブナガは男だろ。じゃあ今このままノブナガを上げてしまったらまずいだろうか。でも私から声をかけておいて断るのも違う気がするしなあ。そもそも暇だったら来てくれって言ったのも私だ。一歩前を歩く背中に声をかける。
「マチいないの?」
「いねえとまずいことでもあるのか」
「まずいっていうか」
「フィンクスになんか言われたか?」
「……まあ、そう」
「かー、めんどくせえ。あいつん家でもねえのによ」
「ごめん」
「大体俺は、……くそ、あの野郎」
「なに?」
「あー……要するにあそこで俺一人とお前さんって状況になるのが気に入らねえわけだろ? あいつは」
「うーん、でもフィンクスを上げてるのも心配だみたいなこと言ってたから、男を簡単に上げるのがっていうことなんじゃない?」
「ほお、そりゃ、面白い」
アパートの手前あたりでノブナガは立ち止まり、ポケットからケータイを出した。この人ケータイ持ってるのかとか、盗賊ってケータイの契約できるのかとか。まあ今の時代ケータイがないと不便だろうけど。しばらくそれを操作し、画面を見つめたまま何か考えるような間を空けた後私を見た。
「おめえも子供じゃあるまいに」
「うん?」
「ちょっと待っててくれ」
「うん」
そう言うと彼は会話が聞こえないであろう距離に行き、電話を始めた。フィンクスとだろうか。……ノブナガを家に上げてそれで何があると思っているのだろう。たぶんそういうことではないのだろうけれど。警戒心はあるのに疎い。納得できなくもないな。
数分話してからこちらに戻ってきたノブナガは大きくため息を吐いた。またあの野郎とかなんとかぶつぶつ言っている。
「フィンクス?」
「ああ。入るぞ家」
「え、ああ……あの人なんて?」
「俺に聞くなだとよ。全くよお……今日のことで気が立ってんのかもしれねえが」
「今日仕事?」
「そうだな」
それ以上答える気はないようでさっさと階段を上っていってしまう彼を追いかける。仕事の前だと気が立ってしまうらしい。……人を殺す、のだろうか。
家に入り、リュックからいつものように煙草を取り出してベランダに出た。朝日に向かって煙を吐き出すと、また一日が終わったのだという思いが降ってくる。朝日。今は炎とは程遠いその色が目に痛い。フィンクスが人を殺している時、光はどのように彼とそれを照らすのだろう、なんて馬鹿みたいなことを思う。一応なかなかできなかった決断をしてそれを話した後だ、疲れているのかもしれない。次のバイトは何にしようか。ふと部屋に視線を移すと、ベッドのふちに腰掛けているノブナガ。横顔にかかる長い黒髪が揺れ、その目が私を映す。何か言おうとする前に向こうが口を開いた。
「気になってたんだが」
「ん?」
「なんであいつといるんだ? もう長いんだろ」
「……なんでだろうね。気づいたら長い付き合いになってたけど……なんであの人がここに顔出してくれるのかも分からないし」
「そりゃあ……よお」
「なに」
「……いや。あいつも大変だなあ」
「大変?」
「俺もよく分かんねえがな。それにあいつはそんなこと思ってねえよ」
「分かってないってこと?」
「馬鹿だからな」
「……そうだね」
すっかり長くなってしまった灰を落とし、最後の一口を吸う。私との付き合いは大変なのだろうか。それにも気づかずここに来ているのならそれは確かに馬鹿だ。吸殻を揉み消して山に放る。これもいつかは片づけないといけないなと思う。
八時すぎか。いつもなら朝食をとってから寝て夕方にシャワーを浴びバイトに行くのだが、なんとなく作るのも億劫だ。テレビをつけようとリモコンに手を伸ばしたところで向こうから声がかかった。
「お前、テレビはよく見るか?」
「うーん、まあ暇な時につける程度だけど。なんで?」
「なんでってこともねえけどよ。あんま見てもいいことねえだろ」
「……いいことがあるから見るってわけじゃないけど……それは見るなってこと?」
「端的に言やあそういうことだな」
「まあ、分かった」
「俺が言ったってあいつには言うなよ」
「……なんで?」
「あいつに同じこと言われたからだ」
とにかくリモコンをテーブルに戻し、椅子に座る。ようやく落ち着くことができてため息を漏らした。同じこととは、私にテレビを見ないように言ったのがフィンクスだと言うなということか? それだけ私にテレビを見せたくなかったのだろうか。ということは何かニュースになるような仕事……。
「心配か?」
「え? ああ……あの人すごい強いみたいだけど、私そういうのよく分からないし、まあ心配ではあるよ」
「ほお」
「……どっちかって言うと私があの人をほっとけない、なのに」
「あれをほっとけねえと思うんだな」
「うん……あの、これは言わないでほしいんだけど」
「なんだ?」
「……あの人いつか私の気づかないところで死んじゃいそうっていうか、消えそうで不安なんだよね。まあ職業柄、って言っていいのか分からないけど、盗賊なんてことしてるんだからどこかで死ぬかもしれないのは仕方ないと思って……でも消えそうなのはどうしたらいいのか……」
言い始めたらぽろぽろと言葉が出てきて戸惑う。ノブナガに言ったって仕方のないことだと分かっていても、たぶんずっと誰かに言いたかったのだろう。あの人がいつか消えるかもしれないという不安。それを止める力は私にはないという諦めと、それでも消えてほしくないという思いが交互に襲う。きっとこうなることが分かっていたから、深入りしないように制限していたのだ。たまにここに来てくれる事実さえあれば充分だと思うように。
ノブナガが私から視線を外す。右手側に持っていた武器を足の間に移動させ、猫背を一度伸ばした。それを目で追っているとまた視線がこちらを向く。
「フィンクスに言ってやりゃいいのに」
「……ただでさえ迷惑かけてるのに、そんなこと」
「だー、おめえなあ。俺だったら思ってんのに言わない方が迷惑だぞ」
「そうなの?」
「当たり前だろ。心配事があるならなんとかしてやりてえと思うはずだ、あいつなんか特に」
「……なんでそこまで……」
「あの馬鹿とよーく話し合うんだな」
心配事。こんなどうしようもないことを話して、それでなんとかなるのだろうか。またあの人にいらない重荷を背負わせるだけなのではないか。けれど心のどこかで、彼ならなんとかしてくれるのではないかと思う自分がいる。
「さっきのつまり、一緒にいてえってことか?」
ノブナガの言葉に顔を上げる。目が合う。……一緒にいたい?
「消えちまわねえように捕まえときたいか」
「……捕まえときたい……」
「はー、めんどくせえなあ。迷惑とか考えずに言えねえもんなのか」
そうか、私は彼と一緒にいたいのか。……もしかして私はずっとそう思っていたのだろうか。彼と一緒にいたいと、捕まえたいと、そんなひどい思いを彼に向けていたなんて。