ラブミーベイベー
「まず、彼とはいつから浮気していたんですか?」
「ずっと友達だったのは本当です。そういう感じになったのはここ一か月とか……私も自覚なかったし、向こうが二週間ぐらい前に色々言ってきて……」
「……なるほど」
「考えないようにしてただけで好きだったんだろうなって思ったのは昨日で……でもウイングさんがいるからあいつとはどうこうなりたくない、から、話さなきゃって思って」
「昨日話すと言っていたのはこのことだったと」
「そうです」
「……」
「あと、……」
「何?」
「……セフレがいて。いやもう関係は切ったんですけど。それに言われたことで腹が立ってて昨日、一昨日? に、あいつに連絡しちゃって……セフレにひどいこと言われたからってウイングさんに慰めてもらうわけにはいかないじゃないですか」
「それはいつから?」
「二年ぐらい前かな……」
「……どうして?」
「言ってもいいですか」
「言ってください」
「……処女がめんどくさがられるって聞いたから、ウイングさんにそんな手間かけさせられないなって思って、知り合いに頼んだのがきっかけだったんですけど、それから練習しとかなきゃなっていうのもあって続けてて、そしたら、逆にウイングさんにこんな体触らせるの、……汚いから……それで……ウイングさんがいない時とか、寂しい時に会ったりしてたらやめどきがわかんなくなっちゃって……」
彼が完全に黙る。私も黙る。涙をこぼす。止まってくれてたのに。今ここで泣くなんて、卑怯な女だ。努めて冷静に話していれば、案外他人事のように話せてしまうものだ。それが彼への感情を絡めると途端に涙腺がおかしくなる。やらなきゃよかった、何もかも。ただの馬鹿だ。今さら後悔したってもう遅い。離れたくない。あんな男のために離婚だなんて冗談じゃない。許されないことだとは分かっている。それでもあなたには、あなたにだけは……。自分の手が震えているのが分かる。怖い。この人と一緒にいられなくなる未来が見えてしまう。
背もたれに体を預け、何か考え込むような表情のままテーブルの一点を見つめていたウイングさんが、ため息と共に肘をつく。それから手を組み、離し、急に立ち上がった。
「立って」
「は、はい」
立ち上がると、腕をつかまれる。これ、殴られるやつだ。そう思った次の瞬間には、鋭い痛みが頬に走っていた。
平手打ちなんていつぶりだろう。この人にここまでさせてしまったことに情けなくなる。服の袖で目元を押さえるとじわりと染みが広がる。
「ごめんなさい……」
「大体のことは把握しました。これから、」
「り、離婚したくない!」
「……」
「ほんとに、全部やめる」
つい勢いでそう叫び、顔を上げると、怒りよりも呆れが先に立っているようだった。もう怒っていないのだろうか。でもそれはやっぱり諦められたからなのではないか。沈黙の間に憶測が飛び交う。
すると再びのため息。
「君は本当に困った子だな」
「え……」
「人の話は最後まで聞きなさい」
「ご、ごめんなさい」
「これからあの彼とはどうするつもりか聞きたかっただけですよ」
「絶対会わない!」
「分かりました、もう。私は初めから離婚するつもりはありません。君がしたいかと」
「そ、そんなわけないじゃないですか」
「君が少々一般からずれていることを思い出しました」
「ていうか、……許してくれるんですか?」
「……目を離した私が悪かったんでしょう? もちろん君にも非はありますよ。でも遊び歩いているのを知っていて咎めなかったのは私の責任だ。男だとは思っていなかったから、君みたいにまだ若い子の行動をあまり強制するのもかわいそうで。けれど夫なのだからそれくらいはするべきでした」
「そんな……」
ウイングさんが責任を感じることじゃない、全て私が悪い。でもそこまで私のことを考えてくれて、怒ってくれたことが、嬉しくて仕方がないのだ。たぶん、夜遊びのことも、止めてもらえるかどうか試していたのだろう。きっとこれから先はそういうことをできなくなる。けれどその代わりに、ウイングさんと過ごす時間が増える。
それにしても、イヤリングのことがなければこの人は全く私の浮気に気づけなかったみたいだ。普段は頭がキレるのに、恋愛ごとに疎すぎる。
「君はどれだけ私のことをみくびっているんですか」
「みくびってるって」
「処女だからってめんどくさがるような男だと言ったね」
「いやそれはそういうことじゃなくて」
「さすがに頭に来ました」
「申し訳ありませんでした」
さすがにというかずっと頭に来ていたのでは……。怒りを抑えたような表情から、いつもの顔に戻るのを見て、笑みが漏れる。とにかく、なんとか落ち着いたようで安心した。涙も止まった。それと入れ替わるように頭と頬の痛みがはっきりしてくる。手加減したんだろうがめちゃくちゃ痛い。触ってみると熱かった。ウイングさんが私の手の上からそこに触れる。知らず知らず肩に力が入る。目が見れなくて、いつもみたいに私はうつむく。その顔の動きに合わせて彼の手が離れた。どうしてこれだけのことで心は熱を持つのだろう。息を吐く前に今度は頭を撫でられて、また小さく肩がはねる。……別の熱が、別の涙を出そうとする。
「殴ってすみませんでした」
「……これぐらいしてくれないと、師範は」
「湿布ってどこでしたっけ」
「ええ、いいですよ別に」
「よくないです。弟子ではなくなった女性に手を上げてしまったんだから」
「これたぶんすぐ引きますよ」
「貼ってください」
「もう」
「……引っ越しますか」
「え?」
「このあたりにはいない方がいい。それと、ケータイを」
「あ、はい」
「明日新しいものを買いに行きましょう」
「分かりました」
なんだか久しぶりにちゃんとした会話をした気がする。ああ、これが彼との生活だった。これでようやく全てにけりをつけることができる。たぶん新しい家では寝室が一緒になるんだろう。またベランダの広いところがいい。じわじわと、今までのことが現実なのだという実感がわいてくる。シャルナークのこととヒソカのこと。悩みすぎた日々。許してもらえたことへのというよりも、やっぱり私はここに戻ってこなければならなかったのだろうことへの安心感。この人は私を捨てたりしないんだ。こんな人他にはいない。よかった。ウイングさんに出会えて、本当によかった。
……ウイングさんとの「結婚生活」は、これから始まるのかもしれない。