箱庭が香るとして
母が花冠を作ってくれたことを、今でも覚えている。母の白く細い指が茎を編んでいくさま。編み物が好きなひとだった。たぶん、か弱い女性だった。でも、だからこそ、父と同じ道を行こうとする私に優しく微笑んでくれたのだろう。
きらきらとひかる太陽が、美化されたものでないといいと、思う。
◇
まぶたに感じる淡い光。隣室の窓が開く音と、小鳥のさえずりが私を目覚めさせる。
騎士団の女性寮、一階の角部屋に私は住んでいる。階級が上がる際上等な部屋に移ることを提案されたが、ふさわしい功績を上げたとも思えず断ってしまった。狭い上に窓はがたつくけれど、いい部屋だ。
しばらく天井を見つめた後、起き上がって窓を開ける。隣を見ると、隣人──アリアがいつものように小鳥に餌をやっていた。快活な彼女は私に気づき、笑顔を見せる。
「おはよーございます」
「おはよう」
「今日昇級試験なんすよ」
「ああ」
挨拶をするだけの日も多いが、今日はそうではないらしい。桟に腰をつけ、あたたかい日差しを浴びる。アリアの手元で鳴く小鳥は細かく首を傾げている。促すと彼女は考える間を空け、やがて自嘲気味な笑いを漏らした。
「隊長に弱音は意味ないっすね」
「聞くよ」
「意味の話をしてるんだって」
「口に出すと楽になるだろ」
「へー。そういうことあるんだ」
「そりゃあるよ……残念ながら、聞いてもらえないことの方が多いけど」
「団長ですか」
「そう」
昇級試験に関しては、すんなりとクリアした記憶がある。それでも、なんだかんだと目をつけられることの多い私は、未だに悩みが尽きない。周りの評価以外にも、覆せない身長差や体質による筋肉量の少なさ、それから単純に剣技の上達具合。話す相手は決まって父だったが、自分にも他人にも厳しいあの人から優しい言葉をもらうことはほとんどない。
私は父に似たらしく、父も体格には恵まれていない。どちらかというと指揮能力の高さを買われたようだが、そうは言っても昇級試験ごときで立ち止まるとは到底思えなかった。血の滲むような努力をしてきたのだろう。四十を過ぎてなお衰えない彼の実力は、手合わせをしてきた私もよく分かっている。
「あ」
羽音と共にアリアが声を上げる。そちらに目をやると羽ばたいていく小鳥たちの姿があった。ため息を吐いて餌の入った小さな籠を手に取り、一度部屋に引っ込んだ彼女は、またひょこっと頭を覗かせた。
「まだ聞いてくれます?」
「君が急ぎでないなら」
「へへ。あのさ、あたしデカいでしょ」
「ああ」
「隊長と比べられちゃって」
「女がどうのと言われるのか」
「あ、それ自体が嫌ってんじゃないすよ。なんつか、デカいっつってもほら、カリバーン様とかよりはちっちゃいじゃないすか」
「だからなんだ?」
「それならそれなりの戦い方があるんすよね」
「それができないのが悔しいと」
「そー!」
隊長と呼んではくるが、アリアは私の隊に所属しているわけではないので、実力のほどは分からない。比較的新しい団員であるために目につきやすいだけで。
この国には女騎士も少なからず存在する。多くは騎士の家系の出であり、現在半数以上は男兵と変わらない訓練を受け、当然、討伐任務にも当たる。ただし、差別とする者もいるがどうしても男よりは非力であり、功績を上げづらいため、幹部職はおろか率いる立場になるのも非常に難しい。王子たちと変わらぬ力を持ち、隊を任される女騎士など稀も稀、歴史に名を連ねられるほどのことらしい。
そういった事情から、私のように体格にも恵まれていない女が上に行くと必然的に比較の対象にされる。繰り返されてきたことであるため、この類の愚痴は聞いてやらねばならない。
考えながら、窓際のテーブルに置いてある本を撫でる。時計を見るとそろそろ準備を始めなくてはいけない時間だった。
「隊長?」
「ああ……まあ、悔しいなら大丈夫だろ」
「えー、適当だなあ」
「君はまだ若いし、どうとでもなるさ。今日試験に落ちてもな」
「落ちませんってえ」
「落ちるとは思ってないけど」
「えへ。ありがとーございます」
「手合わせならいくらでも受けるよ」
「え! お願いします!」
「ふふ。とりあえず、全力で挑んできな」
「はーい」
「私も後で顔を出すよ」
「待ってまあす」
明るい表情で部屋に戻っていったのを見て、私も窓から体を離す。歩きながら大きく伸びをし、着替えるためにクローゼットを開けた。
午前の訓練を終え、昼休憩の号令を出す。昇級試験はどうなっただろう。アリアのようにまだ肩書きのない兵士たちの試験は、人数と見るべき項目の多さから、例年は夕方までかかる。今年は人数が少ないとはいえ、さすがに終わっているとは思えない。どちらにしろこの時間は休憩のはずだ、と歩きながら水筒の蓋を閉める。
「王子が帰還したぞ!」
そのとき、兵士の一人が叫んだ。朝、討伐が無事完了したと報告を受けてはいたが、微かに聞こえる蹄の音に改めて安堵する。
「~」
歩みを止めたところ、がっと肩を組まれ、思わず眉間にしわを寄せた。
「なんだ、ジャクソン」
「迎え行かねえの?」
「馬鹿か貴様は……」
男は笑い、ようやく不快な腕をどけた。浮ついた男はどうやら勘違いをしているらしく、こうしてことあるごとに口を出してくる。
実のところ、私に馴れ馴れしく話しかけてくるのは同期の中でもジャクソンくらいだった。実力はあるものの手を抜く癖があり、いつまで経っても小隊長に収まっている。一生戦場にいればいいと思うほどには惜しい男だ。
「お前さあ、カリバーン様の何が不満なんだよ」
「まあ、お前よりは数倍いいだろうがな」
「そりゃそうだ」
不満も何もないと思いながら、再び食堂への道を歩き出す。何が、どうしたら、あのいまいましい男に好意を抱くのだろう。まったく、腹立たしい。ジャクソンは性懲りもなく余裕ぶった面をぶら下げて追いかけてくる。
「ほんとにお迎えしねえのかよ」
「王子の帰還の何が珍しいんだ。一人で行け」
「不届きものだねえ」
「勝手に言ってろ」
「今日メシなに?」
「私は貴様の親ではない」
「魚かなあ」
「あ、そういえば聞いたぞ。お前また掃除当番さぼったんだってな」
「え? 俺じゃなくて双子の弟ね」
「聞き飽きた。二十四にもなって情けないとは思わんのか、腑抜け」
「こわぁい。嫁に行けないぜ」
「とにかく、くだらんことをして品位を落とすな」
「行けなくていいのかあ?」
「構わんと何度も言っているだろうが」
「まあ相手が王子じゃなあ」
「……分かった、お前、カレンと喧嘩したんだろ」
「あ、バレた」
黙るとさらにうるさくなるとこの十年で学んだため律儀に返答していたのだが、どうやら無駄だったらしい。ジャクソンの姉・カレンは商人で、武器やらを持ってあちこちを巡っており、あまり国には帰ってこない。過去何度か話したことがあるが、自分の考えを一切曲げない女性に見えた。このジャクソンが唯一機嫌を気にする人間である。
「八つ当たりに使うな」
「見えたからさあ」
「見えるな」
「無茶言うなよお」
言い合っているうちに食堂のドアまで辿り着き、安堵のため息を吐く。食事中くらいしか黙ってくれない男に絡まれたのが昼食時で本当によかった。
「!」
「あっ」
自分を呼ぶ声と、背後の男の声が重なる。振り向くと帰還したばかりの第二王子がこちらに手を振っていて、今度は大きく息を吐く。
「んじゃ、お先に失礼」
「はあ……食いすぎるなよ」
「たいちょーもね!」
小心者はそう言って、そそくさと食堂に入っていった。仕方なくカリバーンの方へ歩き出す。なんの用件だか知らないが、そういうことをするから勘違いされるのだ。
「お話し中でしたか?」
「話し中と知っていたら何か変わったのか?」
「いいえ。昼食はまだですよね」
「まだですが」
「なんだよ、その顔」
「王子と昼食をとる趣味はないので」
「俺と二人とは言ってないだろ?」
私の言葉の意図が正しく伝わったらしく、不満げな顔をした彼が言った。
「なんだ、まさか国王か?」
「まさか。それならわざわざ来ないよ」
「まあな」
「行きましょう」
どうやら拒否権はないらしい。こいつがわざわざ私に直接声をかけてくるということは、こいつの兄だろう。それもそれで気が重いなと思いながら、カリバーンに続いた。
「ていうか、帰還したばかりだろう」
「なんだ、知ってたんだ」
「休まなくていいのか?」
「俺はを呼びにきただけだから。送ったら着替えにいくよ」
「プリトヴェンと二人とか言うんじゃないだろうな」
「まさか」
どことなく嬉しそうに肩を竦めたカリバーンに苛立ちが募る。「それなら、わざわざ来ないよ」。いくつになっても嫌味っぽいやつだ。
「俺も途中で合流する」
「そりゃよかった」
「三人で話すの久しぶりだろ」
「そうか。そうだな」
「二人の方がよかった?」
「お前の減らず口を聞かずに済むしな」
「はは」
何が面白いのか知らないが、結果的に黙ったのでよしとしよう。余計なことを言って喜ばせるのも癪だ。
父と国王も、かつては似たような間柄であったらしい。詳しいことは聞いていないが、立場に臆することなく挑んできた父を国王が気に入り、護衛を任せるまでになったのだそうだ。歳も近く、最強の剣を受け継いでいた王と、守りに長けた父はいい戦友だった──もっとも、ほとんどは育ての母である国王付きのメイドから聞いた話なので、どこまで本当かは分からない。父と会う時は大抵別のことで手一杯で、過去について尋ねる気も起きなかった。
カリバーンは弟のような存在である。二人の王子とは、親同士の関係と歳の近さから一緒にいることが多く、剣士であるカリバーンは特に私と距離が近かった。光栄なことに、こいつの兄──第一王子プリトヴェンもまた、幼馴染の一人だ。プリトヴェンの方が一つ年上だが、兄とは思わない。いつからそうだったのか、もう忘れてしまったけれど。
「テラスか?」
進行方向から、たまに呼ばれる食事会とは違うところに連れていかれていることに気づく。男は、うん、と相槌を打った。表情は見えないが、声色は明るい。兄と食事ができるのがよほど嬉しいのだろう。
「珍しいな」
「天気いいからって」
「ふうん」
「兄さんなりに気を遣ってるんだと思うよ」
「はあ? 私に?」
「は女性だろ。テラスとかの方が嬉しいんじゃないかって言ったんだよ」
「お前が?」
「うん」
「気を遣ってるのはお前じゃないか」
「聞かれたんだよ」
「何を」
「は気にするかなって」
「何を」
「だから、雰囲気とかを」
「は? お前も来るんだよな?」
「そうなんだよね。兄さんは苦手だからなあ」
「何が?」
「って、兄さんのことならなんでも聞いてくるね」
「……黙れって意味か?」
「え、卑屈だな。面白いって意味だよ」
「うわうるせえな。聞かなきゃよかった」
また笑われてしまった。立場と身長の差がなければ殴っていたかもしれない。
それにしても、あいつが雰囲気なんぞを気にするとは。カリバーンとは兄弟で、私とはただの幼馴染だからだろうか。というか、私が女であると理解しているとも思っていなかった。女だと言ったのはカリバーンなので、本人がそこまで含めて考えていたかは怪しいが。
「兄さん」
ぼーっと考えていると、前を歩く男が声を上げる。テラスに続くドアを執事が開けてくれているのが見える。
従者と何事か話していたプリトヴェンは、こちらに気づいて片手を挙げた。頭上で存在を主張する太陽が、彼を照らしている。
毎度、無事に帰還したと聞いてはいた。こうして集まるのは久しぶりだとカリバーンも言っていたし、実際私もそう思うが、前回からひと月も経っていない。それなのに、確かに、焦がれていたことに気づいてしまう。指導がメインだったので汗臭くはないだろうが、私も着替えたい。切実に。
「カリバーン」
「ん?」
「一応礼を言っておく」
「はは。どういたしまして」
常日頃女性に騒がれている男の笑みは、完璧だ。そういうところも腹立たしい。
彼が従者に何か言うと、従者は頭を下げて帰っていった。相変わらず忙しくしているらしい。幸い先ほどの私たちの会話は耳に入らなかったようで、プリトヴェンは笑顔を見せた。
「久しぶりだな、」
「お久しぶりです」
「はは、そんな硬くならなくていいのに。カリバーンも、報告聞いた。よくやったな」
「うん。兄さんもお疲れ様」
褒められたカリバーンは、子供のようにはにかんだ。こうしているとかわいげがあるのに、どうして私といると余計なことしか言わないのだろう。
「じゃあ、俺着替えてくるね」
「えっ? ああ、そうか!」
「そんな焦らなくても、は兄さんには優しいよ」
一言多い。
「が怖いみたいな言い方するなよ!」
「はは。じゃ、先食べてて」
いけ好かない弟が爽やかに去っていくのを見届ける。見るからに慌てていたが、そんなに私と二人になるのが嫌なのだろうか。ちらと視線をやると、彼はそれに気づいて、はっと私を見た。
「君が嫌とかじゃないからな」
「え? ああ、そうですか」
「そりゃそうだよ。二人になるのは、ちょっと予想外だったけど……」
「カリバーンが来るまでどっかにいようか?」
「えっ、いや、座ってくれ! 騒いですまなかった」
そういえば、女が苦手なんだったか。しばらく会っていなかっただけでこれだけ取り乱すとは思っていなかった。私が悪いわけではないが、なんだか申し訳ない。
とにかくここで帰りでもしたら彼が自責の念にかられてしまいそうなので、席につく。パラソルで日差しが遮られ、視界が先ほどよりもはっきりしたせいで居心地が悪い。向かいにプリトヴェンが腰掛けると、メイドが水の入った瓶を手に近づいてきた。
「ええと、改めて、久しぶりだな。元気にしてた?」
「元気ですよ」
「そうか、よかった。色々聞いてるよ」
「いろいろ」
「この間の討伐のこととか」
「ああ」
「君の活躍ぶりは、どこにいても聞こえてくる。父君も喜んでいたよ」
「父と話したんですか?」
「先日、会議でね。最近会ってないって?」
「ええ、まあ、お互い忙しいですからね」
「ああ、そうだな……なかなかタイミングも合わないか」
「はい、まあ……」
よく考えたら、プリトヴェンと最後に二人きりで食事をしたのは随分前かもしれない。それこそタイミングが合わなかったし、だいたいカリバーンから誘われるので、あいつがいない時にはこういう機会を持てないのだ。最悪だ。気づいてしまうと意識せずにいられない。あれはいつだったか、でも、もっと若い頃──。
「……あのさ、」
「え、はい」
「違ったら悪いんだけど、もしかして緊張してる?」
考えを見透かしているかのような言葉に、肩を揺らす。そんなところは鋭くなくていい。彼を見ると心底心配しているといった表情をしていたので、持ち上げていたグラスを元の位置に戻した。
「し……してない。なんで?」
「え、な、なんか他人行儀だから」
「王子でしょうが」
「そうだけど、君は幼馴染じゃないか」
「立場が先だ」
「いつもは敬語を使わないのに?」
「それは……その時々というか」
「そうか……緊張してないならいいけど」
「私が緊張してるとなんかまずいの」
「って、形式ばった場は得意じゃないだろ? 俺たちといる時に、そういう思いをしてほしくないんだ」
私は、あなただけが目の前にいるから緊張しているのだ。そんなことを言えるはずもなく、今度こそ水を口に含む。カリバーンのことはどうでもいいが、早く戻ってきてほしい。
気まずく思っていると、料理が運ばれてきて内心胸をなでおろした。
「食べようか」
彼が子供にするように肩を竦め、笑みを浮かべる。逆光でもないのに、まぶしくて仕方がない。私を妹とか弟とか、弟の友達だとか程度に思っていてくれても、構わなかった。構わないのだ、と、思い出す。彼に返事をし、私はフォークを手に取った。