燃やす瞳

 何かが破壊されるような轟音に、男は舌打ちする。何故見ておかなかったのか。声を荒げることは容易だったが、普段と違い、隣の部下を責める気にはなれそうもなかった。見ていて分かるものだとも思えないし、一番女の近くにいたのは自分だと男は知っている。
 負傷者の有無と破壊の程度をサロから聞き、男は足を止めた。幸い雇い主の都合で部下の多くは本邸にいるが、もちろん戦力になる者を残しておく必要もあったため、あれがだと他の部下に知られるのも時間の問題だろう。最悪雇い主たちに伝わらなければよい。

「怪我をさせても構わねえ。お前の能力で閉じ込められればいい」
「はい!」

 とはいえあの状態のを止められるほどの力が、自分以外にあるだろうか。過去にあれを戻したのは男だったが、あの時と今では状況が違う。
 ようやく獣に追いついた男が、名を呟く。制服はほとんど千切れ、どこにもあの女の面影はない。ぎろりとこちらに目をやったそれは、大きさこそ男の背を優に越すほどであるものの、気高い獅子というよりは手負いの狼のようだった。その向こうに、一人で応戦していたのであろう部下の姿が見える。

「ザウル!」
「執事長……」
「怪我は」
「俺より、さんが」
「あいつを止めるには仕方ねえことだ」

 左手首が折れたらしい。ぶらぶらと揺らしながらザウルは目を細めた。どこまでも余裕を崩したがらない男だ。
 獣の鳴き声が三人の脳を揺さぶった。

「足止めは得意なんですけどね」
「無駄口叩いてねえで考えろ」

 言葉通りザウルの出した氷が獣の足を固め、その場から動けなくしている。しかしそれもすぐに崩れるだろう。男はコインを構え、獣に向けた。

「ゴトーさん!」

 背後から聞こえた声と、複数人の足音。氷に罅が入る。サロの空気が緩み、ハルイの名を呼ぶ、そしてザウルは再び氷を手にし、男のコインが獣を狙う。降り注ぐ弾丸の向こう、いやに静かな獣と目が合った気がした。


 の部屋の家具全般、壁、ドア、サロの部屋の壁、廊下の窓五枚、負傷者一名。今も女は部下の作った檻の中にいる。あの時ハルイが駆けつけていなければ、もっと傷つけることになっただろう。女の瞳。いや、あれは獣だ。考えていると部屋のドアがノックされ、手首に包帯を巻いた部下が入ってきた。治っているのだろうから包帯などしなくてもいいはずだが、今日こちらにいる治療班は過保護だった、と思い出す。

「どうした」
「あの人、除念じゃどうにもならないんですか」

 眉間の皺を伸ばす暇もなく男は部下から目を逸らす。ハルイかサロが言ったのだろう。現実になってほしくない推測だった。

「死後強まる念というやつは、前に呼んだ除念師ではどうにもならなかったらしい」
「ゾルディック家が呼べる除念師でも?」
「あいつが受け入れちまってるのも問題なんだろう。ただでさえお前の飼い主はに強い思いを抱いてるように見えた」
「……そりゃ、娘ですからね」
「確証のないことを言うな」
「すみません。いつ呼ぶんですか?」
「数日中には呼べるだろう」

 不意に、は今回失敗したら諦めようとでも考えていそうだ、と思った。昔から生に対する執着心が薄い。今回満月でもないのにああなってしまったのは、そのせいかもしれないとも考えた。

「執事長」
「なんだ」
さん、今度駄目だったら諦めると思います。でも諦めたくないです。たぶん先輩たちも同じだと思います。だからその時は、執事長がどうにかしてください」
「……」
「失礼します」

 ザウルが出て行って、部屋は静寂に包まれる。あれが余裕をなくした男の本音なのだろう。男は目を伏せる。誰も諦めたいなどと考えてはいない。しかしもしが諦めさせてくれと言ってきたら、その時自分は好きにさせるかもしれないと思った。罪悪感すら受け取ってやれない男の、せめてもの罪滅ぼしだった。