月夜のあなた

 約束の金額が振り込まれているのをケータイで確認し、それから壁の時計に目を移す。そろそろだろうか。規則正しく動く秒針がちょうど頂点を指した時、ドアが蹴破られ、怒声が響いた。顔をそちらに向けると、銃を構える男のうち一人と目が合った。

「どなた?」
「ボスをやったのはてめえか?!」
「ええ。そういう依頼でしたので」
「ぶっ殺す!」

 男が引き金を引く。しかしその弾が私に届くことはない。その後も私に向けて発砲されたものはその目的を果たせずに宙に浮いている。十二発分の銃声だけが虚しく響き、火薬の臭いが鼻につく。男たちは分かりやすく動揺した表情を見せて、やはりただの一般人だと分かる。多少屈強なだけの一般人。

「質問には答えなくてはいけませんよ。私実はそういうことにうるさいんです」
「な、なんで弾が」
「それでは、お返しします」



 ビルを出るとよく晴れた夜空に月が浮かんでいた。いつも以上に簡単な仕事だったなと小さくため息を吐く。こういうものばかり選ぶのはやめてほしい。少し離れたところに停まっていた車が私の前の道に寄せられ、運転席から降りてきた男が後部座席のドアを開けた。そこに乗り込んで車臭さに一瞬眉をひそめる。

「しばらく仕事はありませんでしたね」
「はい、お嬢様」
「どうしましょう。私ももう少し活動の幅を広げるべきでしょうか」

 男は私の言葉が独り言だと分かっているので、黙ってシートベルトを締める。特別悩んでいるわけでもなかったが、まあこのペースだとそのうち生活できなくなってしまうのではないかとは思う。困ったものだ。

「お嬢様」
「なんでしょう」
「シートベルトを」
「ああ、そうでしたね」

 過保護で心配性な男である。そして変に神経質。発進した車は静かに夜道を走る。私は窓から外を見る。もう夜も遅いせいかほとんど人通りがなく、ただ光ばかりが通り過ぎていく。胃が妙だ、と思ってから、そういえば夕飯を食べたのはいつだったかと思い当たる。

「今日のおやつはなんですか」
「アップルパイでございます」
「あら、作れるようになったんですか?」
「味は保障いたします」
「楽しみです」
「ああお嬢様」
「なんでしょう」
「お召し物は」
「無事ですよ」
「それはようございました」
「テンションが上がらなければ、大体無事です」
「無茶だけはされないように」
「無茶とは、なんですか?」
「テンションが上がることでございます」
「難しいお願いですね。そうならないような仕事選びは牙を抜くことになりかねませんよ」
「返す言葉もございません」
「相当根に持っていますね」
「とんでもない」
「相当根に持っていますね」
「多少は、致し方のないことでございます」

 一度返り血で服を駄目にしたくらいでそう何度も注意しなくてもいいだろうと思う。ただあれは血液で元の柄や色が分からない程であったし仕方ない、そう、致し方のないこと、なのだけれど。
 そのうち、車の速度が落ちる。
 わくわくすること。テンションの上がること。無茶か。車庫から出てきた男が私の前を歩く。伸びた背筋と広めの肩幅、スーツの襟と髪の毛の間から見える首、それから……指の関節。
 エントランスは閑散としている。靴底が擦れる音がかすかに響いた。二階へと続く大階段は暗く、気を抜けば足を踏み外してしまいそうだ。階段を上がってすぐ、私の部屋の前に着くと、男は鍵を開けながら言った。

「すぐにお持ちしてよろしいですか?」
「ええ、お願いします」
「かしこまりました」

 男が廊下を歩いていく。少ししてようやく廊下の照明がつき、私はドアノブに手をかける。

「ああ、そうでした。アレク!」

 家に入った時から分かっていたことではあったが、部屋に来るまでにすっかり忘れていた。ドアが開く前に男を呼べば、はい、という声と、こちらに駆ける音が聞こえてくる。数秒で私の前まで戻ってきた彼は息を整える間もなく用件を聞いてきた。健気なことだ。

「アップルパイは、二人分お願いします」
「か、しこまりました。一つアイス多めで、よろしいでしょうか」
「ええ」
「ただいまご用意いたします」

 今来た道を小走りに戻っていく背中を見送ってからドアを開ける。重い音を切り裂くように何かが私目がけて飛んでくるので指で受け止めれば、トランプのジョーカーだった。

「やあ。久しぶり、