最高にハッピーでくだらない話

 怖がられるのは慣れている。足の爪を塗りながら、今日のB組との戦いを思い出す。私と似たような個性の子と戦った彼はそう言っていた。この時代において見た目など些細な問題だろうが、あれを怖がる気持ちも分かる。タコ嫌いならなおさら。

「あ、常闇」
「寝なくていいのか」
「寝れなくてさ……」
 瓶の蓋を閉めたところでクラスメイトがやってくる。ネイルは個性とは関係ないが、なんとなく昔から塗らないと落ち着かない。マグカップを持つ常闇を見て、こんな時間に、と思う。
「コーヒー?」
「片付けにきたところだ。もう床に就く」
「ふうん」
「程々にした方がいい」
「分かってるよ。あのさ、常闇」
「なんだ?」
「あんたは好きな人がさあ……うーん」
 言葉を選びつつ爪先に息を吹きかける。凝固させる個性でもあればよかったのになあとくだらないことを考えつつ、トップコートを手に取った。
「障子がどうした」
 水音。黒影に洗わせているのか、彼はいつの間にかこちらに来ていた。吐かれた単語に、数秒遅れて顔を上げる。
「一言も言ってなくない?」
「皆気づいていると思うが」
「嘘でしょ」
「いや、まあ、どうだろうな……それで」
「早くカップ洗って寝なよ」
「もう洗った」
「黒影……お疲れ」
「オツカレ!」
 器用なモンスターだ。夜だからか、幾分いつもより元気そうに見えるその頭を撫でてやる。常闇がソファーに乗った足を見て、わずかに目を見開く。
「器用なものだ」
「君もね。ごめん、窓開けてるけど臭いかも」
「気にならん」
「じゃあおやすみ」
「いや待て。話が終わっていない」
「始まってないけど」
「始めたのはお前だろう」
「何のこと?」
「意固地だな……おい」
 常闇が廊下の方に目をやる。つられてそちらを見ると、のそりと巨体が現れた。なんだ、おいって。まさか。頭が真っ白になる。
「盗み聞きをするつもりでは」
「しょっ……テメエ謀ったな!!」
「偶然だ。マグカップなら俺が洗っておいた」
「すまない、常闇」
「どっ、どいつもこいつもなんでこんな時間に」
、心の深淵を曝け出せ。それでは、俺は部屋に戻る」
「何言ってんだよ!」
 常闇は悪役よろしく片手を上げて障子の横を抜けた。かっこつけてる場合か。なんだ心の深淵って……。
 障子は何を考えているのか、来た時のまま立っている。とにかくネイルたちを片付けてしまおうと握りしめていたトップコートを袋に突っ込んだ。この状況で何を話せって言うんだ。それにみんなに気づかれているだなんて、確かに常闇が気づくんだから他の子にもバレていそうだ。最悪。最悪だ、ヒーローに恋愛感情なんて必要ないのに。

「はっ……はい」
「すまない。常闇に止められて、結果的に盗み聞きをしてしまった」
「いや……こっちこそ、ごめん。忘れてください」
「……忘れた方がよければそうするが」
「そりゃ、そうだよ。ごめんね。おやすみ」
!」
 隣を通ろうとした時、腕を掴まれる。手のひら。鳥肌が立つ。やめてよ、引き留めるとか、こっちは好きなんだからかっこいいことしないでよ!
「本当なのか」
「嘘だよ」
「……お前は、中学の頃からずっと普通に接してくれただろう」
 腕の力が緩む。意志を失った私の手はだらんと太もものあたりに落ち着く。あんただって、ずっとそうじゃないか。不格好な角も、そんな個性でヒーローになりたいなんて宣う私のことも、絶対馬鹿にしなかった。でもこの学校は違う。私だけじゃない、障子を怖がるやつや私を馬鹿にするやつなんてここにはいない。だから……。
 拳を握りしめ、息を吸い込む。都合のいいことだった。普通に接していたのは怖くなかったからというだけではない。あれが普通というのもおかしいと思うし。息を吐き出し、ポケットに手を突っ込む。
「おかしいじゃん」
「おかしい?」
「ヒーロー目指してんだよ。こんなのさ……」 「……そうは思わない」
「……」
「もっと……お前と過ごしたい。今はそれしか言えない。これ以上は、きっとお前に対して誠実じゃないと思う」
「……馬鹿じゃん。君って馬鹿だったんだ」
「馬鹿とは思わない。先ほども言ったように、お前がなかったことにしたいのであれば、そうする」
「だから、それが馬鹿っつってんの……常闇ぶん殴ってやる」
「……やめてやれ」
 障子は優しい。それこそ誠実に私の想いを汲んでくれようとしている。そんなことしてくれなくても構わないのに。ここまで言わせて逃げるわけにもいかないし、私はもちろん、喜びを捨てることができるほど大人じゃなかった。
「障子のばか」
「む……すまん」
「謝るとこじゃないし」
 笑ってみせると、少しだけ空気が緩んだ。優しい男に気を遣わせてしまった後悔と、常闇への恨み(別にいいけど)、それから未来への期待があった。確実に。
「もう寝よ。ごめんね、引き留めちゃって」
「引き留めたのは俺だ。また話そう」
「……えっと、また明日」
「ああ、また明日」
 まただなんてもう、やめてくれよと思う。好きなんだってば! ばか! 赤くなってしまっただろう顔を押さえながら彼に背を向ける。明日からどうすればいいのだろう。俯くと煌めく星空みたいな爪先。ああもう。叫びだしたい衝動を抑えるためにエレベーターまでの短い道を駆けた。もう!