きみの指先に宿る魔法

 煙草を吸うと不覚にも涙を出しそうになってしまった。いつの間にか太陽は白く輝き頭上から熱を振りまいている。水色の先に吐き出した煙が吸い込まれていく。柵に体重をかけそこに乗せた腕に顔を押し付けた。あんな場にいたのはいつぶりだろう。親と話している時の方がマシだった気さえする。自分以外の人間の被害を一番に考えなければならないのはこんなにも疲れることだったのか。あまり長く顔を伏せて、部屋の彼から心配されては困るのですぐに顔を上げる。錆が手のひらに付着するのも気にならなかった。
 もし彼が、私が死ぬようなことを起こさせないと本気で言っているのだとして。私が戦闘能力のない一般人である前提は崩れないものとすると、それは彼にだけストレスが増えているということになる。こんなところに来てはいけない。私のような人間を視界に入れるべきではなかったのだ。フィンクスだけではない、マチやノブナガも。

 室内に戻りテレビをつける。手の汚れがひどかったので洗いに行き、それから椅子に座る。視線を感じる。付き合いの長い方を優先するのは人として当然だ。でも私が彼を優先するのなら、今朝の出来事を話さず今後関わりを持たないようにするべきなのではないのか。考えているとテーブルが音を立て、思わずそちらを見る。

。お前何があった」

 彼が立ち上がってテーブルに手をついている。そんなに分かりやすく何かあった顔をしているつもりはなかったのだが、まあなんとなく分かるのかもしれない。帰ってくるのも遅かったし。

「そんな面しといて何もなかったとは言わせねえぞ」
「……何もなかったことはないよ」
「俺見て安心するぐらいだ。関係あることなんだろ」
「それは……まあ、そうなんじゃない」
「仕事終わった後どこ行ってた」
「……あのさ、ほんとに話さなきゃ駄目なの?」
「そりゃどういう意味だ」
「やっぱり、私みたいな一般人のところに顔出すべきじゃなかったんだよ」
「何があったか話せっつってんだ!」

 初めて聞くような大声。さすがにびっくりして彼を見る。強い視線に、耐えきれなくて、目をそらす。ずっと続けてきたこの穏やかな日々が終わってしまうのが怖い、しかし終わらせなくてはならない、不本意でも彼のためには終わらせるべきなのだと思っているからこそ。彼はため息を吐いて向かいに座った。いつもよりいくらか乱暴な動き。苛立っているのだ。我慢していた涙が段々たまっていく。顔を背け、平常と変わりなく呼吸する。ここで泣くなんてそんな、卑怯な。けれど唇の内側を噛んでも止まってくれない。それどころか隠せなくなるくらいにあふれ、仕方なくパーカーのすそで拭った。
 椅子を押し、立ち上がる音。顔を向けたくなくて何をしているのか確認しないでいたら、涙を押さえていない方の手をとられ、つい顔を上げる。そのまま椅子に座る私の前にしゃがみ、見ていると彼は罰の悪そうな顔で私から目をそらした。握られた手。その温もりにまた涙の量が増える。足の先が彼に当たる。呟くように彼は言う。

「余計なこと考えすぎなんだよ、お前は」
「……」
「どうにかしてやっから話せ」
「……どうにかって」
「どうにかはどうにかだ。お前が話さなきゃどうしようもねえだろうが」
「だって」
「ああ?」
「だって……でも、話すなって言われて」
「誰にだよ」
「……私があなたたちと関わってることを漏らさない代わりに今回のことを漏らすなって」
「……要するに脅されたわけか?」
「ち、違う。友達の親だったから見逃されて」
「そいつら立てるためだけに泣いてんのかてめえ」
「それは、……」
「他にもなんかあったんじゃねえのかよ」
「……今朝のは、バイト終わりに友達に声かけられて、その子がマフィアで、あなたたちの情報提供を求められただけ。このあたりで目撃されたからって。別に私とかこの部屋を特定してたわけじゃないらしいんだけど」
「それで」
「たぶん意識してなかったけどストレスすごくて、フィンクス見たら安心して涙出ちゃったんだよ」
「あーったく……なんでそういう変な嘘吐くんだよ。嘘っつーか……俺には分からねえと思ってんのか」

 舐められたもんだとぼやく彼の、手の力が少し強くなる。嘘ではない。そのせいで泣いていたというのももちろんあるのだ。だからこれを嘘だと言うフィンクスがおかしいのであって私はおかしくなくて、弁明する必要はない。でも、ここに来ない方がいいということは言わなければならない。そちらに顔を向けると目が合った。知らず肩に力が入る。真っ直ぐな視線に気圧されそうになる。

「嘘じゃないよ」
「それ以外にもあんだろっつってんだよ」
「ここには来ない方がいい」
「……そりゃ、お前の意志か?」
「……そうだよ」
「俺やあいつらが来ない方がいいって? 本気で思ってんのか」
「そ」

 そんなわけない。そんなわけないって言えたらいいのに、私は顔を背けて涙を流すことしかできない。情けないことに
 握られていた手を引き抜こうとしたら逆に引っ張られ、仕方なくそれに従って椅子を降りる。目が合った。床に膝をつき、俯くと背中に腕が回される。そのまま彼に倒れこむようにして抱きしめられた。肩口に顔が当たる。服が濡れる、体を離そうとしても腕の力が強くて逃げられない。

「フィンクス」
「うるせえ」
「何も言ってない」
「文句あんのか」
「あるけど」
「ガキは黙って泣いてろ」
「……もう」

 言葉と裏腹に腕は痛いほど強いわけじゃないし、ぎこちなさそうに背中をなでている。どうして。どうして……。その温度に、思考力も何も落ちていく。鼓動と熱と、いつもより近くで聞こえる声、この間知ったばかりの、匂い、それら全て私を落としていく。どこにたどり着くのかは分からないのに、恐怖はない。