かなしみばかりの檻

 きらきらしたものが好き。ピンクも好き。あたしは瞬きをする。飛んじゃいそうになる。すっかり口紅の落ちた唇は誰かの体液まみれだ。最悪。でも笑って、目の前が弾ける。びくりと全身が震えて大きく笑い声を上げた。

 なーんて全部夢です。そう、あたしは夢の国から逃げてきたのだって思い出す。私のためのものじゃない目覚ましを現実に生きる男が止めて、男のため息が聞こえた。でもきらきらしたものは好きだ。ありがとう……。
 コーヒーのにおい。あの男の朝は静かで私の居場所がない。夜更かしばかりして朝寝坊をする私を責めないのは、起きたって仕方がないからだ。ベッドが軋む。たぶんスマホで何か見ているんだろう。歯にピアスをぶつけるとかちと音がする。タオルケットを抱きしめたまま反対側に転がって、左京の背中に頭をぶつけた。

「お兄!」
「起きたなら飯を食え」

 そういつもの硬い声で言う。それだけ? 聞き返さなくてもそれ以外言うことがないのは分かる。でも不満だったので、足をベッドの上でばたつかせた。

「うるせえ、朝から暴れるな」
「だあってえ」
「それよりお前、また変な夢見たんじゃねえだろうな」
「よーく分かったね」
「寝言がうるせえんだよ」
「んにゃ! ハッピーできらきらなウルトラピンキードリームなの」
「意味分かんねえこと言ってねえで、さっさと起きろ」

 ようやく腫れが引いたホールの周りを口内にこするようにする。体を起こして左京の目を見ると不可解そうに眉をひそめた。

「安定したのか」
「んあ?」
「舌、痛い痛い騒いでただろ」
「痛い! でも腫れは引いた」
「そうか」
「んんにゃ」

 会話しながら左京は立ち上がり、クローゼットを開けた。毎日朝早くに家を出て、それで一体何をしているのだろう。私には聞く権利がない。朝ごはんは一人になってから食べればいいなと思ってから、薬を飲まなければいけないことに気づいて憂鬱になる。昨日はどうして飲めたんだっけ。そうだ、家を出る前に起こしてくれたんだった。もうほとんど咳も出ないし飲まなくていいんじゃないかなあと言ったって、この男が許可するはずがない。
 戦争のニュースを眺めながらパンを咀嚼していると、髪を整えた左京が戻ってくる。どうしてこっちの世界にいるのか不思議に思ってしまうほどきれいな顔だった。眉間の皺さえ消えれば、それから服のセンスさえ一般人ならこの人は「戻れる」。半身を失ったトーストを置き、椅子の上で膝を抱える。男はじゃらじゃらと音を立てる腕時計をして、鞄に財布やシガーケースを入れた。


「にゃ」
「今日は遅くなるかもしれねえ」
「えー! やだ!」
「うるせえ。晩飯代は迫田に渡す」
「ケンちゃん!」
「あいつが帰ったら早めに寝ろよ」
「む……にゃー」
「ああ?」
「にゃーんでもお」

 無理だということは百も承知だろう。ざわざわと動悸が激しくなるのを感じる。かち。かち。目の前にあるトーストに塗ってあったマーガリンの味。邪魔だな、ピアス。どうして舌に二つも開けたんだろう。音が止む。はっと顔を上げて、椅子を飛び降りると左京が一瞬驚いたように目を見開いた。

「どうした」
「いってらっしゃいのちゅう」
「は?」
「するんだよお、奥さんだから」
「誰が誰の何だって?」
「あたしがあ、お兄のお」
「言わんでいい! 全く……」

 屈んだ男の顔に手を伸ばし、眼鏡を外すと、男は鬱陶しそうに顔をしかめた。笑いながら首に腕を回して、薄い唇にキスをする。受け入れてくれなくたってよかったのに。やだよ。やだよね? だからあたしを連れ出したんだよね? 離れると不機嫌そうにあたしの頭をくしゃくしゃにして、左京は眼鏡をかけ直す。だってほんとうはしちゃいけないのに、あたし離れられないみたいだ。

「じゃあ行ってくる」
「いってらっしゃい、あなた」
「余計なことを言うな」

 フローリングの冷たさが足から温度を奪っていく。毎日少しずつ私のふつうが失われていくように。がちゃりと鍵が閉められる音がして私は一人になった。
 あたしはあのひとに飼われている。