融かされていく、溶けていく
「こないだ大丈夫だった?」
「こないだ?」
「酔っ払って道に捨てられたって聞いたけど」
「……記憶にねえな。マチか?」
「マチとノブナガが来て」
「ノブナガ? なんだってあいつまで」
「フィンクスが私のことを話して」
「ああ?!」
「……で、マチがフィンクスを捨ててノブナガだけ連れてきたって」
思いっきりやってしまったという風にため息を吐き彼は腕を組んだ。考えるような間の後いつものようにベッドに座り、再びため息。来てすぐ話すようなことでもなかったかと思ったが、別にいつ話してもこの反応だっただろう。言ったということが記憶にないなら何を言ったかももちろん覚えていないはず。ここで飲んでいた時はそんな無茶な飲み方をしているようには見えなかったし、実際のところどうだったかは分からないが記憶もなくしていなかったと思う。たぶん分かりやすい酔い方をする人だ。……家に帰った記憶もないんだな。ある意味尊敬する。
「俺が何言ったか聞いたか?」
「聞いてないよ」
そう言うと組んでいた腕を解き、彼は私を見る。癖なのか指を鳴らしている。威嚇されているように錯覚することもあるからやめてほしい、と言えた試しがない。咄嗟に嘘を吐いたことを責められているようにも感じる。数秒目を合わせ、いつもならどちらかからそらすのにその状態が続き、さすがに焦る。小さく息を吐きながら目をそらされたので、ばれたのだと分かった。
「嘘吐くな」
「……なんで分かったの?」
「あいつらがお前に言わないわけがねえ」
「信用あるね」
「で?」
「聞いたけど覚えてない」
「いい加減にしろ」
「自分の発言を覚えてない方が悪い」
「やっぱ覚えてんじゃねえか!」
「聞いたところでどうしようもないでしょ。忘れてなよ」
「ったくてめえは、こういう時だけ頑固だな。いいから話せ」
どうしていきなり喧嘩みたいになってしまったんだろう。拗ねた子供のように今度は私がため息を漏らし、立ちっぱなしだったのを椅子に座る。視線を受けたくない今は彼の隣に座るべきだったかもしれない。こんなことなら言わなければよかった。でも誰だってあんなことを言われたら心配するに決まっている、ここに来た時点で大丈夫だったと分かっていたとしても。そこまで考えが至ってしまうと思わなかった浅慮が原因だ。まあ、あの話し方をしたらそうなるか。嘘を吐き慣れていないといざという時に困る。
「マチが言ったのか」
「ん?」
「俺の言ったことっての」
「いや、ノブナガ」
「なるほどな。それで?」
「なるほどって……まあいいけど、聞いて後悔しても知らないよ」
「後悔ぐらいもうしてるっつーの」
「……ほっとけねえって言ってたぞ、って」
「……」
「だから言ったじゃん」
「……そりゃ……大変だな」
「うん」
ここまで困るフィンクスを見れたからこれでよかったのかもしれない。困るというか焦るというか、とにかくいつも以上にため息は多いし完全に頭を抱えてしまっている。つまりあれは酔っ払って思考力を落としている時に、よりによって知られたくなかったであろう二人に漏らしてしまったというのが大きいのだ。それだけ本音に近いということ。だから私より彼にダメージがあるのは当然と言えば当然。
うなだれる頭を眺めていたら彼が唐突に顔を上げ、避けることもできずその視線を受け止める。強い目に圧倒されそうになり、でもすぐに彼の方からそらしてしまった。
「子供扱いしないでよ」
「ガキだろうが」
「私よりフィンクスの方がほっとけない感じあるじゃん」
「……俺のどこがほっとけねえって?」
「じゃあ私のどこがほっとけないの?」
「色々あるだろ、それは」
「なにそれ」
「つーかあんまここにあいつら上げんなよ」
「なんで?」
「そういうのが心配だっつってんだよ」
「心配? あの二人知り合いでしょ」
「あのな、マチがいたからいいがノブナガは男だろ? そりゃ心配ぐれえする」
「私より知っててそれ言うの?」
「あいつがどうとかじゃねえ。俺を上げてんのだって言っちまえば心配だし、警戒心はあるのに疎いから心配なんだよ」
「……それがほっとけないってこと?」
「まあな」
警戒心はあるのに疎い、それはどういうことだろう。接触に関するあれのせいで男という存在に対して警戒してはいるが肝心の相手の感情などには気づけないということだろうか。そこまで馬鹿じゃない気がするけど。というか言いそびれたが、帰ってきたらいただけで別に私が彼らを上げたわけではない。でも言ったら二人に飛び火しそうだ。
彼が腕をこちらに伸ばす。急に差し出されたそれに戸惑い、彼を見てもまっすぐに見つめられ、結局目を合わせていられない。あれ以来の接触になる。手のひらをたぶん一瞬だけ見つめ私は手を伸ばした。距離がそんなにあったわけでもない、すぐに私の手はそこに乗り、握られる。ほっとするのと同時に襲ってくるのは認識したことのない感情。考えを振り払うように彼の目を見る。……この人、まだ困っているのだろうか。彼が何か言う前に口を開く。
「フィンクス」
「なんだよ」
「こういうことノブナガとかとしてほしくない?」
「当たり前だろ」
「なのにしそうだから心配ってこと?」
「……できるだけ可能性は排除してえんだよ」
「私が他の人とこうする可能性があると思ってるの」
「ないって言いきれんのかよ」
「ないよ。意味ないし」
「意味?」
「……いや、意味っていうか。でもそう」
「ああ?」
意味ないってなんだ。口をついて出た言葉に自分で困惑してしまった。意味があるからこうしていた、それはそうだ、トラウマと呼べるであろうあれを忘れるために慣れるべきだと思っての行動なのだから。それだけなら本来他の人間であっても大丈夫なはず。今まで他に男の知り合いがいなかったから考えたこともなかったが、それ以上にこの人でなくては駄目だと思っていたから今の言葉が出てきたんじゃないのか?
考え込んでいると繋がれた手が軽く引っ張られ再び彼を見る。
「したいからしてんのか? それともただのリハビリか?」
「……え?」
「言わねえつもりでいたけど、確認させろ。俺はどういうつもりでこのリハビリに付き合ってやったらいい」
「それは……ど、……どっちなのかな」
「他のやつとはしたくねえんだな?」
「うん」
「なら俺としてえんだって認識するぜ」
「たぶんそれで間違ってないよ」
「これ以上はまだ無理だろ?」
「これ以上って……ハグとか?」
「ああ」
「さあ。やってみる?」
「……」
「うん」
「お前それでほっといていいと思われると思ってんなら問題だぞ」
「フィンクスにしか言わないよ」
「……はー……」
何度目かも分からない大きなため息の後、手を離される。それに疑問を覚える前に彼はベッドから立ち上がり、両手を広げた。……やってみる、なんて冗談だ。今さらだけど。なんでそんな冗談を言ったのかも分からない。そんな言い訳を並べないといけない程度に混乱しているみたいだ。怖くない、はずだ。あれは後ろからで、これは正面からで、この人はフィンクスだから。きっと待っている方からしたら退屈だっただろう間を空けてようやく私は立ち上がることができる。こうして意識すると彼は背が高いし、ガタイがいい。でも何故か恐怖はない。
いざそうしようと思ってみてから大変なことに気がついた。したことがないからここからどうやればいいのか分からないのだ。いや、ただ抱きつけばいいのだろうが、なんだかそんな簡単にいくことでもないのでは。彼は片手を腰に当てた。だから、もう片方の手を、つかむ。驚いた気配を感じ取る。そこからまた動けなくなる。
「おい、無理にやる必要ねえからな」
「そうじゃないんだけどあの、これどうすればいいのか分かんない」
「どうすればいいのか?」
「だ、抱きついたことないから」
「……怖かったら突き飛ばすなりしろよ」
「ん」
私が彼の手を離すと背中に腕が回され、そのまま抱き寄せられた。強くない、痛くもない、包み込まれるような。固まっていた体から徐々に力を抜いていく。なるほど。なるほどな。今までの不整脈が理解できた。怖くないのにどうしてどきどきするんだろうと思ったが、これは慣れていなくて恥ずかしいのだ。私が抵抗しないことでもう片方の腕も回される。背中に彼の体温が広がっていく。知らない人の匂いがする。これがフィンクスの匂いか。自分の両手を上げ、彼の背中に添える。ああ駄目だ。よくない。思考力の落ちる行為だ、こんなのは。耳元で彼の心臓が動いている。安心する。どうして怖くないのだろう。ジャージを握りしめる。……ほっとけない? こんなのを、ほっとけないって言うの?