a piece of candy
翌朝、医者の診療をやり過ごし、シャワーを浴びたあと作業机につく。この国の人間がどのようなサイクルで生活しているのかは知らないが、なんとなく夜に連絡するべきではないかもしれないと思い、昨晩はある程度記録を進めて寝てしまった。鳥は帰ったのか、見当たらない。三日目。さすがに連続で長時間眠れるわけではないが、今日は飛び起きずに済んだ。環境がいいためだろう。
机が大きいので電伝虫が遠く、移動させるために持ち上げたのだが、すぐにそれを後悔する。嫌な音だ。もうここから動かさないようにしよう。ひとりでに動いたりはしないでほしい。
もらったメモを見ながら番号を押し、ぷるぷる音を聞く。朝食なり早めの昼食中だったら申し訳ないなと思うが、かけておけばこちらの番号が分かるのであれば挨拶だけして切ればいい。電伝虫の眠たげな目と見つめ合う。どういう理由で人間に使われているのだろう。考えているとがちゃと言ったので、慌てて姿勢を正す。
『こちらモンドール。どちら様?』
「あ、急にすみません。です」
『……あァ、ペロス兄んとこの。どうした?』
私はシャーロットさんのところの、と認識されているらしい。電伝虫がいつの間にか黒いハットをかぶっている。二度見。変化なし。何がどうして、いきなりハットを?
『?』
「あ、いえ……その、電伝虫をお借りしたので」
『そうか。まァよろしくな』
「よろしくお願いします」
『……お前、ちゃんと寝たのか?』
「え?」
『随分眠そうだが』
眠そう。思わず視線を巡らせる。まあ監視されていてもおかしくはないが、モンドールさんにまで情報がいっているのか。考える間を空けると、電伝虫が呆れ顔をしたのでぎょっとする。なんなんだ、この生き物。
『電伝虫のことは聞いたんだろ?』
「使い方は……」
『なるほどな……こいつら、相手の真似すんだよ。だから、お前の表情が見えるってわけ』
「へえ……眠くはないですよ」
『あ、そう』
「呆れた顔をしてます」
『おれの真似をしてんだよ! じゃあな、切るぞ』
「あ、はい」
受話器を戻し、目を閉じて元の姿に戻った電伝虫を眺める。これまでに出会ったことのない生物だ。画面のある端末で相手の顔を見ながら電話するようなものだろうか。考えながら、ノートを開く。医者からも連絡先をもらったことを思い出し、シャーロットさんの番号の下にそれらを書き写す。
ちゃんと寝ていなかったらまずいのだろうか。直前のモンドールさんの言葉を思い返す。この作業は私の記憶頼みだから睡眠不足が影響すると思ったのかもしれない。まあ、寝ろと命令されたところでどうしようもないので、考えるだけ無駄なのだが。それにこちらとしては、知らない場所にいる以上起きている時間が長い方が安心して取り組める。これまでにはない(少なくとも記憶にはない)が、寝ている間に転移する可能性もゼロではないのだ。悪夢も見ずに済むし。
──記録四
年月:一年ほど(四十歳前後から)
死因:ホームレス狩り
所感:文明のある程度発達した街。男体で、ホームレスと呼ばれる身よりのない集団に身を寄せた。彼らは国の庇護下になく、無職で、金も持っていなかったが、よそ者である私に一定の距離を保って接してくれた。互いに無関心だっただけだろうが、食糧の取り合いも激しくはなく、衛生面を除けばいい環境と言える。国か地域で若者によるホームレス狩りという遊びが流行っていたらしく、そのターゲットとなったため暴行を受け、死亡。
元々はおそらく女だが、男として転移したことも少なからずある。その時々の見た目に合わせた言動をするよう心掛けていて、つまり実年齢や実際の性別など意識する機会がなかった。たとえば今は二十代の女体持ち、その自覚さえあれば問題ない。
性を売るような生き方がもっとうまければ殺される回数も減っただろうと、今では思う。顔色を窺って生きてきた、媚びることもしたし、体を開くことだってあった。でも、いつからかそうすることすら諦めてしまった。生き永らえてきただけだ。面白くもなんともない、ただの傀儡である。
耳鳴りが治まるのを待ってから、腹に力をこめて立ち上がる。微弱な頭痛。窓辺に立ち、曇り空を見上げる。
「あ」
開け放った窓に、昨日の鳥が止まっていた。いつからいたのか、羽を休めにきただけなのか、目が合った鳥は、ぴよぴよ言いながらこちらに降りてきた。桟を飛び跳ねている。気まぐれなやつだなと思いながら眺めていると、ドアがノックされた。姿勢を正し、返事をする。入ってきたのはシャーロットさんだった。
「おやつの時間だぜ、ペロリン♪」
「こんにちは」
機嫌がよさそうだ。昨日までも特に怒りを示すようなことはなかったが、鼻歌を歌っているのを見るに今日は何かいいことでもあったのだろう。シャーロットさんの後ろから入ってきた使用人がティーセットを並べていく。
この使用人はおそらくこの部屋を担当しているのだろう。毎度必ず同じ人が来るので、さすがに顔を覚えてしまった。礼を述べても返事をせず去っていく無口な女。何を考えているのか分からないし、一度言い始めた礼を今更述べないのもおかしい気がして毎回挨拶をしているが、こちらとしても返事がないのが気楽なのかもしれない。不審な人間の世話を任されるなんて気の毒だなと思う。給料はもらっているのだろうけれど。
使用人が出ていき、シャーロットさんの向かいに腰かける。生地が布のように折りたたまれ、その上にアイスクリームやら果物が乗せられたものだ。シャーロットさんが一口食べたのを見て、カップをソーサーに戻す。
しばらく黙々と食べてから、そういえばあまりがっつくのはよくないかと思い一度フォークを置く。シャーロットさんはもう食べ終わって優雅に紅茶を嗜んでいる。そもそもこれだけ体格差があるのにほとんど同じ量なのがおかしいのでは。
「鳥、飼うのか?」
「え……」
声をかけられ、驚いてその舌を見上げる。
「ここを気に入ったんだろう。ケージとか餌とか、いるんなら用意するが」
「いえ……そんな……大丈夫です」
「そうか?」
「……ただ居ついてるだけだと思うので」
「世話でもしてやればいい。お前にも少しは娯楽が必要だろう」
「必要ないですけど……問題ないなら追い出さないでおきます」
「構わねェ。諸々、必要だと思うんなら言えよ」
どういう気遣いなのだか分からず、戸惑いながらおやつを再開する。私に娯楽が必要だと本気で思っているのなら随分変わった人だ。それに鳥だってつかまりたくはないだろう。放っておいても居座るようなら少しは、食べ物を分けてやりたいとは思うが。布を切って口に運ぶ。
「」
「……はい?」
「なぜおれを警戒しない?」
「けいかい」
「アイスついてるぞ」
「すみません」
慌ててナプキンで口元を拭い、残っていたものを食べきる。警戒。私が警戒しないと何かまずいのか、警戒していないように見えるのか、それがこの人に影響するのか。紅茶で食べ物を喉奥に流し込む。
「してないわけじゃねェんだろうけどな」
「……」
「逃げようとするやつの態度じゃない。そういうやつは隙を探すし、そういう会話の仕方をする」
「……疲れるので」
「疲れる?」
「疑うのも信じるのも、疲れるじゃないですか」
そうだ。疲れるから嫌なのだ。自分で言ったことを脳内で反芻する。
鳥がこちらに飛んできて、テーブルの上を跳ねた。かわいいと言った医者の表情を思い出す。迷子の鳥を探して親鳥が襲ってくるかもしれない。はたまたこれは高度な機械で、監視のため送り込まれたものかもしれない。あるいは病死を狙い、鳥が部屋に入った時点でなんらかの病気に侵されるよう設定されているのかもしれない。疑うってのはそういうことだ。面倒極まりない。シャーロットさんが黙ったのをいいことに考え、それからため息を吐く。
「甘いものは好きか?」
「……え?」
唐突な問いに顔を上げる。目が合ってしまい、すぐに逸らした。
「甘いもの」
「ああ」
「……嫌いではないです」
「充分だ。ちょっと待ってろ」
シャーロットさんはそう言って立ち上がり、また上機嫌そうに鼻歌を歌いながら部屋をあとにした。好き嫌いなんてないな、と思う。そんなことを言っていられる状況ではないし、何より腹を満たせればそれで構わない。
しばらくぼんやりと鳥や室内を眺めていると、シャーロットさんが戻ってきた。その手には瓶が握られている。それが差し出されるので慌てて両手を出す。ずっしりと瓶の重さが手のひらに伝わり、中を窺った。詰まっていたのは色とりどりの──。
「飴……」
「ああ」
答えを呟くと、彼は満足げに頷いた。
「毒とか」
「くくく……どうかな?」
「……ふふ」
思わず笑いが漏れる。どんな毒だろう。即効性のあるものだといい。逃げようと思う暇もないほど鮮やかに、あるいは眠ったまま穏やかに、死ねるのなら。
「いらねェならオブジェにでもすりゃいい」
「いえ……いただきます」
「そうか。ペロリン♪」
私は慈悲深い男でね。なんにせよ優しい人である。なぜ私に優しくするのかは知らないが、ひとまず享受してみようという気になってしまった。
「じゃあ、またな」
「あ……」
シャーロットさんは軽い挨拶と共に片手を挙げ、再び部屋を出た。作業机に戻り、腰を落ち着けて息を吐く。
わざわざ、売り物を持ってきてくれたのだろうか。瓶を持ち上げ、意味もなく回転させてみる。高価そうなものだ。やはり機嫌がよかったのか。どちらでもいいかと思いながら蓋を開け、一粒つまむ。外の光に透かすと、完璧な球体に見えるそれにも製作の工程でついた跡があることがわかる。光の角度で色の変わる玉。
きれい。
これほど美しい赤紫を初めて見た。口に含み、味のする唾液を飲み込む。ぶどうだろうか。知らない果物もあるだろうし、なにより私の味覚では分からないけれど。しばらく口の中で転がし、ぼんやりと雲の流れを眺める。私は、ここで──。
カーテンが揺れ、どこかに行っていたらしい鳥が窓の桟に降り立つ。何かを訴えるような鳴き声。じっと見ていると鳥は首を傾げ、羽を震わせた。