エベレスト・恋のてっぺん
「ー、朝ご飯ー」
ノックの音と友人の声ではっと覚醒する。頬に冷たさを感じ、見ると瞼に乗せていたタオルが落ちていた。あのまま寝てしまったらしい。
「ー?」
「んー」
たぶん耳郎だろう、外の声に返事をして時計を確認する。八時過ぎ。普段遅くとも七時にはリビングにいるので心配させてしまったようだ。未だぼんやりする頭を押さえつつベッドを降り、一旦耳郎を招き入れるためにドアに向かう。
「あ、起きた」
「一人?」
「そうだけど」
「入って」
「え? わ、分かった」
入れと言われるとは思わなかったのか、戸惑いつつお邪魔しますと呟いた耳郎を余所に洗面所の鏡を見る。若干腫れているが誰も気づかないだろう。耳郎にあれを話してしまうか数秒思考を巡らせる。ついでに顔を洗ってから部屋着のポケットに手を入れて立っている耳郎に並ぶ。
「あんたが寝坊なんて珍しいね」
「寝坊っていうか」
「二度寝か」
「そう」
部屋を出ようとしない私に何かあると思ったらしく、耳郎は妙な表情のまま私を見ている。協力をしてもらったわけではないが(女子会を断ったのは偉大だった)耳郎と梅雨ちゃんには話しておくべきだろうと思った。知っている人間がいるというのはかなり心強い。常闇にも、いつか。
「あのさ……」
「うん」
「たぶん付き合うことになった」
「えっ……?! うそ!!」
「たぶん」
「何たぶんって?!」
「大切にするらしいよ」
「ヒーッ告白じゃんそれ!! やばい!! やったじゃん!!」
「……言わなきゃよかった」
「なんでよ! いやーあんたらもついにカップルかー」
「カップルって……」
「じゃなかったらなに?」
「さあ」
「出た。でも正直、言ってくれると思ってなかったわ」
「まあ、耳郎たちには話聞いてもらったし」
「いやほんとよかったよ。やば、そういう目で見ちゃうわ」
「やめて」
大騒ぎする耳郎に顔が熱くなる。よく考えたら付き合うだの付き合わないだのという話はしていないが、まああれはそういうことだったのだろう。
「もしかして買い出し行った時?」
「いや、違う。けど詳しい話はしないよ」
「なんで?! 聞きたいんだけど」
「言う義務ないし」
「ええ……でも梅雨ちゃんには言うんでしょ? その時絶対突っ込まれるよ」
「そうだろうけど、プライバシーってもんがあるから。障子にも」
「あー、なんか障子のそういうのって想像つかないし気になるんだよな」
「あ」
「ん?」
「……なんでもない」
「えっ気になる」
この際だし角の件を言ってしまおうかと思ったが、言ったと連絡するのも嫌だし任せたものは放っておこう。まだ何か言いたそうな耳郎をおいて部屋を出る。障子のそういうのって想像つかないか。確かに、二人で過ごすようになってから新しい面が見えたのは事実だ。朝のあれも夢だったのではないかという気もする。夢だったらどうしよう。エレベーターを待ちながら瞼に触れる。これも、夢を見て泣いていただけだとしたら。それくらい、実感が湧かない。
「あっ切島に漫画返さなきゃ」
「別に後でいいっしょ。ていうかまだ寝てんじゃない?」
「そっか」
「あーあ、あんた起こしにきただけなのにとんでもないこと聞いちゃったな」
「ほっとけば勝手に起きたのに」
「飯田が心配してたから……はいつも早起きだし」
「まあね……」
そこまで分かっているのに、朝の間に部屋に行ったとは考えないらしい。まあそうか、そもそも、男子棟に行くという発想がないのだろう。飯田には申し訳ないことをしてしまった、と思う。しかしそれが八時なのは気が短すぎやしないか。
リビングにはまばらに人がおり、その中に食器を片付ける委員長の姿を発見する。私たちに気づいた飯田は手をあげ、よく分からない動きをしながら叫んだ。
「くん! 体調でも悪いのか?」
「全然。寝てた」
「それはよかった! むっ、もしや余計なことをしてしまっただろうか?」
「うん」
「すまないくんッ!」
「うん。お腹空いてきた」
「そうだね。はーさっさと食べよ」
耳郎への礼を述べつつ作業を続行した飯田を無視し、朝食をとりに向かう。うるさいやつだ。
朝食後、部屋に戻ろうとしたものの耳郎に捕まり、言われるがまま梅雨ちゃんに連絡を入れる。まだ寝ているのだろうと思ったが、案外すぐに返事があり、私の部屋に来てくれるという話になった。大体なんで報告しなきゃならないんだ。急ぐようなことでもないと抗議したのだが、年越す前に、と言われてしまった。
「常闇には言ってないの?」
「なんであいつに」
「え、ああ知らないのか。てっきり知ってるのかと」
「知ってるんじゃない、知らないけど」
「適当だな……てか障子から告白されたって、やっぱ向こうも好きだったんじゃん」
「違う。話す気はないけど色々あった」
「そこまで言ったら話せよ」
「あ、梅雨ちゃん来たかな」
「ほんとすぐはぐらかすなあ」
部屋のドアが叩かれたので立ち上がる。ドアを開けると案の定梅雨ちゃんがいた。
「おはよう、ちゃん。お邪魔するわね」
「うん」
「おはよー梅雨ちゃん」
「あら、響香ちゃんもいたのね」
「応援隊!」
「なんだそれ」
梅雨ちゃんを促し、私もベッドに腰掛ける。癖でぬいぐるみに手を伸ばすが、クマ吉のことは絶対に説明したくないなと思い抱き枕を抱える。
それから梅雨ちゃんにも耳郎にしたのと同様の話をした。こうして話していると、もしかして本当に私たちはカップルなのかもしれないという気がしてくる。そうでなかったら悲しいが。
「よかったわ。あれから、どうなったのか心配だったの」
「ごめん。あんまり話したいことじゃなかったから」
「ええ。こうして話してくれたというだけで、私は嬉しいわ」
「ありがとう」
「そういえばデートって結局行ったの?」
「行った」
「誘ったの?!」
「さあ」
「さあじゃないし」
「梅雨ちゃんって常闇から何も聞いてない?」
「聞いていないわ。知っているのは、この間ここで話したことと二人で買い出しに行ったことだけ」
「あれは全部常闇のせいなんだよ」
「でもよかったじゃん。ここじゃなかなか二人になれないでしょ」
「常闇にどうこう言われたくない」
「これも仲がいい証拠かしらね」
「違う……まあそういうことだから、二人には言っとこうと思って」
「ありがとう。安心したわ」
梅雨ちゃんが微笑み、耳郎もなんだか照れているような表情になる。この二人に知られたのも元はと言えば常闇のせいなのだけれど、まあ、あいつもあいつで誰かに言いたかったのだろう。それが梅雨ちゃんだったのだけは褒めてもいい。
「障子って二人だとどうなの?」
「どうって……別に、あんなだけど」
「へー。まあ元々優しいもんな」
「そうね。しっかりしているし」
「うわっなんで赤くなってんの? ウケる」
「うるさい」
「乙女ね、ちゃん」
「うるさい」
「あ、こないだは何もないって言ってたけどどこまでいった?」
「どこまでもいってねえ」
「うわ、同じこと言う……」
「でも、障子ちゃんなら紳士そうだし安心ね。ちゃんは少し怖がりなところがあるから」
「確かにビビりだよなー」
「はあ、人のこと言えなくない?」
「うるさ……で、障子は紳士なの?」
「さあ」
「答えたくないとすぐさあって言うじゃん」
「てか、付き合うとか初めてだし、比較対象がいないから分かんない」
「そっかー。まあでも梅雨ちゃんの言う通り、障子なら安心だよね。意外と泣き虫だし」
「なんなの? 喧嘩売ってる?」
「売ってない売ってない!」
私と耳郎のやりとりに梅雨ちゃんがケロケロと笑う。普段ここまで性格の話をされないので、こんなことを思われていたのかと驚いてしまった。臆病なところは絶対に直さなければ。別に泣き虫なつもりもないのだが、つい数時間前に泣いたので何も言えない。
二人が色々と私たちについて述べるだけの回はそれから一時間ほど続いた。女子しかいない空間ということもあり、話は何度も脱線し、昨日のクリスマスパーティや、先日の授業にも及んだ。九時を過ぎたところで話に区切りがつき、梅雨ちゃんがそろそろと言いながら立ち上がる。
「あんまり長居しても悪いわね」
「そうだね。じゃまた報告よろしく」
「やだわ。とりあえず、二人ともありがとう」
「こちらこそ、聞けてよかった」
「応援しているわ。何か困ったら、いつでも話してね」
「ありがと」
二人をドアまで見送り、手を振る。一人になった部屋で、ああ、私はいい友人を持った、と思う。ぺらぺらと嘘を吐いてしまうせいで表面的な付き合いしかしないことが多かったが、この学校に来てからは本音で接する相手も、時間も増えた。中学の頃はそれこそ誰にも言わなかったし、なんとなく、他人をそこまで信用するのは馬鹿らしい気がしていた。ここのクラスメイトたちはみんな真面目にぶつかってきてくれるので、油断してしまう。
今日は爪を塗ろう、と思う。漫画を返し、昼食をとったらトレーニングに行き、夕方に砂糖のお菓子でももらいに行って、それからみんなで夕飯を食べよう。その中に障子がいてくれればいい。そのくらいゆっくり進んでいきたい。キスしといて? あれはそういうんじゃない! 再び熱の集まる頬を押さえ、ベッドに座り、クマ吉を手に取って抱きしめる。一度目を伏せ、それから立ち上がってネイル道具を入れた箱を取り出す。私はわけもなく上機嫌だった。これから先、こういうことが増えるのだと思った。たぶんまだ、恋だとか愛だとかの、頂上にいるので。